死んでも君を死なせない

電光石火

　最重要当事者である俺はといえば、完全に蚊帳の外に置き捨てられていた。

　さらにしばらくすると、今度は豊島さんが舞に深々と頭を下げてから足をこちらに向け――突然、駆け出した！

（まっずい！！）

　俺は忍者がやるように植え込みを挟んで豊島さんと対角を保ちつつ、自分の姿が見つからないよう走り去っていく彼女の背を見送った。

　結果、舞の前に姿を曝すことになったのは言うまでもない。

「イツキ……いたんだ」

　冷めたような口調でそう言う舞の頬には涙が流れたような跡があり、その大きな瞳も少しだけ充血しているようにみえた。

「えっと……何が起きた？」

「とりあえずそこ、座らない？」

　公園のすみに置かれたベンチに肩を並べて腰を下ろす。

　彼女は制服のポケットから薄桃色のハンカチを取り出すと、目元を軽く拭いながら、普段よりも随分と小さな声で言った。

「彼女、ものすごく可愛くていい子だったよ」

　舞の第一声は文脈としては必ずしも間違っていなかったかも知れないが、俺が知りたかったのは当然そこではなかった。

「そうじゃなくって、いま何が――」

「イツキは私と付き合ってるから手を引いてってお願いしたの」

「……は？」

　俺は口を大きく開けたまま硬直する。

「そういうわけだから。不束者ですが、今後ともどうぞよろしくお願いします」

　ベンチに腰掛けたまま膝をこちらに向けた舞は、先ほど豊島さんにそうしたように深々と頭を下げた。

「……え？」

「私たちも帰ろっか」

　俺と舞は学校には戻らず、そのまま駅へと続く細い路地を歩いていた。

　彼女も俺同様に本日の部活動はサボタージュしたようで、駅への最短距離であるテニスコート横――俺も彼女もテニス部に所属していた――を避ける形で、少し遠回りをしながらの帰宅であった。

　俺はこの状況下でする会話などないと思っていたのだが、彼女はまったくもっていつも通りの彼女に戻っており、公園から一歩出た瞬間からほとんど一方的に喋り続けていた。

　その内容といえば、普段放課後にクラス委員の仕事をしている時と同じで、最近投稿サイトで見た面白い動画の話であったり、飼っている猫が風呂に落ちた話だったりと雑多で他愛のないものであり、今しがたの公園での出来事については一切触れてこようとしなかった。

　俺は適当に相槌を打ちながら聞く振りをしてはいたが、当然ながら彼女の話の内容など頭に入るわけもない。

『イツキは私と付き合ってるから手を引いてってお願いしたの』

　彼女はさっき確かにそう言った。

　それは――言葉を選ばずに言えば――豊島さんを欺くための嘘なのだろうと思ったのだが、そのあとに彼女はこうも言っていた。

『そういうわけだから。不束者ですが、今後ともどうぞよろしくお願いします』

　おおよそテレビドラマでしか聞いたことのない言い回しだが、それがどんな意味かくらいは理解している。

（――舞と俺が付き合う？　いや……もう、付き合っている？）

　駄目だ……頭が痛くなってきた。

　俺は意図的に脳の動きを鈍化させると、先ほどからそうしているように彼女の話に機械のように相槌を打つことだけに徹した。

　目的地たる駅が目前にまで迫ってきた、その時だった。

　彼女は突如、「イツキ、こっちこっち」と言いながら俺の腕をグイグイと引っ張り脇道に連れ込む。

「なに？　帰るんじゃないの？」

「ううん、やっぱりまだ帰らない。こっち」

　カニ歩きのまま牽引されること五〇メートル。

　すぐによく知った場所へと辿り着いた。

　そこはお好み焼き屋『善治』だった。

　店の歴史を感じる色褪せた暖簾をくぐる。

　すぐに店主が「いらっしゃい！　奥の座敷ね」と居酒屋のような対応を見せた。

　油で黒く変色したコンクリートの土間を進み、やがて左手にある黄ばんだ襖が開かれると、そこにはまるで自宅のように寛（くつろ）いでスマホをいじっている南海と聖の姿があった。

「……え？」

　目の前でジュージューと音を立てて焼かれているお好み焼きを構いながら、俺は誰に向けるでもなく今こうなっていることの経緯について説明を求めた。

「舞ちゃんからメッセージで、先に善治で待っててって」

「右に同じ。無茶苦茶な理由付けて俺も部活サボった」

「……なるほど」

「で？　五月はどうだったの？」

　瞳の中に大量の星を浮かべた南海が、熱々の鉄板の上に身を乗り出しながら聞いてくる。

　仔細を話すことなど出来るはずもなく、情報を可能な限り必要最低限に絞って報告をする。

「……付き合うことになるのは回避した。あと南海、あぶないから戻りなよ」

　お好み焼きを器用に引っくり返していた舞が、俺と南海の会話に割り込んでくる。

「え？　付き合うことになったでしょ？」

　目の前の形を失いつつある塊を、何とか再形成しようと試んでした聖が言う。

「ん？　結局どっちなん？」

　再び舞のターン。

「イツキと私、彼氏彼女になりました」

　さも事も無げに放たれた舞の言葉に、座敷内が凍りつく。

　聖にいたっては、まるで漫画の一コマのように手にしていたヘラを鉄板の上に落とした。

「「嘘!?」」

　南海と聖が寸分の狂いもなくハモる。

「ほんとほんと。あ！　南海ちゃんお好み焼き焦げてる！」

　舞が向かいの席に座る南海のお好み焼きを急いで引っくり返した。

「あ、ありがと――じゃなくって！」

　その後のことはよく覚えていなかったが、聖が「なんだよそれ！」と十回くらい叫んでいたことだけは何となく記憶している。