損な役回り

 体育館で執り行われた始業式は、校長の長話のせいで予定の時間を大きく超過し、続けざまに行われた新任教師の着任式がそのしわ寄せをもろにこうむる形でようやく終了した。

 一番最後に挨拶をした新卒の教師などは、可哀相に持ち時間が僅か三十秒程しかないという有様であった。


 朝のホームルームとその後の蟻山の件、そして今し方の校長のくだらない長話のせいで、俺は早くも丸一日分の体力を消費しかけていた。

 フラフラとした足取りで教室に戻ると、まるでフルラウンドを戦い終えたボクサーのようにぐったりと椅子に腰を下ろす。

 ただ幸いにも今日は部活動が休みなので、このあとのホームルームさえ乗り切れば身の自由が約束されている。


 チャイムが鳴ってからしばらくしてからのことだった。

 鼻歌とともに入室してきた担任教師のその様子に、教室内がにわかにざわつく。

 もっとも俺はといえば彼とは一年からの付き合いなので、その程度の奇行を特段気にすることもなかった。

 別に何か良いことがあったというようなわけでもなく、彼はただ単にそういう稀有けうな生き物なのだ。

 これでいて某有名大の出身だというのだから、外見や内面だけで学力を推量ることは到底出来ないことの証明の様な存在であるともいえる。


 教卓の前に立った彼は例によって教室内を一望すると、にこやかな表情を浮かべながらゆっくりとそのおちょぼ口を開いた。

「えー、先生も皆さんと同じで今日は早く家に帰ってゆっくりしたいので、早速ですが決めることを決めてしまいましょう」

 その投げやり過ぎる物言いに何人かの生徒から笑いがあがる。

 ウケたことに少し得意気な調子の彼は身体を黒板の方に向けると、まるで指揮者がタクトを振るようにチョークを優雅に踊らせ、『クラス委員長及び各委員の選定』と書き殴ってから振り返り再び口を開いた。

「ほとんど全員に何かしらの役職が割り当てられるので、楽な委員会に入りたい人は早めに名乗り出たほうがいいですよ」

 そんな、まるでデスゲームの司会者のようなことを言い出したかと思うと、次の瞬間には「さあ! 張った張った!」と、今度は賭博の元締めばりに声を上げる。

 その勢いに乗せられた生徒達は我先にと、仕事量の少ない委員会へ名乗りをあげた。

 ぽっちゃり体型の教師はその声を瞬時に聞き分け、先着順にどんどん黒板に名前を書き連ねる。

 その『聞く力』もさることながら、今日初めて受け持ったクラスの生徒の顔と名前を全て把握していたことに単純に感心する。

 彼は胡散臭い上に面倒な人物なのだが、その能力だけは認めざるを得ない。


 見る見るうちに黒板の端から端まで寄せ書きの如く生徒の名前と委員会名で埋め尽くされ、残すはクラス委員長の二名を残すだけとなっていた。

 まだ名前が書かれていない生徒は、俺を含めて五人くらいだろうか。

 俺が他の生徒のように先を争って自ら戦地へと赴かなかったのには理由がある。

 それは俺が所属するテニス部において本年度から副部長を任されることが、顧問を務める当の小池先生により昨年度のうちから決められていたからだ。

 高高たかだかクラス委員長とはいえ、主に放課後に雑用を任されるその職と部活の副部長を兼任することはまず無理なハナシなのだ。

 詰まる所、俺は戦わずにして勝利を手にしていたのだった。


「先生」


 不意に目の前の席から声が上がりクラス中の視線がそこに集中する。

 転校生の岩水寺さんが細くて長い手を真っ直ぐに上げ、音もなく椅子を引くと立ち上がった。

「先生。私、クラス委員長に立候補したいです」

 なんということだろう。

 彼女こそ、黙っていればまず役職を回されない立場だったろうに、自ら難職を買って出るとは、何と殊勝な女の子なのだろうか。

 しかし、先生は少し困ったような顔をして言った。

「岩水寺さんの申し出はすごく嬉しいんですが、クラス委員長の仕事を転校してきたばかりのあなたにやってもらうのは、正直にいって大きな負担になってしまうと思うんです」

 申し訳無さそうな顔をする先生に対して、なんと彼女は食って下がったのだ。

「確かにそうかもしれないですが、逆に転校生だからこそ早く皆さんと仲良くなるためにも、何か仕事を与えて貰いたいんです」

 そのあまりにも立派な意見に、周りの生徒からは感嘆の声すらあがった。

「……それに、内申点も良くなるし」

 あっという間に感嘆が笑い声に変わる。

 一瞬だけ逡巡を見せた先生だったが、「岩水寺さんがそこまで言ってくれるのであれば先生からもお願いします」と彼女に小さく頭を下げた。

「そういうわけだから都筑、頼んだ」

「――ん?」

「彼女のサポート、頼んだ」

 気のせいでなければ今、ものすごいスピードで俺が男子のクラス委員長をやることが決まった気がしたのだが。

「先生、俺、副部長」

 たった三語に全てを詰め込み即座に抗議の声を上げる。

「あーそうだったな。じゃあ聖、副部長頼んだ」

「えーーーーーー!」

 巻き込まれる形で副部長就任が決まった聖の叫び声が、まるで甲子園のサイレンのように教室中に響き渡った。

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