ねずみうり

AVID4DIVA

ねずみうり

お嬢ちゃん:女


・・・・・・・


神社の境内に続く細い道。

斜めに伸びた木陰の下、おじさんが座っていた。

麦わら帽子を目深にかぶって、道端に腰をおろして、足元に汚れた木箱を置いて。

どうやら商売をしているらしい。


「やあお嬢ちゃん。子ねずみは要らんかな。よく懐く、可愛いねずみだよ」


おじさんは、大人の男の人にしては甲高い声で私の足を止めた。


「お嬢ちゃん、子ねずみは要らんかな。お父さんとお母さんがいなくても寂しくないよ」


まるで私のおうちのことを知っているみたいな言い草だった。

チイチイ、チイチイ、という鳴き声につられて私は木箱を覗いた。

赤茶色の染みがついた木箱の中には小さなねずみが一匹、うずくまってこちらを見上げていた。


「わあ、小さくて可愛い」


私の呟きを聞いたおじさんはぬっと顔を近付けて「タダであげるよ」と言った。

生臭いにおいがした。


知らない人から物を貰っちゃいけないとお母さんに言われたのに、おじさんは私に子ねずみを押し付けて、箱を持って、そのままどこかに行ってしまった。

七月の日差しの下、私は首筋にうっすらと汗をかいて、誰もいないおうちに帰った。

居間にあった丸くて大きな硝子瓶を仮の住みかにして、えさには野菜くずを与えて。

慣れないことをして疲れてしまった私は、そのままうとうとと眠りこけてしまった。

横になった私の足元に、子ねずみが近寄ってくる。


何匹も、何匹も、何匹も、何匹も。


あのおじさんに貰ったのは、ただ一匹だけのはずなのに。

子ねずみたちは私の足をかじる。

私の足は、人参でも大根でもないのに。


子ねずみたちが私の足をかじる。

逃げなくちゃ。逃げなくちゃ。


力を入れようとしても手足が動かない。

子ねずみたちが私の足をかじりつくす。

足から流れた血が、水たまりのように広がっている気がする。

膝から下をかじりつくした子ねずみたちは、まだまだ足りぬと、膝から腿へとのぼり、柔らかい肉を求めてスカートの中へと押し入ってくる。


私はかじられる。生きたままでかじられる。


恐怖によってずいぶんと遅れた痛みが足からせり上がってくる。

子ねずみたちは「チイチイ」と鳴くたびに一匹、また一匹とどこかから集まって、ほどなく私の身体はねずみの山になろうとしていた。


「……蝉」

「蝉の声が聞こえる」

「白い光」


日差しが、強く瞑った瞼を刺す。

私は夢を見ているのだろうか。さっきおうちに帰ったはずなのに。

ドン、と背中を誰かに叩かれる。固くて厚い、大きな手だ。

私はまだ、境内に続くあの細い道にいた。


「お前、ねずみなんて買うんじゃねえ」


声の方を振り返る。

汗に濡れた白いシャツを着た男の人が立っている。

眉間に皺を寄せたまま、煙草を咥えて、おじさんの方を睨みつけている。

おじさんは、麦わら帽のつばを更に押し下げて、舌打ちをして……


「もう少しで食えたのに」


そう呟くと、逃げるように去って行った。


おじさんが置き去りにした木箱の中から子ねずみの鳴き声がする。

このまま捨てられるのは可哀相だと木箱の中を覗き込んだ。


「もう少しで食えたのに」


赤茶色の染みがついた木箱の中には、おじさんの顔をした子ねずみがうずくまって私を見上げていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ねずみうり AVID4DIVA @AVID4DIVA

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る