まんまと

春緑祭しゅんりょくさい


 五月の末という春というには些か遅い時期な気もするが、とにかく我が校の文化祭はそういう名前だった。

 校門を跨ぐように掲げられた巨大なゲートのあちこちにある修繕の跡に、その歴史の深さと設置を担当した生徒会の苦労が見て取れる。


 まだ人気ひとけのない早朝の校舎をひとり教室へと向かう。

 教室のドアに手を掛け引いてみるも、まだ鍵が掛かっているようでぴくりとも動かない。

 時刻は七時になったばかりと、通常の登校時間より一時間以上も早かったので、それも当然のことだろう。

 準備は前日のうちに全て終わっていたので、本来であれば俺もこんなに早く登校する必要はなかったのだが、昨日の夜遅くに舞からメッセージが届き、出来たら始発で来て欲しいと言われて今に至っている。

 もっとも、当の彼女の姿を電車内で見つけることは出来なかった。


 職員室にいた学年主任の原田先生に鍵を借り再び教室へと戻ってきた俺は、改めて引き戸を開けると中を覗き込む。

 窓という窓はすべて暗幕で塞がれ、段ボールで作られた壁が迷路状に張り巡らされた我がクラスのお化け屋敷は、少なくとも高校の文化祭レベルでは及第点といってもいい出来栄えであった。

 試しに入口を閉めてみると文字通りの意味で一寸先は闇であり、とてもではないが灯りを持たずに進むことなど出来ない。

 本番では百円ショップで買った懐中電灯を使ってゴールを目指して貰うのだが、それは迷宮の奥深くにあるスタッフルームに置かれたままであった。

 しかたなくスマホのライトをアリアドネの糸の代わりにし、真っ暗な通路に足を踏み込んだ。


 壁には如何にもといったふうの墓場や卒塔婆そとば、それに頭に三角の天冠てんかんを着けた古典的な幽霊が描かれているが、その顔立ちが如何せん整っていすぎる気もした。

 というのは、作画を担当したのが美術部の女子生徒たちであったためであった。

 彼女らの本業は静物画でもなければ風景画でもなく、コマ割りのされた原稿用紙に耽美に描かれた登場人物たちが織りなすストーリーを紡いだ薄い本の作成だったので、それも仕方あるまい。

 ものの一分ほどで屋敷の最深部である教室中央へと差し掛かると、そこには大きな扉――の描かれた段ボール――が鎮座しており、それを開くと突如として血塗られた手術室が現れる。

 ここまでの道中が墓地であることを考えればちぐはぐなことこの上ないのだが、ここはうちのクラスではクラス委員長の舞に並ぶ発言力を持つ南海の、『なんかスプラッタ要素も欲しくない?』との思いつきによって急造されたものなので、これも仕方あるまい。


『手術室』の中央には保健室から苦労して運んできたベッドが設置されており、その上にはこれまた保健室から出張してきていただいた人体模型が、血染めのシーツを掛けられ横たわっている――はずだった。

 のだが、なぜかその彼は右半身の筋組織と臓物を惜しげもなく晒しつつ、手術台を模したベッドの横で直立していた。

 昨日教室を出る前に、他ならぬ俺の手でベッドに横たえ肩にシーツを掛けてその労をねぎらうまでしたのだから、勘違いということはないはずだ。

 だとすれば、こんもりと膨らんだこのシーツの下には何があるというのだろうか?

 恐る恐るシーツの端に手を掛ける。

 そして、次の瞬間。


「わっ!」


 突如として捲れ上がったシーツの下から現れたのはゾンビだった。

 まさかゾンビがお休みになっていたとは夢にも思っていなかった俺は、「ひゃあああ!!」という情けない悲鳴を上げるとその場で三〇センチも飛び上がり、足から着地することもままならずに床に尻もちをつく。

「あははっ! 恐かった? ごめんね?」

 ソンビは左手で口を押さえ笑いながらそう言うと、もう片方の手をこちらに差し出す。

 俺はその腕を掴み起き上がると、ズボンの尻を叩きながらゾンビに質問した。

「いつからそこにいたの?」

 ラバーマスクを外した彼女は、さぞ楽しそうにこう答えた。

「えっとね。イツキの乗った始発電車が駅に着いた頃からかな?」


 彼女いわく、俺が始発電車に乗った頃には親の車ですでに学校に到着していたそうだ。

 校舎の鍵はといえば、文化祭当日にも朝練をする熱心な運動部があったそうで、そこの顧問に前日から問い合わせて開けてもらってあったらしい。

 教室の鍵は実行委員用のスペアを彼女が持っていたことをいま思い出した。

 昨日今日に始まったことではないのだが、一体何がそこまで彼女を駆り立てるのだろうか。

「ベッドの寝心地がすごく良くって、寝ちゃわないようにする大変だったんだから」

 言ったそばから小さな口を大きく開いて欠伸をしている。

「皆が来るまで一時間くらいあるから寝てたら? 適当に起こすよ」

「いいの? ほんとに? ありがとう!」

 速攻でベッドの上に身を横たえた彼女は、血染めのシーツを首から下に掛けるとすぐに寝息を立て始める。

 その光景は寝付きが良いとはいえない俺からすれば羨ましくすらあった。


 手術室から出ると再び墓地を少し進み、行き止まりの場所にある壁をそっとずらす。

 そこは五人ほどが休憩することの出来る広さを備えたスタッフルームとなっており、有志によって秘密裏に持ち込まれた菓子なども常備されている。

 置いてあった椅子の一つに腰を下ろすと、スマホを弄るなどして時間を潰しながら、クラスメイトたちが登校して来るのを待つことにした。


 一時間後。

 舞を起こすべく再びダンジョンに足を踏み入れ、その中心部にある手術室のベッドの上で頭までシーツを被って寝ている彼女に声を掛ける。

「舞。そろそろみんな登校して来るから起きて」

 そうやって二度三度と呼びかけるも起きる気配はなく、先程の仕返しも兼ねて鼻でも摘んでやろうかと思い、そっとシーツをめくる。

 しかし、そこにいたのは内蔵を曝け出した人体模型の彼だった。

「……」

 足元に気配を感じた俺は、おもむろにしゃがみ込むとベッドの下を覗き込み、首を少し傾げ気味にし体育座りでこちらを見ているゾンビに静かに問い掛けた。

「いつからそこにいたの?」

「えっとね。三十分くらい前からかな?」

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