第2話
「じゃあ、もう行くね」
「うん。また今度」
夕日がとっぷりと沈み、夜が深まってきた頃合いで面会時間終了のアナウンスが流れた。
別れの挨拶を済ませ、静かに目を閉じる。遠ざかる相手の気配。その切ないようで温かい明日への希望が、三歳は好きだった。御雲の存在は、三歳が生きるには充分すぎる動機なのだ。真っ赤な西陽に頰を射抜かれ、ほ、と安堵のため息をついた。大丈夫。私たちは、大丈夫。にっと意識的に口角を上げて、三歳はひとり夜を迎える。
誰の目も付かなくなったところで、御雲は小さなため息をひとつ落とした。今日という一日の残酷な末路を受け止めきれずにいたのだ。三歳の言葉で、不安はほとんど確信へと変わってしまった。あの子はきっと、死ぬ。それを確かめずにはいられなかったが、直截的な言葉にしてしまうのが怖かった。答えの出ない逡巡に苦しんでいると、タバコの匂いが鼻についた。
顔を上げると、白衣を纏った痩身の女性が壁にもたれて腕を組んでいた。目が合う。顔をしかめたのは、副流煙のせいだけではない。
御雲の嫌悪など知ったことではないというように、女医は声を投げた。
「健気だね、ここのところ毎日見るよ」
女医の名は見鳥刹那。天才だ。
「先生、盗み聞き?」
つい恨み言のように不満げな口調になる。
「失敬な。医者が患者を気にして何が悪い」
傲然と言い放って、刹那は御雲の横に腰かけた。
よくもぬけぬけと。ついため息が溢れる。
「よくそんなので三歳に信頼されてるね」
「なに、嫉妬?」
刹那は楽しそうにカラカラと笑って御雲の顔を覗き込む。
「……違えよ」
「ま、あの子はあの子で思うところがあるのさ。その点は心配しなくていいよ」
携帯灰皿に灰を落として、刹那はあっさりと言い切る。先生の言葉の強さに、続けようと思っていた言葉が揺らぐ。視線を彷徨わせても答えはどこにもない。
知ってか知らずか、先生は横目をちらりと流して立ち上がった。
「ともあれ、君が元気でよかったよ。それが見たいだけだった。私は三歳ちゃんのところへ戻るよ」
「待って」
声は咄嗟に出た。覚悟が決まったわけではない。この人に尋ねることが、正しいことなのかもわからない。定まらない心持ちのままだ。けれど。けれど、この人は絶対だ。答えを知っている。そして、この人は優しい。
「先生、さっきの三歳との話、聞いてたんだよね」
「全部じゃあないが、おおかた予想はつくよ」
「てことは、さ」
言葉尻に残る煮え切らなさが歯切れを悪くする。けれど。知りたい。知って安心したい。予想を否定されて安心と絶望を得たい。肯定されて遺恨と歓喜を得たい。きっと、どちらも同じくらいに欲しかった。口火を切る。
「……このままだと三歳、死ぬよね」
心臓が小さく跳ねる。答えは、とうに知っていた。
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