空が降ってくる

 もともと形骸化していた班行動のルールは遂に正式に撤廃された。

 代わりに必ず四人以上のグループで行動し、本来は十八時までに宿に到着すればよかったところを十七時に前倒しされた。

 前者は折角計画していたものが駄目になってしまったことに対する、我々生徒への配慮だと思われたが、後者は今や警報が発報されるまでになった雨への対応だろう。


 俺と舞、そしていつものメンバーである聖と南海の四人は、ガラス工房のすぐ近くにあるハンバーガーショップで昼食を済ませることにした。

 ここを選んだのは雨のなか長距離の移動したくなかったことが第一で、それぞれの嗜好にあった物が提供されていたのが第二の理由であった。

 俺と聖はハンバーガーセットを、舞と南海はパンケーキをそれぞれオーダーする。


「このあとってどうする? どこかに寄ってから旅館行く?」

 南海はそう言いながら高尾山ほどの標高がありそうなクリームが乗ったパンケーキを器用に切り崩していた。

「オルゴール館に行きたかったけど旅館とは方向的に逆になるし、私は特にかな。イツキと聖くんは?」

 多少の雨であれば舞の行きたがっていたオルゴール館とやらに行ってから、というプランも悪くなかったが、窓の外で本降りになったそれを目の当たりにすると、早めに宿に戻るのがもっとも懸命であろうことは明白だった。

「旅館に早めに着けば自由にしていいって言ってたし、直帰で良くないかな? 自由行動は明日もあるんだし」

「ん? ああ。俺も五月と同じで」

「じゃあ、食べ終わったらタクシー呼んで旅館に行こっか」


 レジで精算を済ませてから店の出口に向かう。

 ガラス扉の向こうに見える外の景色は、入店した三十分前から一変していた。

 すぐ目の前にあるはずの道路すら見えないほどの大粒の雨が、真っ暗になった空から無限に降り注ぎ続けている。

 辛うじて目視出来る道路手前の歩道は、道というよりはちょっとした川のようになっていた。

 北海道は梅雨がない代わりに秋雨が本州よりも激しいという話をどこかで聞いたことがあるが、これがそれだとしたら激しいどころの騒ぎではない気がする。

 いつの間にか店のオーナーさんと思しき中年の男性が隣に並んで立っていた。

 彼は不安そうに空と道路を交互に見ながら、少し厳つそうな髭面からは想像出来ないような優しい声で話し掛けてきた。

「君らはこれからどこに行くの?」

「はい。タクシーで宿に向かうつもりです。……それにしてもすごい雨ですね」

「ああ。この季節でもこんな大雨は何年かに一度あるかないかだよ」

 確かに俺の地元でもこれだけの雨は滅多にお目に掛かったことがないレベルで、こうしてすぐ隣に立つ人と話すのにも少し声を張り上げる必要があるくらいだった。


 到着予定を大きく遅れてやってきたタクシーに乗り込むと、年配の運転手さんが開口一番に「国道は冠水してるみたいでさ、少し遠回りになるけど大丈夫ですかね?」と聞いてくる。

 それほどの事態なのかと驚きながらも、道順はすべておまかせしますといった旨と行き先を告げる。


 タクシーの屋根を穿うがたんばかりの雨粒が立てる大きな音のせいで、車内はいつしか異様な緊張感に包まれていた。

 道路状況の確認のためだろうか。

 運転手さんは無線で頻繁に会社と連絡を取りながらゆっくりと走っているが、ところどころで冠水している道路を迂回せざるを得ずに、ほどんど距離を稼げないまま時間だけが過ぎていく。

「他のみんなは大丈夫かな?」

 舞が俺の耳に顔を寄せて不安げにつぶやいた。

「流石にみんなタクシーを使うだろうから、きっと大丈夫だよ」

 もっとも十七時の『門限』に間に合わないグループも出てくるかもしれないが、この状況ではそれが問題にされることもないだろう。

 それでも心配そうな顔をしている舞に、今度は俺が耳打ちをする。

「明日は晴れるみたいだよ。水族館、楽しみだね」

「……うん! クジラいるかな?」

 薄々気づいてはいたが、きっと彼女は大きな生き物が好きなのだろう。

「クジラはわからんけどイルカショーはあるみたいだよ」

 少し強引にではあったが、明るい話題を持ち出したことで彼女の表情も多少晴れたような気がする。


 ようやく市街地から抜けたタクシーは、目的地へと続く小さな山を上っていく。

 道の両脇に生える木々のお陰で雨脚も幾らか弱くなったが、山肌を流れてくる雨水で道路はウォータースライダーの様相を呈していた。

 それでも運転手さんからすると、先ほどよりも道路状況は大分改善されたようで、タクシーはその速度を初めて大きく上げた。


 山道を右へ左へと登り続けること十数分。

「はい、到着です。遠回りで悪かったね」

 すかさず舞が感謝の言葉を述べた。

「とんでもないです。こちらこそこんな日にすみません。お陰で助かりました。ありがとうございました。帰り道、気をつけてくださいね」

「いやいや、なんもさ」


 タクシーを降りて旅館のロビーに入った途端、俺たちの姿を認めた学年主任の教諭が慌てて駆け寄ってくる。

「都筑、岩水寺。下の方の雨はどうだった?」

 その顔には若干の焦りが見られ、教師たちにとってもこの天候は不測の事態だったことがはっきりと感じられた。

「大通りは冠水していて通れませんでした。でも、タクシーを使えば大丈夫だと思います」

 俺がそう伝えると先生は少しだけ安心したようだった。

「そうか。それじゃあ到着したばかりのところ済まないんだが、君らのクラスの生徒で連絡を取れる者には、タクシーを利用してこちらに向かうよう指示を出して貰えないか? 料金は学校が持つとも伝えて欲しい」

「わかりました。クラスのタイムラインに書き込んでから個別で連絡が取れそうな奴には電話もしてみます」

「ありがとう。それじゃ、君たちのクラスのことはお願いします」

 先生は俺の肩を軽く二回叩くと踵を返し、ロビーに座っている他のクラスの委員長の元へと走っていった。

 恐らくは今と同じことを依頼するためなのだろう。

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