軟弱者

 テストの手応えはいつも通りだった。

 それでもこのテスト期間中に勉強に費やした短い時間から考えれば、まあまあ良く出来た方だといってもいいかも知れない。

 何れにせよ、これでようやく舞に悩みの相談をすることが出来る。


 放課後になった瞬間、目の前の席に座る舞の肩をトントンと叩く。

 ハーフアップにした髪をなびかせながら振り返った彼女は、「うん? なに?」と首を傾げながら俺の顔を覗き込んできた。

「あの、相談に乗ってほしいんだけど」

「急ぎで? わかった。図書室でいい?」

 俺はよほど切羽詰まった顔をしていたのだろう。

 顔色だけで『これは真面目な話だ』と察してくれたようだった。

 彼女は急いで通学カバンに荷物をまとめると、「一度部室に顔を出してからすぐに行くから先に行ってて」と言い残し教室を出ていった。

 その頼もしい背中を見送ったあと、窓際の席で机に突っ伏してピクリとも動かない我が部の副部長さとしに、「今日、腹を壊したから部活休むって部長に言っておいてくれ」と伝言を頼み、早足で図書室へと向かった。


 テスト期間が終わった直後の図書室では、初老の司書が仕事中にもかかわらず椅子に腰掛け小説を耽読たんどくしており、俺が入室しても一切こちらを気にする様子も見せなかった。

 書淫しょいんである彼にとって、この職場はさぞ天国であろう。

 そんな人気ひとけの一切ない図書室で、俺は窓際の席に静かに腰掛けると彼女がやってくるのを静かに待った。

 しばらくして図書室の引き戸がガラガラと開くと、果たして舞が入室して来た。

 彼女は俺の正面に座ると、「ごめんね。おまたせしました」と僅かに息を上げながら言った。

 恐らく走ってきてくれたのだろう。

「こっちこそごめん」

 白く巨大なテーブルの上に手を突いて彼女に礼を言うと、早速本題を切り出した。


 俺の相談事を聞き終わった彼女は、大きな瞳を二度ほど瞬きすると「え、それって普通に『ごめん』って言えばいいだけじゃないの?」と、さも事も無げに言い放った。

「それはまあ、そうなんだけど……。でも、上級生にそんな手紙を出すなんて、その子もきっとすごく勇気が要ったと思うんだよ」

 次第に語気を弱めながらそう言う自分が情けなく思えてくる。

 実際のところ人を傷つける勇気がないだけというのは、他ならぬ自分自身がよくわかっていた。

 そしてこんな相談をされた舞のことを、まるで他人事のように気の毒だとすら思った。

「その子と約束してるのって何時って言ったっけ?」

「え、このあとすぐ。一時に裏の公園で……」

「わかった。イツキはもう部活行っていいよ」

「うん……。って、え?」

 彼女はそれだけ言うととっとと図書室から出て行ってしまった。

 すぐに追い掛けたが既に廊下にその姿はなく、慌てて階段を駆け下りてそこら中を探してみたが、見つけることが出来なかった。

 もしかしたら、いや、きっと俺は彼女のことを怒らせてしまったのだろう。

 また余計な悩み事をひとつ増やしてしまった……。


 結局のところ、俺は鉄下駄でも履いているかのように重い足を引きずりながら公園へと向かった。

 学校のすぐ裏手には小学校があり、そのさらに裏に件の公園がある。

 小学校の校庭に目をやると、十数人の子供たちがサッカーボールを追い掛けてグラウンド中を走り回っている。

 その光景に、かつては俺も彼らと同じように誰に強制されるわけでもなく、やれサッカーだやれドッジボールだと、クラスメイトとワイワイ遊びに興じていたことが思い出された。

 高校生となった今の俺はといえば、放課後になれば学校運営の雑用たるクラス委員の仕事をするか、さして上手くもないテニスの練習に明け暮れるかで、そこに彼らのような自主性は存在していなかった。

 来年の今頃にもなれば、受験戦争の只中に身を置いていることだろう。

 今よりもさらに多忙かつ無味乾燥な学生生活ののちに訪れるのは、お気楽な大学生活なのか?

 はたまた血で血を洗う就活戦争なのだろうか?

 そんな先のことなど今の俺にはどうでもいいことだった。

 目的地たる公園はもう、目と鼻の先にまで迫っているのだ。


 公園の裏手に植えられた、大人の背丈ほどもある植え込みの隙間から園内の様子をそっと伺ってみる。

 入り口のすぐ近くにあるベンチの前に、俺を呼び出した張本人たるバスケ部一年の豊島さんの姿を認めることができた。

 先日彼女を見かけた時のように、大勢の取り巻きを引き連れてやってくるのではと予想していたのだが、その周囲に人影のようなものは見受けられない。

 ただ、彼女がひとりでその場にいるかといえばそうではなく、その視線の先には向き合うようにして髪の長い女子生徒が立っていた。

 あの後ろ姿は……間違いなく舞だ。

 てっきり彼女は俺の情けない相談に愛想を尽かして、どこかに行ってしまったものだとばかりに思っていた。

 そのどこかがまさか、ここだったとは。


 流石に今すぐに彼女らの前に出ていく勇気を俺は持ち合わせていなかった。

 それに、どうも既に何かしらの『コト』が起こっているように見える。

 いずれはその渦中に身を晒さなければいけないのはわかっているが、それが一体どんなコトなのかを見極めるため、植え込みの影から彼女らの動向を伺うことにした。

 ああ……我ながら本当に情けない。

 ここから顔が見えるのは豊島さんだけで、舞のことは後ろ姿しかみえないし、声が聞こえるような距離でもない。

 少しだけ悲しげな表情をした豊島さんが、舞に何かを言われるたびに首を小さく縦に振って聞いているようにみえる。

 やがて後ろ姿の舞は、身体の前で手を揃えると大きく腰を折った。

 黒く長い髪が地面にまで着きそうになり、それを見た豊島さんが数歩前に歩み寄り舞の手を取る。

 身体を起こした舞が豊島さんの背中に手を回す。

 そして、二人は強く抱き合うのだった。

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