文化祭
文化祭前日
文化祭の準備に関しても、彼女の手腕は大したものだった。
それ以上に、たったの一月半でクラスメイトたちの絶大な人望を得ていた彼女に対する、皆の協力的な姿勢が大きかったのかもしれない。
何れにせよ、俺がうだうだと出納の仕事をしている横で、クラス展の準備は着々と進んでいた。
「イツキ。このあと伊藤さんのとこに行くから付き合ってね」
文化祭を翌日に控えたこの日の放課後も、各担当に指示を出しつつ自らもカッターナイフやらクラフトテープやらを手に工作活動に勤しんでいた彼女に駆り出され、駅前にある『イトウ雑貨店』へと向かうことになった。
今日は五月の終わりにしては少し暑い日だった。
だが、緑が占める割合の多いこの町では、散歩をするにはむしろ丁度良いくらいの陽気かもしれない。
もっとも、今の俺と舞は悠長に散歩を楽しむのが目的ではなく、教室の飾り付けに必要な段ボール箱を貰い受けるための仕事中だったのだが、連日の激務――俺はほとんど椅子に座って電卓を叩いていただけだったが――の間の息抜きにはちょうどよかった。
「何とか間に合いそうだね」
「そうだね」
彼女はそう言っているが、不要に詰め込んだ予定を立てずに、文化祭の前日である今日にピッタリと全てが整うよう、緻密な算段がされていたことを俺は知っていた。
学校から一キロ弱離れたところにあるイトウ雑貨店で五箱分程の段ボールを譲ってもらうと、店の目の前に置いてある自動販売機でジュースを買い、そのさらに脇にあるバス停のベンチに腰を掛けて一息つく。
万能人間のような彼女だったが、事腕力に関していえば人並みかそれ以下だった。
俺が駆り出されたのは、この大質量を持ち帰るためなのだろう。
「結構な量だけど、これだったら手の空いていた男子連中を何人か連れてきたほうがよかったんじゃない?」
「そうかもしれないけど、お散歩も兼ねてだったから」
その言葉にある含みの要素を感じ取れない俺ではなかったのだが、彼女のペースに乗せられることに対する若干の抵抗と照れから、つい余計な一言を言ってしまう。
「だったら聖を連れてくればよかったのに。アイツ、舞のこと気に入ってるみたいだし」
実際のところ、聖といったら彼女が転校してきて以来、事ある毎に「舞ちゃんって可愛いよね」とか「舞ちゃんって前の学校で彼氏とかいたのかな?」などと、耳にタコが出来るほどに舞ちゃん舞ちゃんとのたまっていた。
もっともそれは彼だけではなく、他の男どもも似たようなものだったのだが。
「イツキはそれでもいいの?」
「ぶっ!」
突然そんなことを言われたものだから、口に含んでいたジュースを思わず吐き出し、眼前に小さな虹を創造してしまった。
まんまと
マッチ棒が何本も乗りそうな長い睫毛を湛えた瞳が、ただ真っ直ぐに俺の目を射抜いている。
「……俺、これでも運動部だから全然平気だけど」
我ながらちぐはぐな返答だとは感じていたが、まるで心の中まで見透かしているような彼女のその眼光に、うっかりと本音が出そうになったのを|すんでのところで堪えた結果がこの台詞だった。
彼女は何も言わずにベンチから立ち上がると、折りたたまれた小さな段ボール箱をひとつだけ胸の前に抱え、ただ一言「帰ろ」と言うとさっさと歩き出してしまう。
残りのそれを背負った俺は、険しい坂道を歩く聖人の如く、息絶え絶えになりながら彼女に続いた。
イトウ雑貨店から戻ってからも作業は続いた。
すっかりと辺りが暗くなり、教室に明かりが灯されてからしばらくしてようやく全ての工作物が完成し、あとは明日の本番を迎えるだけとなる。
この数日で俺のことを名字で呼んでいたクラスメイトの殆どが「五月」や「五月君」と下の名前で呼ぶようになっていた。
もしかしたら、文化祭がこの時期に行われる理由のひとつに、そういったこともあるのかもしれない。
柄にもなくクラスメイトたちと握手やハイタッチを交わし、彼ら彼女らが帰路に就くのを俺と舞ふたりで見送った。
「じゃ、俺らも帰ろうか」
バッグを肩に掛けながら振り返ると、目の前に彼女の小さな手がかざされる。
あまり強くならないように力を抜いて、その手の平を軽く叩く。
「って、そうじゃなくって!」
少しむくれた顔をした彼女は、今し方合わせたばかりの俺の手を取ると指を絡めて握ってきた。
「じゃあ、かえろっか!」
ただ狼狽えるばかりの俺の手を引っ張りながら、彼女はとにかく楽しそうに笑っていた。
昇降口で靴に履き替えると、彼女がまたすぐに手を繋いでくる。
そうして俺と舞は駅までの十分ほどの道のりを、まるで恋人たちがそうするように肩を寄せあい歩いて帰った。
駅に着く直前になって彼女の手がそっと離れると、今さらながら急に恥ずかしさが込み上げてくる。
それは彼女も同じだったようで、「明日、もし噂になっちゃってたらごめんね」といつも通りを装ってはいたが、もともと真っ白な顔が真っ赤に染まっていた。
ほんのさっきまでとは打って変わり、電車内では人目を気にしてか少し離れた席に座っていた彼女は、ふたつ手前の駅で降りた俺に車窓の奥から小さく手を振り『ま た あ し た』と、薄く綺麗な形の唇を動かしていた。
俺は動き出した電車に向かって手を振り返すと、道行く車のヘッドライトにニヤケ顔を照らされながら家路を急いだのだった。
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