第41話 真面目に生き方を考えてみました
マリーに付き添われて自室に戻ったアリシアは、部屋の扉を閉めるとベッドに倒れ込む。
いつもなら不安げなマリーを気遣う言葉をかけるのだけど、その余裕すらない。
「お母様は、苦しんでたわ」
幼い頃の思い出が蘇る。
母が亡くなる直前の記憶。やつれていく母を、アリシアはただ見ていることしかできなかった。
不安な気持ちを父に訴えたくても、あの男は屋敷に寄りつきもしなかった。
(今なら分かる。あの男は、お母様が苦しむ姿を見るのが怖かったのよ。励ますことも助ける術を探す事もしないで、現実から逃げたんだわ)
いくら王から押しつけられた結婚とはいえ、病気の妻を放置したのは事実だ。
公爵としての仕事を弟に押しつけていたと自ら語っていたから、忙しかったという言い訳も理由にならない。
だったら何をしていたか……。
(エリザお
母が亡くなって程なく、後妻として屋敷に来たとだけ聞いている。
彼女に関しては、ロワイエに旅立つまでの短い期間の記憶しかない。
けれどジェラルドやティアの態度から察するに、父とは長く深い仲だったことはアリシアも薄々気付いていた。
その証拠に義妹のダニエラは、アリシアと一歳しか違わないのだ。
「どうして……」
貴族が妾を持つことを禁じる法律はない。政略結婚をした者同士、家族とは別に外に恋人を持つ者もいるのは事実だ。
だが仮にも夫婦となった相手が病に倒れ、苦しんでいる時に一度も見舞いに来なかった父をアリシアは許せない。
「悔しい」
父を、あの男を糾弾したいけど今の自分にはその力が無い。エリアスに頼ることしかできない自分が情けなく感じて、アリシアは涙をこぼす。
(私は皇帝の孫だとエリアスは言ってたけれど……)
皇帝が認めてくれたといってもそれだけだ。バイガルでは爵位も剥奪された、ただの娘に過ぎない。
「……違うわ」
アリシアの脳裏に母の明るい笑顔が過った。
記憶の中の母は、よくアリシアを伴って孤児院にパンやクッキーを配りに行った。困っている人がいたら助けるのが自分達の役目だと、母は事あるごとにアリシアに言っていた。
ロワイエに来てから、こっそり孤児院を回っていたのも母の教えがあったからだ。
「そうだ、あの男は……そんなお母様を叱ってた」
朧気な記憶の一つが蘇る。
孤児院に行こうとする母を父が引き留め、一度だけ言い争ったことがあった。
父の言い分は「汚い貧民に近づくな。金も勿体ない」という、公爵にあるまじき思想で幼心にアリシアも呆れてしまった。
慈善活動に興味もなく、魔術を毛嫌いしていた父。
冷静に考えると、あの頃からアリシアは父に対して良い印象が全くなかった。
「慈善活動を辛いって感じたことはなかったわ。この魔術の適性も、お母様から頂いた大切なもの」
アリシアは起き上がると、両手を胸に当てる。
母から授かった目に見えない矜持と魔力は、確かに存在してる。
滅多に自分の話をしなかった母。
それは母国のしきたりに従っただけと分かった。
バイガルで生きるには魔術は不要だと考えていたからだろう。
母国とバイガルとの架け橋になろうと努力した母の思いを、バイガル王家とレンホルム公爵は踏みにじったのだ。
母はきっと、復讐など望みはしない。
しかしアリシアが泣き暮らす事も望んでいないはずだ。
「私は前を向いて生きよう。お母様に恥じない、生き方をしなくちゃ……そうよ、私には魔術があるじゃない」
ラサ皇国の血縁者として認めてもらったのだから、母が手放さなくてはならなかった魔術をしっかり憶えようと改めて心に決める。
「そうだ!」
バイガルから持ち出した数少ない私物の入った鞄をクローゼットから出す。
鞄は底の部分が二重になっており、アクセサリーなどの貴重品を隠せる作りだ。
父と義母に見つからないよう、アリシアは母の形見であるオパールのブローチを忍ばせていた。
「困ったら迷わず使いなさいって言われてたけど、今がその時よね」
死の間際、母が伝え残した言葉だ。幼いアリシアは、「困窮したときに換金しなさい」と捉えてたが、母の出自を知った今ならその真意を理解する。
「確か召喚魔術に使えるはずだわ」
ブローチを片手に、アリシアは図書館から借りている魔術書を手に取る。
召喚魔術、特に知的な魔獣を召喚する際には宝石が必要になると書かれていた。
母ならきっとアリシアがしようとしている事を、喜んで許してくれるはずだ。
「お母様、私はバイガル国ともレンホルム家とも縁を切ります。そして立派な魔術師として生きていきます」
アリシアはオパールのブローチを握りしめ、亡き母に誓った。
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