十、綺麗な花には牙がある
誰かが抜刀したのかという衝撃は、すぐに別の驚愕へ切り替わる。細長い祓念刀が貫いているのが見慣れた黒い靄だと気付いたからだ。
ぎゃぎゃ、と妙な音を立てて
あとに残ったのは、突然の事態に唖然としている男たちと、それを見てすかさず腕から無礼な手を払いのける鳴虎。それから。
「……なッ、何……」
「失礼いたしました。お怪我はありませんか? ……では、我々はこれで」
いつ抜いたのかも悟らせず的確に音念を葬ったナギサは、静かな声で折り目正しく離脱を告げた。
そのまま流れるような動きで蛍を自分の側に寄せ、ついでに呆然としていた時雨の背を押して、移動を促す。
……いや、少年の表情は、少女が想像していたよりわずかに青い。それで蛍も察してしまった――もしかして、今の音念の出所は。
時雨がたまに音念を出すことくらい蛍だって気づいている。向こうも隠せているとは思っていないだろう、もう十年も一緒にいるのだから。
けれど面と向かって言及したことはない。自分たちには対処する手段だってあるから、あまり気にする必要もなかった。
けれど、それも『今まで』の話。
「ッおい待てよ! てめぇ今の、隊規違反じゃ――……」
「――」
酔っ払い三人のうちとくに気の強そうな人が我に帰り、またしつこく呼び留めてくる。
もうやめてくれと叫びたくなった。声が出せたら、実際に何か呻いてしまったかもしれない。
けれどもナギサが振り返った瞬間から罵声は急に勢いを失って、とうとう消え行ってしまった。蛍には辛うじて彼女が呟いた返事が聞こえたように思う。
言葉ではない。ただ「あ゛?」というガラの悪い問い返しが、ナギサのものとは思えないほど低い声で発されただけ。
向こうを向いているから表情も見えなかった。
色を失った男性を、それまで静観していた四人目が肩を叩いて呼び戻す。
「もういいだろ、行こうぜ。……連れがすんませんでした」
なんだったんだろうか。
ともかく彼らはそのまますんなり去ってくれたので、蛍は心底ホッとして、もうそれ以上は気にならなかった。
それより心配なのは時雨だ。といっても彼は彼で、自分のことなどどうでも良さそうに「なあ蛍だいじょぶかよ」とこちらを気遣ってくるので、ある意味普段どおりなその姿に閉口してしまう。
これに甘んじてはダメだ。蛍がしっかりしないと、時雨に負担をかけてしまう。
そう思うそばから鳴虎が寄ってきて蛍の肩をさすりながら「も~ッ、ホント困るわね」と大きな溜息を吐くのだった。
「いつもああいう手合いに絡まれるの?」
「毎回じゃないけど。やっぱりうちは女が多いから、ヤ~な視線投げてくる輩はいるかな……でも今日のはちょっとしつこすぎ。ね、蛍」
「……」
「そう。……あなたたち、見た目がかわいらしいものね」
ぼやくように言って肩をすくめるナギサは、この中で一番背が高い。鳴虎や蛍はもちろん、伸び盛りの時雨より抜きんでているから、ハイヒールかシークレットブーツでも履いているのかと思うくらいだ。
蛍の体感では
とはいえナギサも手足や腰は折れそうなくらい細いし、髪も艶やかなゆるいカールのかかったロングヘアで、決して屈強そうな容姿ではないのだけれど。
*♪*
そのうえ音念事件は減る気配がないのだから、平たく言ってあんなやつらは税金泥棒――萩森班に絡んだ三人もそう考えていた。そういう考えの市民は別段珍しくはない。
そんな連中が女ばかりで連れ立って、唯一の男は十代そこそこの若者だけ。憂さ晴らしには恰好の的だ。
……そのはず、だったのだが。
「んだよあれ~」
「……」
思わぬ反撃を受けた一人は、バツの悪い表情ですっかり黙り込む。その肩を抱きながら、最後に止めに入った男が、宥めるような口調で言った。
「まぁまぁ、どっか入って飲み直そうや」
「てか何おまえ一人だけギョーギよくしてんだっつの。いつもはオンナノコ見たら真っ先に絡むクセによ」
「そーだよ裏切り
「ハハ、そりゃ相手見ずに特攻したおまえらが悪い。……前にさ、兄貴に聞いたんだよ、デケェ女には気をつけろって」
なんだそりゃと訝しげな眼差しを並べる三人の仲間に向けて、男は続ける。
もう十年は昔の話らしいんだが、と前置きして。
――そいつはかなり凶暴な女だ。しかもデカい。
つっても細っこいから到底そうは見えねぇんだがな。大人しそうなツラして、喧嘩はここらじゃ誰よりも強かった。
何人も病院送りにされたって噂だが、まぁそりゃさすがに尾鰭が付きまくってるだろうし、実際はせいぜい四、五人てとこだろ。……それでも女と思えば充分やべぇ部類だが。
だがな、あいつの恐ろしさはそこじゃない。
だってフツー思うだろ? そんな目障りな女はとっとと潰しちまうべきだってよ。
奴はな、いざ会っちまえばそんな気が萎えるぐらいの美人だ。そのうえ凄まじくエロい。
何人もあの女の『お世話』になって骨抜きにされた馬鹿を見たよ。
……俺? だから言ってんだろエロかったってよ。
とにかく、
それが人呼んで『鉦山のマムシ』。
いいか、だから背の高い女には気をつけろ。それも男並みにデカくて美人だったら尚更な。
もう何年も前に見なくなったが、噂じゃ葬憶隊になったとか、制服着たそれらしいのを見かけたって話は、ちらほら聞いたことがある。
本人かどうかはわからねぇが。……ってもそうザラにゃいねえよな、百八十ある女なんてよ。
「また元ワルの兄貴の話かよ。どうせフカシだろ」
「いやホントだって」
酔っ払い男たちは雑談にふけりながら、早飲みの看板が立ち並ぶ通りの人混みに消えていった。
物陰に潜む、何匹かの野良猫たちに見送られながら。
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