親睦会

「あの、ごめんなさい。私のせいで……」

 放課後になったと同時に、前の席から移動してきた岩水寺さんが俺に頭を下げた。

「岩水寺さんのせいじゃないよ。ぜんぶ小池せんせいが悪い」

 彼女に気を使ったわけではなく本心だった。


 もっともそこには、俺にもほんの僅かにではあるのだが責任があり、一年の頃から小池先生に何かと面倒事を押し付けられ、その度に文句を言いながらも卒なく熟していたせいで、彼から妙に信用を得ていたのもいけなかった。

 この変な部分での生真面目さが、両親ともに教師という家庭で生まれ育ったことに起因するのであれば、うちの父と母にも是非責任をとってもらいたい。

 それは冗談として、こうなってしまった以上、俺は一定以上の成果を出してクラス委員長を勤め上げることは自分でもわかっていた。

 それに、レギュラークラスの実力を持ち合わせていないのに部活の副部長を務めることに比べれば、むしろクラス委員長の仕事をしていた方が精神的には楽かもしれない。

「岩水寺さん、一年間よろしく。一応経験者だからわからないことがあったら何でも聞いて」

 俺の言葉を聞いて、彼女の顔から消えかかっていた明かりが再びパッと灯ったのがわかった。


 帰り支度を終え教室を出て、ほんの数歩歩いたところで背後から声を掛けられる。

「ちょっと五月、このあと時間ある?」

 振り返ると、そこには南海が俺のことを上目遣い――身長差で必然的にそうなる――で見ており、その横に岩水寺さんが寄り添っていた。

 南海とは一年の頃からのクラスメイトで、入学直後に急に話し掛けられ親しくなって以来、何かにつけ俺の世話を焼いてくれる非常に物好きな女の子だった。

『見た目が好みだったからカレシにしちゃおうと思ったんだけど話してみたらなんか全然ちがかったぽかった』とは彼女の談であり、勝手に気に入られ勝手に幻滅され、なんだかんだで今に至っている。

「今日は部活ないみたいだから、暇っちゃ暇だけど」

「だったらさ、舞ちゃんがね、五月と仲良くなりたいって言うから三人でご飯行かない?」

 事も無げにそう言い放った南海の横で、岩水寺さんが手をパタパタと激しく振りながら「待って待って! 要約しすぎ!」と、南海のことをやんわりと咎める。

「えっと。南海ちゃんが都筑くんと仲が良いっていうから、だったらクラス委員のこともあるしちゃんと紹介してもらおうと思って」

 ホームルームの時の凛とした彼女からは想像出来ないで南海の発言を補完する。

「ん? 私の言ったので大体合ってない?」

 首をかしげながら問う南海に、岩水寺さんはぽかんとした顔をすると「……あ、ほんとだね」と、小さな声で言い頬を赤らめた。


 くして俺たち三人は、学校から十分ほどのところにあるお好み焼き屋『善治よしはる』の暖簾のれんを潜ったのだった。

 下校時の買い食いは推奨こそされてはいないものの御目溢し状態だったのだが、飲食店に寄り道するのは流石に校則違反もいいところだろう。

 ましてや新クラス委員長の二人が就任直後にそんなことをしているようでは目も当てられない。

 ――というのはただの綺麗事で、一年でクラス委員長をしていた時から俺はこの店には下校の途中にしょっちゅう立ち寄っており、店主には常連客として認知されてすらいた。

 南海もそれは同じだったのだが、如何にも優等生タイプの岩水寺さんが何の躊躇ちゅうちょもなく同行してくれたのには幾許いくばくかの驚きがあった。

「一番奥の座敷使えばいいよ。襖閉めとけば外から見えないしょ」

 まるで違法賭博場のオーナーのようなことを言い放つ店主も大概だが、言われた通りに店の一番奥まったところにある八人席の広々とした座敷をたった三人で専有する。

 南海が「舞ちゃんはあっちね。五月と仲良しになるために来たんだし」と言って俺の隣の席を彼女に斡旋あっせんする。

 僅かな逡巡を見せた岩水寺さんだったが、照れ笑いを浮かべると桃色の小さな舌をチロリと出して南海の指示に従った。


 程なくしてオーダーしていたタネが到着すると、眼前で熱々と灼けた鉄板の上で各々好き勝手に『焼き』を始める。

 常連の俺と南海は手慣れたものなのだが、岩水寺さんはそもそも『焼き』の経験がないのか、如何にもおっかなびっくりといった風にお好み焼きのタネと相対していた。

「形を整えたらあとは放っておけばいいよ。引っくり返す時以外は触らないのがコツ」

 彼女は俺のアドバイスを忠実に守り、ジュージューと音を立て生地が焼けていくのを興味深そうに見守っていた。


「そろそろかな。岩水寺さん、引っくり返してみて。手首をスナップさせるように一気に」

 彼女はコクリと頷くと、まるでテストを受ける時のような真剣な面持ちでコテを生地の下に差し込み、言われた通りにひと思いに裏返す。

 それは到底初めてとは思えない見事さで、彼女のお好み焼きは形を全く崩さずに裏返しになった。

「わ、舞ちゃんすごい!」

 向かいの席で南海が少し大袈裟なくらいに拍手をし褒め称える。

「やだ……なんか恥ずかしい」

 俺は『お好み焼きを上手く引っくり返せたことを褒められ顔を赤らめている転校生』という謎のシチュエーションが笑いのツボに入ってしまい、彼女には申し訳なかったが腹を抱えて大笑いした。


 その後はお好み焼きに舌鼓を打ちながら、うちの学校のことであったり、彼女が引っ越す前にいた地元のことであったりと、雑多な話に花を咲かせ、気がつくと一時間半も善治に入り浸っていた。

「そろそろ出よっか」

 南海の言葉に頷き、すっかりと重くなってしまった腰とお腹を座布団から持ち上げる。


 会計をしにレジへと行くと、店の出入り口のすぐ近くのテーブル席に座る見知った風貌の男性客が、手にしていた割り箸でこちらを指しながら口を開いた。

「親睦は深まりましたかね? ここは先生が奢るから早く帰って勉強でもしなさいな」

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