第3話
「……このままだと三歳、死ぬよね」
「……ああ、だろうね」
先生は取り繕うことはなかった。
瞑目。たったそれだけの言葉が、思った以上に心に刺さった。主治医の言葉は重い。口の中が乾いていく。呼吸に浅ましさが見え隠れする自覚があった。
「でも、先生なら三歳を救える。そうでしょう?」
早口になっていることをどこかで遠く感じた。けれど焦燥は絶えず、冷静さは早鐘を打つ鼓動にかき消された。
先生はこっちを見ない。このままならきっと、いつまでも。
「あの子を……ねえ先生、矢倉三歳を死なせないであげて」
縋るように見つめる。無茶な要求をしているのはわかっている。如何に三鳥刹那が天才と揶揄されようと、人間には誰しも限界がある。けれど彼女は断らない。それが彼女の優しさで、去崎御雲という人間の弱さだった。
「……いいよ、約束する。何があってもあの子を生かそう。私がそばにいる限り、あの子には死なせない」
先生はそれでもこっちを見ることはなく、けれど真摯に言い切る。
その言葉だけで俺にとっては十分だった。精いっぱいの感謝と親愛を込めて笑顔を作る。きちんと笑えているかは分からなかったけど、それでも、伝えたい思いがあった。頭を下げる。
「ありがとう」
顔を上げると、先生は少し気まずそうな顔をしていた。目が合うとすぐに顔を背けられた。見てはいけないものを見てしまった気がして、こちらまで居心地悪くなる。
「っと、いけない。当の三歳ちゃんを待たせてるんでね、私はもう行くよ」
大仰に腕時計をかざして、先生は颯爽と歩き出す。別れ際に、小さく「ごめんな」と呟いたのが聞こえた。
背中を見送って、顔を歪ませる。
「聞こえるっての」
吐き捨てるように呟いた。ひとりぼっちの空間に、切ない響きだけが余韻として残った。
そんなことは俺が一番よくわかってるよ。拳に力が入る。
それでも、去崎御雲は無力だ。看過することはできないが、嘆く以外の術を持たない。或いは、それは答案を持たないだけなのかもしれない。正解さえ導くことができたなら、彼は、彼らは、きっと今のままではないのだ。
後ろ髪引かれる思いはもちろんある。いつだって、心に蟠りを残して、けれど核心には触れないように、俺たちは日々を生きている。そうやって生きていかなきゃいけない。だって俺たちは違う。俺たちには残されている時間に大きな隔たりがある。その事実を見て見ぬ振りするのは傲慢じゃないか。それを受け止めきることができるだなんてのは欺瞞じゃないか。
三歳の笑顔が蘇る。握った拳は、情けない言い訳でどこかに熱を逃がしてしまった。
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