第8話 上六位紅天狗

 月の裏へ牽引光線で連れてこられたユメヒトは、すっかりエネルギーを切らして、ごつごつとした月の大地に横たわっていた。彼は飛行能力がないから地球へ戻りたくても戻れない。しかし飛べるからと言って、もう一度モールス・モビルダーと戦えばまたあの単縦波状攻撃とやらの連携技に再び返り討ちにされるのが関の山だ。


「……仕方がない。いったん夢空間に戻ろう。」


 ユメヒトは腕を交差させると、体を白いさざ波状の光に変えて夢空間へと戻っていった。そして、意識がエルムのもとへと戻る。


「……はっ!! ユメヒト、どうしていったん戻ったの?」

「奴らの機動力の高さは私の想定以上に強かった。残念ながら私では奴を倒せない。そこで、湯目野エルム。君には代理構成体を乗り換えてもらう。」

「乗り換えるって……ほかの眠神を使えってこと?」


 ユメヒトはこくり、とうなずいた。そして、自分の二つ隣に立っている像を指した。この像には、「Lv.6」と番号が振られている。それはまるで頭の部分だけ人間で、あとの部分は骨格標本のように極端に細く、臀部には球体のようなものが収まっていて、右腕に相当する箇所には細長い箱のようなものがくっついており、背中からは短冊状になった羽が複数つらなる翼を二対生やした眠神であった。骨格から察するに、女性であろうか?


「えっ……いや、僕男なんだけど……。」

「性別は関係ない。あくまでも君は我々を呼び出す触媒なのだ。彼女は紅天狗。われら九眠神の中で最も速さに優れたものだ。躊躇している暇はない。さあ。」

「わ、わかったよ……」


 ユメヒトにせかされて、エルムは紅天狗を呼び起こすために彼女の像に触れた。すると途端に、彼女はみるみる鮮やかな紅色に染まっていき、息を吹き返した。それと同時に、エルムの眼前に四角い箱を向けて威嚇した。箱真ん中には空洞があり、奥からキュィィィ、という音がする。これは箱ではない。大砲だ、キャノンだ!


「うわあっ!! 撃たないで!!」


 紅天狗は不気味な笑みを浮かべた。


「ウフフ……デリカシーのない人、私嫌い。許可もなく女の子におさわりする人は、特にね……はぁ……さび落としもかねて、貴方で試し打ちしちゃおうかな……フフフ。」

「ご、ごめんなさい! 謝るから……撃たないで!!」


 薄目で煽情的な笑みを浮かべながら、右腕の巨大な大砲を舌の裏でつつつ、と嘗め回してエルムを見つめ返す彼女だったが、今の彼女に対するエルムの印象は情欲よりも恐怖心を上回った。


「紅天狗、からかうのはよせ。今はそんなことをしている場合じゃない。」

「……フフフ、ごめんなさぁいあなた。でもこの子みたく好みの顔した男の子は、いじめたくなっちゃうのが私の悪い癖。さあ、茶番はここまでにして、あの目玉お化けたちをぶっ殺しに行こ。」

「だ、大丈夫かなあ……」


 一抹の不安を覚えたエルムであったが、ままよと意を決し、失礼します、と一言断ってから、両腕を交差して彼女の肩に触れた。エルムと意識がつながり、基底現実へと出力されるにしたがって、彼女は恍惚な表情を浮かべた。


「ああ……基底現実に出力されるときのこの感触……すっごく快感。」


 意識が完全に紅天狗の中に埋没しても、エルムは本当に彼女でいいのだろうかという心配をぬぐえなかった。


 ・・・


 地球上で防衛軍相手に暴れているモールス・モビルダーたちに、月の裏からあの巨人が急に消えたという報告が入った。


「消えたぁ? 消えたってどういうことだ? 奴は飛べないんだろう?」

『わからない、我々が奴を調査しようと思って目を離したすきに逃げられてしまった。面目ない。おそらくテレポーテーションの類だと思われる。再び地球にやって来て、諸君らと交戦するかもしれない。警戒を怠らないよう。以上。』


 本線からの通信はそこまでだった。大きなビルの陰に隠れて通信を受けていた二番機マッシュは防衛軍の必死の攻撃をひらり、ひらりとかわして遊んでいる一号機ガイアと三号機オルテガに合流して眼球言語で伝えた。だが彼らは特に驚きもしなかった。


「ほほう、それはいい、奴はデーターにはない能力を持っていたのか。少々計画通りに行き過ぎてつまらなく感じていたところだ。お前らもそう思うだろう? ええ?」

「ふん、所詮、野蛮人の一つ覚えで我々に襲い掛かってくるのだろうが、その時は再び月に送り返してやる!」


 モールス・モビルダーの相手役は防衛軍には務まらなかった。防衛軍が展開する戦車砲も、飛行機のミサイルも、頼みの綱の対怪獣用ミサイルも彼らにとってはあくびが出るくらいに遅くて話にならないのだ。


