硝子細工
雨が本降りになる前に何とかガラス工房へと辿り着いた俺たちは、肩についた雨粒を手で払いながら工房の中へと足を踏み入れた。
そこには色とりどりのガラス細工が展示されており、先ほどの美術館でステンドグラスの芸術性に気付かされたばかりの俺にとっては、今日の予定変更は渡りに船に思えた。
「あ、イツキ!」
気に入った展示物をスマホのカメラで撮影していると、舞が手を振りながら駆け寄ってくる。
彼女たちの班も屋外組だったはずなので、予定の変更を強いられたのだろう。
すでに班行動という概念は形骸化しており、彼女の周りには一人の班員の姿も見られなかった。
「やけに真剣に見てるけど、イツキってそういうの好きだったんだ」
「ううん、さっき好きになった。美術館のステンドグラスが良かったから」
「私も一緒に見て回ってもいい?」
「もちろん」
それほど広くない施設の中に所狭しと展示されているガラス細工は、吹きガラスで作られたグラスや瓶だったり、それをさらに切子細工のように加工してあるものなど、とにかく多種多様だった。
彼女はその一つ一つを写真に収めるような勢いで撮影を繰り返していた。
どうやら俺と同じようにガラス細工に魅入られたようだ。
「ね。昨日バスで言ったこと覚えてる? 新婚旅行は熱海にしようって」
「ああ」
そういえば確かにそんな話をした記憶があったが、彼女とてよもや本気だったわけではあるまい。
「箱根にも大きな美術館があるんだって。そこも行ってみない?」
「……うん。俺も行きたい」
それはただ彼女に合わせただけではなく、俺たちの未来の
館内を一周すると、入り口の脇に店を構えている土産物屋へと足を踏み入れる。
そこには展示されていた作品とそれほど遜色のない、とても綺麗で儚げなガラス細工がずらりと並べて売られていた。
「舞、買ってあげるからどれかいっこ選んでよ」
「いいの? あ、じゃあお互いに内緒で一つずつ選んで家に送ってもらおうよ。どんなのかは帰ってからのお楽しみで!」
その提案に乗った俺は彼女と住所を交換し、順番に互いの好きそうなガラス細工を選ぶことにした。
「イツキから先に選んでもらってもいい? 私、お手洗いに行ってくるから」
「了解」
彼女が去るのを見届けてからさっそく店内を物色する。
おそらく数百点はある商品の中から彼女にプレゼントするのに最適なものを選ぶのは骨が折れると思っていたのだが、まったくもってそんなことなく、すぐにピッタリの一品を見つけ出すことができた。
それは北海道土産としてはスタンダードな鮭を口に咥えたヒグマだったが、凶悪さが完全にスポイルされた可愛らしいフォルムな上に、彼女のイメージによく似合う桜色をしていた。
常日頃からクマに異常な執着を見せる彼女に贈るのであれば、この店にこれ以上のものはないと断言できる。
人に贈るために物を選んだ機会というのは、幼かったころ母の日にハンカチを選んだとき以来かもしれない。
精算と配送の手続きを終えて店の外にでたところで、いつの間にか戻ってきていた彼女が入れ違いで入店していく姿が目に入った。
その背に近づいて一言、「あっちにいるから」と声を掛け、施設のロビーに置かれたベンチに腰を下ろして一息つく。
スマホを弄りながら時間を潰していると、目の前に人が立つ気配を感じ顔を上げた。
「おまたせしました」
やたらホクホクとした笑顔を浮かべているところを見ると、どうやら良い買い物が出来たらしい。
「これからどうしよっか?」
「えっとね」
ポケットにスマホを仕舞いながら立ち上がると同時に、すぐに彼女に手を引っ張られてロビーの隅まで連れてこられる。
「あそこで写真撮りたい!」
彼女の指差す方向に顔を向けると、天井から釣り糸か何かで無数のガラス細工のハートが取って付けられたように吊り下げられている撮影コーナーが目に入った。
所謂ところの『映えスポット』というやつなのだろう。
「それは流石にちょっと……」
「えー、なんで?」
「だって……周り見てみ?」
俺たちの半径十メートルには、雨天により予定の変更を余儀なくされた我がクラス及び隣のクラスの連中が、ざっと数えただけでも三十人はたむろしている。
「え、いまさらじゃない? 誰も気にしないって!」
「そうかもしれないけど――」
「あ!
偶然目の前を通りかかったクラスメイトの長谷川に彼女はスマホを手渡すと、再び俺の腕を掴んでスポットライト下の撮影ポイントまで連行する。
「じゃ、撮るよー。3・2・1・シャッター!」
長谷川の手際がやけにいいのは、彼が写真部の部長だからだろう。
長谷川に礼を言った舞が画面を確認しながらこちらに戻ってくる。
「ね! 見て見て! すごい綺麗に撮って貰えたよ!」
彼女が手にしたスマホの画面を覗き込むと、確かに俺には撮れないような出来栄えの画像が表示されていた。
たかだかスマホのカメラといえ、撮り手が違えばこうも違うものだろうか。
「これ、ホーム画面にしてもいい?」
「どうぞご自由に」
数分前に諦念の境地に達していた俺がそう言うと、彼女はスマホを操作してから再び画面をこちらに向ける。
「できました!」
そのあと彼女の手により、同じ画像が俺のスマホのホーム画面にも設定された。
まあ誰に見せるというではないので、彼女がそうしたいなら別にいいのだが。
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