十一、雑音始末の表裏

 ナギサが斬った音念ノイズの消え方は、なんだか特殊だった。


 いつも蛍たちが倒すときは、靄を構成する粒が一つずつ減っていくような感じだし、一度に消せるのは祓念刀が触れたごく狭い範囲だけ。だから『削る』という表現が似つかわしい。

 けれどナギサは音念全体をすり潰したみたいに一撃で消した。その際、聞き慣れない音もしていた。


(特務隊って特別な祓念刀を使ってるのかな。それともそういう技なのかな)


 気になってついチラチラ見ていたら、視線に気づいたナギサと目が合った。途端に身体がぎくりと強張る。

 美女の怜悧クールな眼力には、同性すらドギマギさせる迫力があった。さながら蛇に睨まれたカエル、肩をいからせて固まってしまった蛍を、横から時雨がつっつく。


「どった?」

「! ……、……」

「あーそれな」

「ちょっとあんたたち、先輩がいるときまで二人だけの会話しないの」


 呆れ顔の鳴虎に「いつもこうなの?」と尋ねるナギサ。

 はい、いつもこうです。


「さっきナギサ先生が斬った音念、一気にズァッて消えたの、あれどういう仕組みなんすか?」

「ああ……厳密には『斬った』のではありませんよ」

「?」

「いうなれば『分解』です。……まず音念の形態についておさらいしましょうか」


 ナギサの顔が特務隊員から指導教官の顔に変わったような気がする。以後、歩きながら説明が続いた。


 音念とは、人の強い思念が起こした音波振動〈恐鳴スペクター〉によって、空気中の微粒子が霊体プラズマ化したものである。

 対する祓念刀は逆相位の音波を発生させ、恐鳴を相殺することで霊体を『削る』。


 ここからは考え方の違い。


 通常班は人命救助が最優先だから、音念は活動不能な状態まで『小さく』すれば一旦はそれでいい。要救助者を避難させたあと、余裕があれば完全に消す。

 できるなら残留奏ざんがいまで処理しておきたいが、当日が無理なら後日でもいい。


 一方、特務隊はスピード勝負。

 たとえば上級音念ボイスタラスが複数体いる現場など、共食いが始まれば命取りになる。そして音念が大きいほど活動停止に陥らせるまでに時間がかかる。

 ――この説明に蛍と時雨は顔を見合わせた。上級音念にひどい目に遭わされたのがまだ記憶に新しい二人としては、それが複数いる現場なんて考えたくもない。


 さて、そこで編み出された戦闘技術が『霊体分解』である。恐鳴を相殺すると同時に、結合点を破壊することで、霊体の再形成を阻害できるのだという。

 ……なんて言葉で言われてもピンとこないけれども。


 ただ、すり潰すようだと感じたのは、ある意味正しかったらしい。刃の周りでぎゃあぎゃあ呻いていたのは、霊体が壊れていく音だったのだ。


特務隊われわれは音念の処刑人です」


 ナギサはさらりとそう締めくくる。その声音には何の感情も――たとえば誇りとかそういう色が、少しも載っていなかった。




 *♪*




 葬憶隊中部支部。最上階の見晴らしのよい部屋で、終波ついなみタケは一人の老紳士と対峙していた。

 まず目につくのは時代錯誤な金縁の片眼鏡モノクル。髪は見事なロマンスグレー、しわだらけの頬には柔和な笑みを湛え、品のいいスーツに包まれた手には小洒落たティーカップ。

 対照的にいつもと変わらぬ無表情と隊服を着込んだタケは、堅苦しく口を開いた。


「お時間いただきありがとうございます、支部長。単刀直入に――」

「……やだなぁタケさん、僕らの仲なのにそんな仰々しい。せっかくだから座ってゆっくり話そうよ。立ってるのもつらいでしょ、腰がさ」

「……。じゃあお言葉に甘えるわ」


 当人が勧めたのだから遠慮なく、タケは応接セットのソファーにすとんと収まった。クッションが柔らかすぎて逆に負担になりそうだ。

 支部長もデスクを離れ、彼女の向かいに腰を下ろす。


「や、こういうのもなんか久々だね。お互い忙しくなっちゃったよねぇ」

「そうですね。……昔話ついでに、照廈てるいえ駒吉こまきちの話でもしましょうか」

「おっと……いきなり来るなぁ。何、今日の用件は彼関係なのかい」

「さあ。パンドラの箱を開けてみないことにはわからない。私が尋ねたいのはね、旺前おうまえさん、ここ十年の間に照廈絡みの案件についてです」


 互いの瞳がかち合った。片眼鏡の鎖がかすかに揺れているのが、旺前支部長の唯一示した動揺なのかもしれない。

 笑顔は少しも歪めずに、彼は答える――それは答えられないね。


「期待どおりの返答ですね」

「や、単にね、照廈絡みで処理した案件なんて山ほどあるからさ。小さいのも含めたら百件以上になるんじゃないかなあ」


 タケの嫌味に旺前は平然と返した。顔色ひとつ変えず、口許に運ぶ紅茶をも数分前と同じように味わいながら。

 良くも悪くも胆力のある男だ。でなければ支部長の職などやってはおれまい。


 葬憶隊とテルイエグループとは、平たく言えば癒着の関係にある。テルイエの技術力に支えられているのは実働部隊の装備の製造開発だけではない。

 そもそも歴史を遡れば葬憶隊設立以前からの付き合いなのだ。〈音念ノイズ〉という現象のメカニズムを最初に解明し、対抗策である祓念刀を発明するのにも、テルイエからの資金および技術的な援助がなければ何年遅れたかわからない。

 そして永らく両者の仲介役を引き受けてきたのがこの男、旺前麒三郎きさぶろう


 タケとて理解している。成り立ちからして葬憶隊が完全にテルイエと手を切ることなど不可能だし、そもそもそんな必要はない。

 これまでもそうであったように、互いを上手く利用し合うだけ。


「絞り込めないなら、もう少し具体的な条件を出せば調べてもらえるのかしら」

「彼らの不都合にならない範囲でならね」


 暗に『NO』と告げられている。隠蔽しなければならなかった時点で後ろ暗い内容だ、掘り返されたくはないだろう。

 けれどもタケは無視した――「子どもが死んでいる」まっすぐに片眼鏡を貫いて、旺前の瞳を睨みながら。


「……穏やかじゃないね」

「先日報告した騒念クラマーの調査中に、対象が発した名前の主です。それを聞いた雀嗣ワカシが心当たりがあると言っている」

「なるほど。そういうことなら手がなくもないかな。ワカシくん、今は巡回中?」

「いえ」


 なんとなしに窓の外を見る。鈍色に広がる納琴なごと市のビル群の上を、一羽の鳥が飛んでいた。

 カラス、あるいはハトかムクドリだろうか。


「今は昇級試験中です」



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