「さあ、どこからでもかかってこい、このヒートカッターでザクザクと切り刻んでやる!!」


 二番機マッシュはすっかり手になじんだロング・ヒートカッターをくるくると相も変わらず振り回し、曲芸のように右手、左手、そして右手と器用に体の周りをぐるっと一周させてから、空中へ向かっておおきく放り投げた。すると、回転するヒートカッターに向かってはるか上空から一瞬、ほんの一瞬、小さな何かがぶつかり、回転軸がぶれたヒートカッターは落下予測地点を大きく外れて3人から大きく離れた地点に刺さった。


「あちゃー、せっかくかっこよく決めようと思ったのになあ、まったくまだまだ俺も修行が足りないなあ。」


 二番機が地面に刺さったヒートカッターを拾いに行き、それを引っこ抜こうとすると、ヒートカッターの柄と刃の間の部分に、赤い短冊のようなものが突き刺さっているを見つけた。


「……なんだこれ?」


 それが彼の最後の言葉だった。二番機マッシュがその羽のように薄い短冊のようなものをよく見ようと顔に近づけると、短冊はそれを待っていたといわんばかりに小刻みにぶるぶると震え、彼の目を中身ごと貫いた。羽に貫かれた二番機の瞳孔は開き、羽が切り裂いたところから緑色の血が眼球を満たし、涙のようにあふれ、彼はそのまま動かなくなった。


「おい、どうした? 今なんかお前からとても素早いものが飛び出たが……?」


 様子がおかしいことに気付いた一番機ガイアが訪ねるが、二番機はピクリとも動かない。ふざけているのかと思って肩をグイっとつかんでこちらに引き寄せたとき、はじめて二番機が死んでいることを確認した。モビルダーとしても、モールス星人としても、死んでいた。


「し……死んでる!!」


 その時、彼の眉間――モールス星人の場合は眉毛の中間点のことを表す――に電撃のような感覚が走り、とっさに後ろを振り向くとそこには紅天狗が音もたてずに背後をとり、その鋭い爪で刺殺せんと左腕を振り下ろそうとしていた瞬間だった。思考よりも先に体が動いた。一番機は彼女のあふれんばかりの殺気をはらんだ左腕を間一髪のところで白刃取りした。


「うわっ!!」

「へぇ……すごいね。この攻撃を受け止められたのはあなたが初めてだよ。あっちで伸びてるあいつには効いたのに……」

「あっ……ああっ……三番機!!」


 一番機の対峙している紅天狗の肩の向こうに、おそらく同じ手を使われたのであろう三番機が、地面にうつぶせになって、後頭部の大きな切り傷から緑色の血と臓物を地面に散らしていた。


「お……お、お前!! よくも、よくも仲間たちを!!」

「フフ、そんなに怒らないで? あなたもすぐ、仲間たちと同じところに行かせてあげるから……。」

「いったいてめえは誰だ!! ええ!?」

「私は紅天狗。さっきはがあなたたちに世話になったようだから、お礼をしに来たんだ。」


 不気味に笑う紅天狗の右の瞳がきらりと光った。一番機は本能で首を紅天狗の目線からそらす。次の瞬間、赤黒い光線が二重のらせんを描いてまっすぐに一番機の下瞼をかすめた。


「うわっ……!」

「へぇ、今のもよけられるんだぁ……意外とできるじゃん? じゃあ、これは見極められるかな?」


 紅天狗は一番機から距離をとると、その周りを高速で回り始めた。あまりにも速すぎて一つ目のモールス星人の目だけでは全く追うことができず、せいぜい残像をとらえるのが精いっぱいであった。


「畜生、なんて速い奴だ……さっきの巨人とはまるで違う……そうだ、こういう時は無理に目で見ない方がいいんだ……!」


 一番機は呼吸を整え、目を静かに閉じ、聴覚の感覚を研ぎ澄ました。紅天狗は高速で移動しているにもかかわらず全く音を立てずに周回するので位置が分かりにくかったが、よく耳を澄ませると彼女の骨のような細い脚が空気を切る音がかすかに聞こえてきた。ぶるぶると風を震わせながらこちらを攻撃する機会をうかがっているようだ。この音が止まった瞬間、奴よりも早くこちらが仕掛けなければならない。


「……!」


 風の音が一番機の右後方で止まった。再び眉間に稲妻が走るような感覚を覚えながら、一番機は全身の力を込めて右後方へ振り向きざまに左拳を突き出した。一番機の動きは速かった。左拳に、めきめきと硬いものが砕ける音がする。果たして一番機の左拳は、紅天狗のその顔を粉々に打ち砕いていた。


