不思議な生き物

 クレープ屋を後にした俺と舞は、二時間弱の自由時間を使って他クラスの展示物を見て回ることにした。

 出し物の約半分は模擬店で、残りの半分は何らかの創作物を展示だった。

 ほかは俺が当初ターゲットとしていた休憩所のようなものを設営しているクラスが多いように思える。


「あ、イツキ! あそこ入ろうよ!」

 二歩前を歩いていた彼女が指を差す方向に目を向ける。

 そこにはよく見慣れた景色があった。

「そこ、うちですけど」

 俺のツッコミを完全に無視した彼女は、受付業務に精を出す南海のもとへと駆け寄っていった。

「中学生二枚でお願いします!」

 満面の笑みで∨サインをして見せる舞に対し、南海は「二名様ご案内で~す!」と高らかに声を張り上げる。

 ちなみに入場は無料である。

 そこは南海が一瞬で舞の悪ふざけに合わせたのだろう。

 さすがは舞の転校初日にして昔からの親友のように打ち解けただけのことはあると、単純に感心してしまった。

 あと舞、中学生料金で入ろうとするなよ。


 受付で手渡された、百円ショップ謹製の小型懐中電灯のいい具合に頼りない作りと光量が、ここではまさにうってつけであった。

 もっとも昨日の設営時や今日の営業中には、それよりもさらに光量の少ないスマホのライトで何度も行ったり来たりしていた俺にとって、もはやここは勝手知ったる我が家も同然だった。

 なんなら明かりがなくともゴールまでたどり着ける自信もあったが、ここは一般客のルールに則るべきだろう。


 やはりここは我家の庭であった。

 それは舞とて同じはずだったが、彼女は入場してからずっと俺の隣で「きゃー」とか「ひえー」とか声を張り上げ続けていた。

 ただしその表情は、真夏の海水浴場を思わせる爽やかな笑顔そのものあり、まったく以て怖がっている気配など感じられない。

 俺がその悲鳴の理由を問うと、「だって教室でこんなに大きな声を出せる機会なんてもうないかもでしょ?」と、わかるようなわからないような説明をしてくれた。

 まあ、なんだかんだ言っても、ここでの楽しみ方としては彼女のそれが正しいのかもしれない。

 試しに俺も何もない通路で大声で悲鳴を上げてみたが、確かにちょっとだけ気持ちがよかった。


 オペ台の上で不休の勤務に明け暮れる人体模型の彼の頭を労いの意味を込めて軽く撫でていると、いつの間にか彼女がいなくなっていた。

「あれ? 舞?」

 デパートではぐれた娘を探すように、口の横に手を当てて名前を呼んだ、その瞬間。

 オペ台の下から音もなく伸びてきた白い手が俺の足首を思いっきり掴んだ。

「それ今朝もやった奴だから。置いてくよ」

「……ヤダ」

 四つん這いになって這い出てきた彼女の腕を引っ張り立ち上がらせると、再び二人して声を上げながらゴールへと向かった。


 自分のクラスの出し物を堪能した俺と舞は、他のクラスや部活の出し物と展示物を一通り見て回り、最後に体育館で行われている吹奏楽部のリサイタルを観ることにした。

 舞台の上では、同部の部員達が日頃の練習の成果を遺憾なく発揮しており、その腕前は音楽に疎い俺でも中々のものだということくらいはわかるほどであった。

「テニスも楽しいけど吹奏楽もよかったかなぁ」

 彼女はそう言うとピアノを弾くような仕草を見せる。

「舞はピアノ弾けるんだ?」

「う~んどうだろ? 中学に入るまでは習ってたんだけど、もう三年くらいはほとんど触ってないし。でも平均律クラヴィーアくらいならすぐに弾けると思う」

 いったいぜんたいそれがどんな曲なのかは無学な俺にはわからなかったが、グランドピアノの前に座って鍵盤にその細く長い指を置いている彼女の姿を一度見てみたい気もする。


 時間にはまだ余裕があったのだが、彼女が早めに帰って仕事を手伝いたいと言い出したので、予定よりも三十分ほど早かったが教室へ戻ることにした。

 体育館を出たところにあったたこ焼き屋で先ほど食べそこねた昼飯を調達していると、舞が「ごめんちょっと待ってて」と言い残して小走りでどこかへ行ってしまう。

 五分ほどして、両手の指の間にチョコバナナを苦無くないのように八本も挿した彼女が戻ってきた。

「舞の胃袋ってどうなってんの?」

 呆れ顔でそう言い放った俺に、彼女は「違う違う!」と首をブンブンと横に振って否定した。

「教室にいる人たちに食べてもらおうと思って」


 俺は、この舞という少女が一体どういった人間なのかが未だにわかっていない節があった。

 ただ、今までの人生で出会ったことのないタイプの生き物であるということだけはありありと感じていた。

 そして俺は、そんな彼女に――。

「イツキごめん。半分持ってもらってもいい?」

 今まさに襲いかからんとしているひぐまのようなポーズをした彼女の手から爪――じゃなくてチョコバナナを何本か抜き取る。

 そして、珍しいもの見るような周囲の視線を全身に感じながら、足早に教室へと戻ったのだった。

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