曇のち雨

「おい五月、起きろよ。朝メシ行くぞ」

「……ああ」

 とても不思議なことに、たったの一時間かそこらの眠りから覚めると、先ほどまでの陰鬱とした気分が見事なまでに消え去っていた。

 あれは一体なんだったのだろうか?

 いくら考えたところで答えが用意されているようには思えなかった。

 今はそれよりも疲れ切った体にガソリンを補給してやらねば。


 朝食は夕食の時と同様にバイキング形式のようだった。

 食堂ではすで大勢の生徒たちがトレイと手にすると、料理が並べられたテーブルの前に長蛇の列を形成していた。

 その最後尾で順番を待っていたときだった。

 不意に背後から上着の裾が引っ張られ、軽くよろめきながら振り返る。

 果たしてそこにはよく知った黒髪の美少女の姿があった。

「おはようイツキ。あの、昨夜はどうもありがとう」

「あ……うん……」

 我ながらなんと歯切れの悪い返事の仕方だろう。

 というのも、彼女が口にしたありがとうが、闇に紛れて部屋まで赴いたことを言っているのか、それとも――なのかの判断ができなかったからだ。

 その意味を聞き返すほどに愚かではなかった俺は、適当な話題を持ち出して茶を濁すことにした。

「舞の班って自由行動はどこに行くの?」

「えっとね。ロープウェイとオルゴールと、それにスイーツ!」

 それは実に女子高生然とした理想的なプランだったが、彼女の班の男子たちがないがしろにされているような気がしなくもない。


 朝食は白米と決めていた俺をして、用意されていた炭水化物がパンとパスタだけではそのどちらかから選ぶしかなかった。

 数種類からあるその中からトーストをチョイスし、生ハムや海鮮サラダといった普段あまり食べないものと一緒にトレイに載せて席につく。

 

「昨夜はごめんね。もし先生に見つかってたら大変なことになってたよね」

 向かいの席に座った彼女は、スプーンの上でクルクルとパスタを回し続けながらそういうと、小さな溜め息を長く吐く。

「俺はそのリスクを冒すくらいの価値はあったと思っ……いやヘンな意味じゃなくてフツーに舞に会えたことがだよ?」

「あははっ! わかってるって!」

 彼女は口に手を当て笑ってみせると、過剰なまでに巻き取られたパスタをようやく口に運んだ。

「あ、これ美味しい! やっぱり北海道のチーズとか使ってるのかな?」

「そうかもね。ゆうべ食べた北海道産じゃがいものポテサラもめちゃくちゃ美味しかったし」

「あ! それ私も食べたんだけど、すっごい美味しかったよね」

 ほんの三十秒前までの気まずさが夢であったかのように、俺と彼女は会話を弾ませながら朝食を楽しんだ。


 朝食を終えるとすぐさま部屋に戻り、三十分後に迫ったチェックアウトの準備を始める。

 今日はこのあと博物館と美術館を見学し、昼過ぎからは班単位での自由行動が予定されていた。

 俺と舞は残念ながら別の班だったので、夕方までは会うことも話すことも出来ない。

 だが、今夜の宿に戻れば就寝時間までは一緒に居られるだろうし、明日の自由行動は二人で回る約束もしてあった。

 

 キャリーバッグをガラガラと引きながらホテルを一歩出たところで、目に映る町並みのコントラストがやけに低いことに気付く。

 視線をそのまま上へと向けると、その理由はすぐに判明した。

 見上げた空に浮かぶ黒い雲が、地上に届くはずだった陽の光の大半を我が物としていたからだ。

 その空模様からして、これから天気が荒れるのは確実に思われた。

 すぐ前の道路には数台の小型トラックが横付けされていた。

 どうやら手荷物以外を今夜の宿へと先に送った上で、美術館までは徒歩で移動するのだという。

 知らない町を歩くのは楽しそうだが、今はとにかく天気が心配だった。

 折りたたみ傘をリュックの中に入れてはいるが、雨の中を行軍するのが楽しいわけもない。


 ホテルから歩くことたったの五分で、最初の目的地に到着する。

 見るからに歴史のある、石造やコンクリート造の幾つかの建物群すべてが美術館になっているそこには、いかにも高価そうな絵画や陶芸品などが展示されていた。

 ガラスケースの中に並べられたそれらは、美術品を嗜むだけの素養を持たない俺にとって、足を止めて鑑賞するだけの価値を感じることはできなかった。

 ただ、建物の壁面に据え付けられたステンドグラスの、曇天の下であるにもかかわらず息を呑むような美しさには目を奪われてしまった。


 一通りの展示物を見て回ってから一旦外に出たところで、遂に天から銀色の雨粒が落下し始めた。

 このあとは本来であれば、事前に決めておいた見学先を班で回ったあと、今夜の宿である旅館へ各自で向かうということになっていたのだが、この天気では屋外で予定を立てていた班は計画を変更せざるを得ないだろう。


 屋内のラウンジに戻り教師の指示を待っていると、他の教師たちと今後の方針を話し合っていた小池先生がやってくる。

「皆さん! ご覧の通りの天気ですので、屋外での活動を予定していた班に関しては、この近くにあるガラス工房にお邪魔してそこを見学をします! 屋内での活動を予定している班は予定通りに行動して下さい! ただし雨脚があまりに強くなるようであれば早めに宿に向かうこと!」

 その号令により俺の班を含めたクラスの大半は、ガラス工房に移動することになった。

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