第13話 グルームアイズ・シティヒーロー課の事情①

 グルームアイズ・ステーションは複数路線が乗り入れるターミナル駅である。そこから西に徒歩七分。かつては美容専門学校だったと言われる建物を大幅に改装した、グルームアイズ・シティオフィス第一庁舎。その七階は、来庁する一般市民は通常立ち入りを許可されていない。市民生活部ヒーロー課の拠点だからである。


「みんなも、とっくに肌で感じているとは思うが……きな臭い」


 会議室につどった三人のヒーローを見渡して、オルタネイト・マスターは毛むくじゃらの太い腕を組んで唸る。


 オルタネイト・マスター。グルームアイズ・シティヒーロー課の長。その深紅のスーツは、燃える闘志と正義の心の象徴だ。年齢は五十代後半と噂されるが、二メートル近い身長に分厚く堂々たる体躯を持ち合わせる。彼のことを、ある人は海外の鬼軍曹のようだと言い、またある人は獰猛な熊のようだと形容し、そしてスプレンディドマンは海外の獰猛な熊軍曹だと思っている。


「今週だけで八件。強盗と傷害が三件ずつに、恐喝が二件だ。誰が言ったか、グルームアイズはトーキョーで最も住みやすく、治安のいい街だそうだ。それが最近じゃ……市民が安心して眠れる夜は、久しく訪れていない」


「まったくですな。毎日毎日任務任務、キリキリ舞いとはまさにこのことよ」


 椅子に逆向きに腰掛け背もたれを腹に抱くようにしながら、気ままに合いの手を入れたところに、


「スプレンディドマン!」


 マスターの一喝が飛んだ。


「我々が問題に直面しているのは、君があまりに頼りないせいでもあるんだぞ。もう少しヒーローとしての自覚を持ってくれ」


 スプレンディドマンはそれこそ猛獣に射竦められたガゼルのように縮み上がったが、すぐさまマスターを睨み返し、「なんで俺のせいになるんですか」と不貞腐れる。


 マスターはやれやれと首を振ると、


「聞いたぞスプレンディドマン。死にかけていたところをエンシェントロブスター・シティのヒーローに助けられたそうじゃないか? よりによってエンシェントロブスター、あの性悪ババアのところか……まったく、余計な貸しを作りやがって」


 後半は独り言のようになり、心底面倒そうに息をこぼした。


「おや、」その時、スプレンディドマンの向かいに座る男が声を発した。たった一言だが、オペラ歌手のように深くよく通る声だ。


「私がプライマリーロッジの採用説明会に呼ばれていた最中、何やら面白い事態が持ち上がっていたようだね」


 フロストバイト。それが、その男の名だ。グルームアイズのヒーローとしては、スプレンディドマンの二年先輩にあたる。その純白のスーツは、氷を自在に操る能力の影響か、それとも単に白が大好きなのか、スプレンディドマンにはわからない。ひとつ言えるのはフロストバイトの白もまた、シリウス・ガールの第一形態プロトスターに負けず劣らず、一般的な白を超越した性質のものであるということだ。おまけにマスクの隙間から僅かに覗く首の素肌は、同性のスプレンディドマンも思わず見惚れるほど透き通っていて、ある種の神々しささえ感じる。


「面白いもんですか。まずね、マスターは重大な勘違いをしておられますよ。いいですか、俺は、一瞬足りとも、助けなんか求めてないんです。敵を追っていたらたまたまエンシェントロブスター・シティに足を踏み入れていて、そこにたまたまあのシリウス・ガールとかいう女が現れたんです。だいたい別の仕事が入ったのにちゃんと引き継いでないフロストバイトさんにも問題があるでしょうよ」


 スプレンディドマンは早口で捲し立てた。


「すまないな。急な依頼だったもので」フロストバイトが微笑みかける。特に申しわけないとは思っていなさそうな微笑みだ。


「そうだそうだ!」


 少し離れた位置から、フロストバイトとは対照的な明るい声が飛んできた。


「先輩はめっちゃくちゃ強いですよ。助けなんかいらない」


 声のする方を見やり、スプレンディドマンは親指を立てた。「よく言ったぞ勇気マン。この場で正しい意見を言える君は偉い!」


 勇気マンは得意げに胸を反らせた。


 彼は今のところ、スプレンディドマンの唯一の後輩である。すなわちグルームアイズのヒーローの中でいちばんの若手ということになるが、それにしても若すぎるように思える。実際のところは知る由もないが、ちょうど一年前に出会った当時はおそらくまだ変声期を迎えていなかった。何せスプレンディドマンは一ヶ月近く、女の子だと思い込んでいたくらいだ。


「シリウス・ガールだか何だか知りませんけど、先輩はね、自分より遥かに年下の、自分より遥かに強いヒーローに助けてもらわなきゃ敵一人倒せないような、情けなくてカッコ悪くてしょぼい男なんかではないのです」


 スプレンディドマンは腕を組み、深く頷いた。「まったくもってその通り。もっと言ってやれ勇気マン」


「ええ、言ってやりますよ。僕はあらゆる点において先輩のことを尊敬しているんだ。その証拠に僕はヒーローとして、先輩からの教えを忠実に守って活動しています。例えば任務のサボり方、定例会のサボり方、マスターの説教中にバレずに眠る技術……」


「まったくもってその通り」スプレンディドマンは腕を組み、頷いた。が、雄牛さえ怯えて逃げ出しそうなオルタネイト・マスターの鋭い眼光を横顔に感じ、さりげなく腕をほどいて咳払いをした。


「ほお、随分と偉くなったものだなスプレンディドマンよ」


 マスターの地を這うような声に、さすがに焦ったスプレンディドマンの、ごたごた御託タイム。


「いやいやいやいや、確かにたった今勇気マンが述べたようなことは紛れもない事実ではありますが、それは一種の愛情表現でして。こう見えて俺はマスターのことを両親の次に尊敬しているのです。というか、もはや親だと思っておりますですよ。時に厳しく、時に優しく、卑しく、さもしく、底意地の悪いマスターのことが、アタクシは心からだいちゅきなのです。ラブポーションスプレンディドマンなのです」


「やめろ気色悪い」


 マスターは顔をしかめ、蝿を追い払うように手を振った。それから後頭部を掻いて溜め息を吐いた。彼が一日に出す溜め息の八割は、多かれ少なかれスプレンディドマンに原因がある。


「ところで、君はなぜそんなに遠くに座っているのだ?」


 下座に一人ちょこんと座る勇気マンに向かって、フロストバイトが言った。勇気マンは白い歯を見せて笑った。彼もシリウス・ガール同様、鼻から下が見えるタイプのマスクを着用している。


「僕のような下っ端が、偉大なる諸先輩方とお席を並べるわけにはいきませんからね! いつかお隣に座れるように、日々精進していきたい所存です」


「君は正直者なのか、ただの馬鹿なのか、未だにわからんな」マスターが言った。


「馬鹿正直と言ってやってください」とスプレンディドマン。


「まあ少なくとも、スプレンディドマンよりは賢明だが」


「なんですと」


「さて、無駄話をしている場合ではない」マスターはテーブルに手をつき、少し声を張った。


「我々は既に、このの原因、すなわち火元を突き止めている」


 その口ぶりはやや深刻な響きを携えていた。例えば、ホームルームでクラスメイトの転校を告げる担任教師のような。スプレンディドマンの背筋も思わず伸びる。


「――ブルータル・スネイクだ」

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