第9話 シリウス・ガールの登場③
「シリウス・プロトスターよ」
雑居ビルの屋上にて、年季の入ったフェンスに身体を預けながら、シリウス・ガールが言った。
「プロト……何だって?」
「プロトスター。初めにあなたに見せた、全身真っ白の姿。私の
一応、シリウス・ガールはスプレンディドマンと会話をするつもりはあるようだった。だがその顔も声も、スプレンディドマンに向けられてはいなかった。彼女はただ、静けさを取り戻した街を、何か心残りでもあるかのように見つめている。
「エンシェントロブスター・シティのヒーローさんは、随分と面倒なスーツを着てらっしゃるんだな」
気ままに問いかけたスプレンディドマンに、シリウス・ガールは一瞥を投げかけた。
「……被験体なの」
数秒の沈黙の後、シリウス・ガールが呟いた。その言い方からは、わずかな息苦しさのようなものが感じ取れた。
「エンシェントロブスターは次世代スーパーヒーロー育成特区に指定されている。その中でも私は最年少にして最も多くの成果を挙げているとかで、上から先進戦闘着開発モニターとかいうのに任じられてしまって。最新鋭のスーツは基本、あなたみたいなポンコツヒーローでも安全に着用できるようになるまで、優秀な私を使って何度も実戦におけるデータを集めている」
高慢な物言いに、スプレンディドマンは腹を立てた。腹を立てたが、それを表に出すことはあえてしなかった。シリウス・ガールは見たところまだ子どもだ。生意気な言動のひとつやふたつ、笑って許してやろうじゃないか――と、スプレンディドマンは大人の余裕を見せつける。だが残念ながら、彼がポンコツなのは疑いようのない事実。
「ま、その最新のスーツが悪党を打ち破り、一人のヒーローを救ったわけだから、極めて意義のある実験と言えますな」
大きなあくびとともに言ったスプレンディドマンを、シリウス・ガールはマスク越しにもわかるくらいに鋭く睨みつけた。
「何が意義のある実験よ。たまたま私が通りかからなかったら、あなた、いったいどうするつもりだったわけ?」
「さあな。その時はその時で、別の方法で華麗にピンチを切り抜けていたさ。たぶん」
「まったく情けない。グルームアイズ・シティのヒーローはたった一人の悪党さえまともに倒せないなんて」
「いやそれは誤解だ。たった一人だけなら、何のこれしき
シリウス・ガールは諦めて、溜め息をひとつこぼした。おそらく準備されていたであろうスプレンディドマンへの文句や罵倒の数々は、言葉になる前に空に溶けていった。
再び、沈黙が降りる。やけに長く冷たい沈黙。スプレンディドマンは仰向けに寝転び、目を閉じた。特に意味はない行動だが、なんとなくそうした。程なくして眠気が襲ってきた。
「なんのために戦う?」
ふいに、シリウス・ガールが尋ねた。
「……何か言ったか?」
「あなたは、なんのために戦ってるの? そう聞いた」
「何のため、って……そりゃあ、これが仕事だからだよ」
重い上半身を起こしながら、そう答えた。
「幸か不幸か、俺たちは特別な力を持って生まれた。その力で世のため人のために汗水垂らして働くのが、ヒーローの宿命だろ。だから何のためかって言えば、生きるため……より直接的には金のためってことになるだろうな」
「それじゃ、もしあなたが大財閥の御曹司で、一生遊んで暮らせるほど裕福だったなら……ヒーローにはなっていなかった? 能力者だったとしても?」
「んー、どうだろうな。働かなくていいってのは嬉しいが、ヒーローの仕事がゼロになっちまうのも、ちっとは寂しいような、悔しいような気がする」
曖昧に答えた後でスプレンディドマンは、口をついて出た「悔しい」という言葉に、少し驚いた。スーパーヒーローであることへの、誇り、情熱。そんなものはとうに消え去ったと思っていた。だが――俺はヒーローとして、まだ何も成し遂げていない。そう思う。そう、思える心がある。
「あなたは、どんなヒーローになりたいの?」
聞き方を少し変えて、シリウス・ガールが再び尋ねた。スプレンディドマンは腕を組み、先ほどよりは真剣に考えた。考えた末、ごく単純な答えを口にした。
「俺は……強くなりたいと思う。ゼニスマンのように」
ゼニスマンへの憧れ。それがスプレンディドマンの原点だった。シリウス・ガールとの短い会話を通して、忘れかけていた思いを取り戻した。
なんとなく、胸に拳を当ててみる。そこには小さくも明るい情熱の炎が、確かに燃えている。
「あなたの前にはふたつの道がある。ただしそれは、敵に勝てるか、勝てないかじゃない。立ち向かうか、逃げるかよ」
顔を上げると、いつの間にかシリウス・ガールが目の前に立っていた。
「選ぶべき道はひとつ。私たちヒーローは、立ち向かうしかない」
そう言って、シリウス・ガールは右手を差し出した。スプレンディドマンはその手を握り返し、立ち上がった。目の前にすると随分身長差があることに気づく。シリウス・ガールは首をほぼ直角に曲げ、マスクの奥から見つめてくる。
「強くなりなさい。少なくとも、年下からこんな説教をされずに済むくらいには」
心なしか嬉しそうな微笑を見せると、シリウス・ガールはさっと身を翻した。たちまち、その身体から赤いラインが消え、最初に目にした姿――確かシリウス・プロトスターとか言った――
宙に浮いたような不思議な心地のまま立ち尽くすスプレンディドマンには目もくれず、シリウス・ガールは屋上から飛び降り、去っていった。
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