「やった……!! やったぞ……!! 紅天狗だか何だか知らねえが、大きい顔しやがって、ええ?」


 粉々に顔を砕かれた紅天狗は霧のように一番機の視界からすうっと消えた。二番機と三番機を音もなく殺した割にはあっけない最期だったな、と一番機は独り言ちた。だがとりあえずは勝った。勝てばこっちのものだ。視界も三つに分かれてきたことだし、そろそろ・・・


「……!?」


 一番機は自分の身に起きた異変にようやく気付いた。一つしかない視界が、三つに分かれ始めている。いいや、ちがう。視界が三つに分かれているのではない。自分の瞳が、三つに切られたのだ。


「ああ……! ああ……!! 目が……目が!!」

「フフフ……」


 そして後ろには、倒したはずの紅天狗がやはり不気味な笑みを浮かべて左腕の爪に付いたモールス星人の血をじゅるじゅるといやらしく舐めていた。


「なんで……お前……さっき……」

「私ね、瞬間移動の衝撃からお肌を保護するために体中に薄いバーリアを張ってるんだ。そのバーリアは瞬間移動するたびにはがれ落ちるようになっているけど、場合によってはそれが残像のように見えるときがあるの。つ・ま・り、貴方が攻撃したのは、質量をもった残像、というわけ。残念でした!」

「そ、そんな……ごぶ。」


 一番機の三つに分かれた視界はだんだんと緑色に染まっていき、そして暗くなった。ここにモールス・モビルダーはすべて全滅したのだった。あとに残ったのはモールス星人の死体と、乗り移られたジェットストリーム社のモビルダーだけだった。


「さあて、あとは・・・」


 紅天狗は、上空にうっすらと浮かぶ月に目線を向けると、にやりと口角をあげた。


 ・・・


 謎の赤い未確認生物が表れてから、数分も立たずに地球のモールス・モビルダーが全滅したことで、月の裏のモールス星人の宇宙船はてんやわんやになっていた。特に司令塔の二重瞼のモールス星人は目が泳ぎっぱなしであった。


「地球の……同胞たちが……みな、全滅……地球時間でまだ3分もたってないぞ!?」

「おい、奴のデーターはまだか!?」

「勘弁してくれ、本船との大容量データー通信は最速でも5時間はかかる。」

「あの巨人との関連性から少なくともやつもピロマ・クラル人かもしれん。」

「しかしあの速さは、我々では処理しきれぬぞ!」

「うかつだった、生き残ったピロマ・クラルの眠神は、ユメヒト一人ではなかったのだ。」

「どうする?」

「どうする?」

「どうしよう?」

「どうしよう?」

「わからない。」

「わからない。」

「やめろ! いくら話し合っても無駄だ! この際、いったん仕切りなおそう。本船に戻って、十分に対策を練ってからまたここに来れば……。」


 二重瞼の口が止まった。その目は、何かを見て、ひどくおびえている様子だった。


「お、おい、どうした?」

「もうだめだ……おしまいだ……奴が……奴が!!」


 二重瞼の見つめる先は船外カメラの映像だった。その映像は、暗闇に覆われた月の

 大地にたたずむ人影を差していた。その人影はだんだんと大きくなり、カメラに備えているライトの光源が届く距離になってその人影が写ったとき、彼らは震えた。紅天狗だ。彼女はすでにこの宇宙船が月の裏にあることを看破していたのだ。


「うわぁぁぁぁ!!」

「逃げろ!! 逃げろ!!」


 紅天狗の右腕に備わっている、細長い四角柱のような大砲が、キュイイと音を立てて、徐々に赤い光を帯びていく。モールス星人たちは慌てふためき、必死に宇宙船を動かそうとして逃げようとしたが、もう手遅れだった。


「ばーん。」


 彼女の大砲から堰を切ったように射出された破壊光線を正面からくらったモールス星人の宇宙船は跡形もなく消し飛んでしまった。無残にも破壊されていく宇宙船を見て、彼女は快感を覚えた。彼女は敵を倒すたびにエクスタシーを感じる戦闘狂なのだ。


「ああ、最高……宇宙正義の名のもとに侵略宇宙人ぶっ殺すのすっっごく気持ちいい……。貴方もそう思うでしょう?」


 彼女は自分の本体である球体に収まっている湯目野エルムの意識に語り掛けた。ユメネギは眠神を基底現実に呼び出しているときには意識は埋没するが、ある程度の意思疎通はできるようになっている。球体を撫でるとびく、びくと小刻みに震えるこの反応から察するに、エルムは紅天狗に恐れ、恐怖、畏怖のどちらかの感情を抱いているようだ。


「あらら、まだまだあなたはこの感覚を理解できる年ごろじゃなさそう。まあいいわ。これからまた私を呼び出す機会があれば、その時にまたじっくり教えてあげるからね。エルムくん。」


 球体は、やはりびくびくと震えているだけだった。

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