舞
…………。
気がつくと暗闇の只中にいた。
起き上がろうと身体を動かすも、まるでコンクリートの壁の中に塗り込まれたかのように、腕どころか指一本動かすことが出来ない。
胸の前で折りたたまれた腕の中に、柔らかくて温かな塊があった。
それが何なのかはわからない。
ただ妙に愛おしかった。
この何もない世界に閉じ込められた俺に、安らぎを与えてくれる唯一の存在。
「……舞」
何故だろう。
自然と口から漏れて出たのは恋人の名前だった。
(……ああ。ああ、そうだ。俺は……俺たちは地滑りに巻き込まれたんだ)
ここには光もなければ音もなかったが、呼吸が出来ているということは顔の周辺に空間が確保されているのだろう。
「舞?」
俺の腕の中にいるであろう恋人に声を掛ける。
「……イツキ」
弱々しい声色で返事が返ってくる。
「よかった……。舞、どこか痛いところは?」
「背中が少し痛いけど、でも大丈夫。イツキは?」
「俺も平気。だけど身体がまったく動かせなくて」
本当は全身に鈍い痛みがあったのだが、彼女に心配を掛けたくはなかった。
「聖っ! 南海っ!」
渾身の力を振り絞り叫ぶも、聖と南海からの応答は得られなかった。
そもそも声が届く範囲にいないのかもしれない。
「舞。とにかく今はどうすることも出来ないから、何か音が聞こえるまで――助けが来るまではこのまま耐えよう。大丈夫そう?」
「うん。きっと南海ちゃんと聖くんもそうしてるんだよね?」
「ああ。きっとそうだと思う」
きっとそうだと思いたかった。
何れにせよ今の俺には何も出来ない。
もし聖か南海のどちらかでも、運良く埋まらないで逃げることが出来て――
…………。
いつの間にか、また気を失っていたらしい。
(寒い……)
多量の水分を含んだ土砂に今こうしている間にも、刻一刻と体温を奪われていくのがわかる。
それに呼吸もさっきよりも苦しくそのサイクルも短く、そして浅くなってきていた。
きっとそれは、俺に終わりの時が近づいてきているのだろう。
「イツキ? 起きたの?」
顔の下から彼女の声がする。
「……俺、どのくらい落ちてた?」
「一時間くらいだと思う。もしかしたら私も寝てたかもしれないから違うかもだけど」
「寒くはない?」
「うん。イツキの身体が温かいから。……それよりも静か過ぎて恐いの。少しだけお話してもらってもいい?」
「そうだね。そうしよっか」
恐らくこれからするこれが彼女との最後の会話になるのだろうと、そんな確信めいた予感があった。
ただもしそうだとしても、一秒でも長く俺の体温で彼女を温めていてあげたかったし、一秒でも長く彼女の声を聞いていたかった。
混濁しつつある頭をフル稼働し、どんな話をしようかと思案していると彼女が口を開く。
「ねえ、イツキ。一学期の始業式の日のことって覚えてる?」
舞は二人が初めて出会った日にまで遡って、長くて短かった今日までの出来事を事細かく話し出した。
「初めてイツキと目が合った時にね、私すぐにわかったの。ああ、私はきっとこの人のことを好きになるんだって」
「俺は確か、すごく綺麗な女の子だなって。それが第一印象だった」
「……やだ、もう。でね、南海ちゃんにお願いしてイツキと仲良くなろうって思ったんだ」
「言われてみたらあの時の南海、ちょっと不自然だったもんな。てゆうか、その話って確か前にも聞いたことがあったかも」
「そうだったっけ? それで、そのあとは……」
「確か三人でお好み焼きを食べに行ったんじゃなかったっけ?」
「そうそう! それでね、その時もだけど小池先生には感謝しないとね。私たちが仲良くなったのって、先生のお陰な部分がかなりあったと思うの」
「ああ。俺もちょっとだけそう思ってた。認めたくはないけど」
「そのあと電車で一緒に帰ったでしょ? 私、あの時にはもうイツキのことを好きになってたの」
「電車、すごく空いていたのに。舞が隣に座ってきて。俺はドキドキして……」
「家に帰ってからもずっとイツキのことばっかり考えてたんだよ」
「……光栄だよ。でも、すこしはずかしいな……」
「文化祭も楽しかったよね。準備の時、ずっとイツキと一緒にいられて。このまま時間が止まればいいのにって、こっそりそう思ってたの」
「……俺も、だよ。いまだから、言うけど……準備しながら、ずっと――」
「イツキ?」
っと、ごめん。
俺もね、舞のことをずっと見てたんだ。
誰よりも一生懸命なのに、そんなことはおくびにも出さない、がんばり屋さんの舞のことを。
「ちょっとやだ、恥ずかしい……。でもさ、うちのクラスの出し物、大成功だったよね?」
うんうん。
小池先生も他の職員に褒められたってニコニコしてたもんね。
「三年生の模擬店で食べたクレープ、すっごく美味しかった。もう一度食べたかったな……」
俺が注文したやつのことを言っているのなら、それは同意しかねるけど……でも、うん。
舞と一緒だったら、俺もまた食べてみたいかもしれない気もしないことはないよ。
「そういえばイツキ、バスケ部の一年の子に告白されてたよね」
ああ、そんなこともあったね。
いったいぜんたい、俺のどこがよかったんだろうね。
でも、彼女のお陰で俺は舞と付き合えたのかもしれない。
「部活の合宿も楽しかった。イツキと……初めてキスしたのもその時だったよね」
あの夜のことは一生忘れないよ。
絶対に。
「それに昨日……。私、幸せだったよ」
俺も同じ気持ちだよ。
「イツキ……」
うん?
「……私、恐いの。イツキと離れ離れになるのが恐いの……」
そんなことにはならないよ。
約束する。
どんなことがあっても絶対に、舞のことを一人になんてしない。
たとえ俺が死んでも絶対に君を死なせなどしないから。
「……ありがとう。それ、私も同じだからね。最後にもうひとつだけ、いい?」
うん、いいよ。
「イツキ、愛してる」
俺もだよ、舞。
もし自分が生まれてきたことに何らかの意味があるとすれば、それは君と出会うためだったって、本気でそう思ってる。
君と過ごした時間は、この世界に溢れるすべての光よりもずっとずっと眩しくて、どんなに高価な宝石よりも、ずっとずっと美しくひかり輝いていた。
ありがとう、舞。
俺と出会ってくれて。
大好きだよ、舞。
永遠に――愛してる。
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