蓼食う虫
南海に貰ったメイク落としシートを使い人間に戻っていた時だった。
「ね、ご飯にしない?」
「ごめん。俺いまから受付だわ」
「あ、うんとね。南海ちゃんが二時まで休憩してって。受付も聖くんが代わってくれるって言ってたよ」
普段うちの学校は弁当を持参するか購買部でパンを購入するかの二択なのだが、文化祭の今日はそれに加えて模擬店で売られている物を買い食いしてもいいし、申請さえ出せば一時間以内なら校外で外食をすることも出来た。
「そっか。じゃあ行こっか。舞はなんか食べたいものとかある?」
「うん! さっきゾンビしながら三年生の教室の前を通ってね。美味しそうなクレープ屋さんがあったの」
三年生の模擬店を利用するのは少し恐れ多い気持ちもあるのだが、彼女がそこがいいのであれば仕方ない。
「いいよ」
血染めのメイク落としシートをゴミ箱に放り捨てながら椅子から立ち上がる。
るんるんと軽やかな足取りで俺の前を歩く彼女だが、その頭部は相変わらず青紫色のゾンビのままだった。
「それは脱がないの?」
「うん? ああ、いいのいいの。宣伝にもなるし」
マスクの背中から流れ出ているサラサラとしたロングヘアーと、身長の半分ほどもありそうな長い足を見ていると、彼女をゾンビにしておくのは勿体ないような気がした。
ただ確かに、人目を引くという意味では効果がありそうにも思える。
二階にある三年の教室へと向け階段を降りているときだった。
舞が突如として立ち止まり、危うくその華奢な背中にぶつかりそうになってしまう。
「っと! 危ないよ急に!」
クルリと振り返った彼女は
「……これ、暑いかも」
そんなことは午前中から愛用していた彼女自身が一番わかっていただろうに。
なぜだかこのタイミングでそれを指摘した彼女は、スカートのポケットから取り出したハンカチで汗を拭いながら、「ちょっとフラフラして危なかった」などと言い出す始末だった。
結局一旦一階の昇降口まで降りると、そこに設置させている水道でマスクの汗を洗い流し、水を滴らせた頭部をすぐ脇の傘立ての上にポンと置いた。
その光景は関所に設けられた獄門台のようで、
現に今、偶然通りかかった一年の女子生徒がそれを目撃し、口に手を当てると声にならない悲鳴を上げていた。
「可哀想に……」
「うん? イツキなにか言った?」
「いや別に」
気を取り直し階段をひとつ上ると、廊下の一番奥に位置するお目当てのクレープ屋へとようやく到着した。
どうやらそこは美術クラスが出店している模擬店らしく、従業員の多くは女子生徒だった。
数少ない男子生徒たちは、少し肩身を狭そうにして教室の前で呼び込みを行っている。
「いらっしゃいませー」
案内された窓際のテーブルに着席すると、すぐにとびきり美人のウエイトレスがオーダーを取りにやってきた。
この学校にこんな美人がいたのかと感心していると、舞はさっさとオーダーを済ませて店内の装飾を興味深そうに眺めていた。
とにかくしょっぱい系のものがよかった俺は『シーサラダクレープ』とかいう、ツナと何かよくわからない海藻のようなものが入った
オーダーしたクレープの到着を待ちながら午後の予定などの話をしていると、五分ほどして先程の美人さんが二人分のクレープを運んできてくれた。
舞が頼んだのは確か『苺とチョコのクレープ』だったか。
その名の通りにスライスされた苺と生クリーム、それにチョコがトッピングされた如何にも王道といった見た目をしている。
一方俺が発注した物はといえば、目の前にあってなお一体どんなレシピなのかすら伺い知ることも出来ず、何とも得体の知れないオーラを発していた。
「いただきま~す」
言うと同時にクレープの端にかぶり付いた舞は二回程咀嚼をすると、ただでさえ大きな瞳を見開いて俺の方を見てくる。
そして「すっごい美味しい!」と、感嘆の声を上げたのだった。
「じゃあ俺も、いただきます」
彼女とは対照的に恐る恐るといったふうに謎のクレープの端をかじる。
噛む。
噛む。
下を向く。
沈黙。
真夏の潮溜まりというか、鮮魚店に積まれている発泡スチロールというか……とにかく生臭い。
八つ当たりでしかないのをわかった上で、母なる海に対しての憎悪が沸々と湧きあがってくる。
「イツキ、それって美味しい?」
海原の遥か遠くから聞こえてきた少女の声に我に返る。
俺は黙ってシーサラダクレープこと『海の悪意』を舞の眼前に突き出した。
彼女は何の疑いも持たずにそれに歯を立てると、モグモグと咀嚼したあとにゴクンと音を立てて飲み込んだ。
ああ、彼女も今まさに大洋への憎しみを募らせている最中なのだろう。
「なにコレすっごい美味しい! 私もそれ頼んじゃおっかな!」
「……まじで?」
結局俺のクレープはすべて彼女に食してもらった。
試しに彼女の苺のなんちゃらクレープを一口貰う。
普通に美味しい。
どうやら調理の腕や衛生管理に問題があったわけではなさそうだ。
「なんかごめんね。イツキのまで貰っちゃって」
そう言って申し訳無さそうな顔をする彼女だったが、俺の網膜にはその姿が女神のよう映っており、背には光すらも差して見えていた。
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