第3話

 サービス残業時間が本来の稼働時間の半分を超えるような職場で我慢して働き正社員にしがみついたが、力尽きて離れると、あとは転落の一途だった。


短期や中期の派遣仕事を繰り返し、それさえも得られなくなるようになり、私は50歳を迎えた。もう、頑張る力も踏ん張る力も、夢見る力も尽きてしまった。


そして、母が亡くなり、母が小さな家を買っていたことを初めて知った。私は伊豆に戻った。そして、母と同じように、旅館で働くようになった。


 いま見える景色は、あの頃、母とこの地で暮らしていた風景とはちょっと違う。町の開発とか、逆に建物の劣化とか、そういった問題ではない。


すべてを諦め、貧しい境遇に生まれ苦労したんだから報われるのは当然だという傲慢や、人生は最後はプラスマイナスゼロになるという弱者に都合のいい公式を手放すと、伊豆の海や山が淡く優しい色に包まれて見えた。


 霞がかかっているように見えた。母の目にも、こんなふうに景色が映っていたらいいと思う。そんな中で私を育て、老い、亡くなっていったのなら、悪くない人生だったのではなかったかと思う。


 母と手をつないで行った城ヶ崎海岸の岩肌は、私には恐ろしく荒々しく見えたものだったが、母は恐れる私を見て笑っていた。


あの景色さえ、母には淡く見えていたのかもしれない。あの日、私は母の腰に抱き着いてつり橋を渡った。


母は大丈夫だと言っていたのに、私は信じることができなかった。だから、町を出て母をひとりにしてしまった。


 母さん、ごめんね。


ときどき、小さな町を燃えるようなオレンジに染める夕日を振り返りながら、私はつぶやいてみる。

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ごめんね 梅春 @yokogaki

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