死んでも君を死なせない

青空野光

始業式

転校生

 新学期の教室に慌ただしく駆け込んできたさとしが、俺の席の正面までやってくると声を張り上げる。

「転校生の名前、ガンスイジっていうらしいぞ」

 どうやら転校生がやってくるらしいという噂は聞いていたが、その人物像については一切漏れ聞こえてこなかった。

 聖がもたらしたこの情報が、事実上の第一報といってもいいだろう。

 そのやけに厳つい名字を聞き頭に浮かんだのは、ビリヤード玉大の巨大な数珠を首に掛けボロボロの袈裟けさを身に纏った、身の丈二メートル強の屈強な破戒僧はかいそうの姿だった。

 ほどなくして新担任が教室の前のドアから入って来る。

「おはようございます。これから一年間、みなさんの担任をする小池こいけです」

 この四十代半ばのぽっちゃりとした男性教諭は、俺の一年の時きょねんの担任であり、尚且つ部活の顧問でもあった。

 大変気のいい人物ではあるのだが、何かと面倒事を押し付けてくる厄介な存在でもある。

 去年は彼の独断でクラス委員長をやらされたし、本年度の部活の副部長の役職も、前年度の内に彼が勝手に決めやがっていた。

 きっと目の前の空席も、俺に転校生の世話を見させる彼の計略なのではないかと、割と真剣にそう疑っている。


 小池先生は教卓に両手を置き教室全体を見回すと、幾らかの間を置いてからおもむろに口を開いた。

「もう知っていると思いますが、今日からクラスのお友達が一人増えます」

 完全にウケを狙ったその言い方に、何人かのクラスメイトは小さく笑い声をあげたようだったが、俺を含めた旧小池クラスの面々のほとんどの者は、眉一つ動かすことなく彼を直視していた。

 当の本人はややウケしたことにご満悦の様子で、颯爽と振り返るとマエストロの身軽さで黒板にデカデカと板書する。

 白いチョークで書かれた『岩水寺舞がんすいじまい』という名を見て、 俺は人知れず胸を撫で下ろした。

 転校生が女子生徒であるのなら、破戒僧でもなければ熊のような巨漢という可能性も低いだろう。

「それでは岩水寺さん、こちらに」

 開け放たれたままのドアの向こうにクラスメイトたちの熱い視線が向けられる。

 岩水寺さんとやらは教室の入口で軽く一礼をしたあと、スタスタとした足取りで教卓の横まで歩いてくると、スカートの裾をなびかせながらこちらに向き直った。

 禅寺のような名字からイメージしたのとは程遠い彼女の容姿に、男女を問わずクラスメイトのほぼ全員が「おお」と感嘆の声を漏らした。

 ハーフアップにした長い黒髪は、近くで見ずともよく手入れがされいるのがわかり、窓から斜めに射し込む光を受けて上品に輝いていた。

 磨かれた黒曜石のような大きな瞳の上下にはマッチ棒が二、三本も載りそうなまつ毛が備わり、すっと通った鼻筋の下にある薄くて小さな唇は、高級デパートに並ぶサクランボを思わせ、要はとんでもない美人なのであった。


「岩水寺舞です。祖父の仕事の都合で先月引っ越してきました。みなさんよろしくお願いします」

 彼女はそう言うと頭を深く下げる。

 黒く長い髪がサラサラと音を立てながら流れる様を見ていると、ふいに「おーい、都筑つづき」と名前を呼ばれ、驚いた俺は思わず立ち上がってしまった。

 一瞬の静寂のあと、教室中に大きな笑い声が上がる。

 次の瞬間には、それが自らに向けられていることに気づく。

 そこはかとない気恥ずかしさに打ち震えながら、名を呼んだ教師を軽く睨みつけながら「なんすか」と返す。

「たった今クラスに笑いをもたらしてくれた彼は都筑五月いつきくんです。岩水寺さんは彼の前の席へどうぞ」

 先生に案内され目の前の席へと歩いてきた彼女は、俺の顔を見て一瞬だけニコリと微笑むと席に腰を下ろした。

「ん? 都筑も座ったらどうだ」

 先生のその一言で、教室に再び笑いが起こる。

「朝のホームルームは以上です」

 このあとは体育館に移動して、始業式やら着任式やらが執り行われるそうだ。

 我がクラスのホームルームは、転校生の紹介をしただけで終わってしまったこともあり、それまでに二十分程度の待機時間が発生した。


 教室から先生が出ていくと、早速とばかりに岩水寺さんの周りには黒山の人だかりが出来ていた。

 もっともそれは女子ばかりであり、男子たちはといえば皆、遠巻きにその光景を見ているだけだった。

 唯一俺だけは――地理的な条件から――その中心に近いところに置かれたまま身動きが取れなくなっていた。

 蟻山の中では、女子たちから矢継早に質問が飛び交い、彼女はその一つ一つに丁寧に答えていた。

 完全に場違いな存在の俺は、ただおのれの気配を消すことに注力していたのだが、その努力は報われることなくあっさり打ち破られてしまう。

「い~つきっ」

 すぐ真横から声を掛けられ、しぶしぶ伏せていた顔を上げる。

 女子生徒の中では一番仲の良い南海なみが、俺を見下ろして立っていた。

「なに?」

 十数人からの女子たちの視線が一斉に集まり、その緊張からやや掠れ声になってしまった。

「五月に舞ちゃんのこと紹介してあげようと思って。舞ちゃん、これが五月」

 つい先ほど先生からフルネームで紹介済みだったのだが、恐らくは親切心からそうしてくれたのであろう南海の手前、それを指摘するのは些かはばかられた。

 椅子に座ったまま身体を捻ってこちらを伺う岩水寺舞さんに、上目遣いで軽く会釈をする。

「……五月です。よろしく」

 南海に背中を思い切り引っ叩かれ、「全っ然だめ! もう一回!」とリテイクを要求されてしまう。

 せそうになるのを堪えながら、仕方なく今度はもう少し長めの台詞を用意する。

「後ろの席の男こと都筑五月です。言いにくい名前だけど、どうぞよろしく」

 自分的には無難にまとめたつもりだったのだが、女子たちから大きな笑いが起こる。

 目の前の席に座る岩水寺さんも、両手で口を抑えて上品に笑っていた。

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