第32話:豪勢な『一番安いランチ』
『スパイさんの晩ごはん。』
第三章:ツーク・ツワンクの老人たち。
第四話:豪勢な『一番安いランチ』
あらすじ:2人に奢る事になった、
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『ツーク・ツワンク』の一階は、前に招待された二階の個室ほどでは無いが、重厚な装飾がなされていて、広い店内は賑わっていた。噂に聞いていたとおり貴族のような組み合わせもいる。
多くの人が料理に舌鼓を打つ中、ターニップの歓喜の声がひときわ大きく響いた。
「美味しーい!」
私とターニップとシャロット。3人には不相応な広いテーブルいっぱいに並べられた強請な料理。専属の給仕がついてアヒルのローストを好みの大きさに切り分けてくれる。
それも、ただ切り分けているというわけではない。骨と筋を的確に取り除き、上等な柔らかい部位を少女にも噛み切りやすいように極薄にスライスする。これほどの技術の給仕を専属に付かせるだけでも値段は跳ね上がる。
どう見積もっても私が望んだ一番安いランチとは思えない。
他のテーブルに提供されている料理はワンプレートで、貴族にさえ給仕は付いていない。つまり、貴族よりも豪勢なランチを食べているのだ。
2人の少女の笑顔の手前、見栄を張り平静を装っているが、内心は冷や汗でダラダラだ。ツケは効くのだろうか?
「おい、どうなっているんだ?」
たまらずに私が給仕をコヅイて聞くと、彼はニッコリと笑った。
「旦那様から最上級で饗すように指示されています。」
私はヤケクソになって薄く切られたローストを五枚、フォークで大胆に突き刺した。
「ふんっ!」
どういう理由か知らないが、老将軍が支払うというならば、楽しまなければ損である。
前回は理由も判らず個室に連れていかれて、食事を楽しめなかった。いや、今だって心の底からは楽しめていない。老将軍の意図が見えないのだ。私は五枚のローストを噛み千切る。
他の店と変わらず味付けは薄いものの、丁寧に羽毛を処理した皮はぱりぱりと音を立てて、しっとりとした肉はじんわりと濃い脂を滲ませる。間違いなく美味いのだが、やはり心は落ち着かない。
更に五枚のローストを頬張り、口が空くまでの時間で薄くスライスしたパンに千切りにした瑞々しい胡瓜とローストを乗せた。
「こんなに美味しい料理なんだから、ゆっくり食べないと勿体ないわよ。」
シャロットが口をいっぱいにして咀嚼する私を心配してくれた。
しかし、私は自棄を起こしている。この場に老将軍が居ないなら、後で呼び出されて料理の対価に何かしらの難題を吹っ掛けられるだろう。いったい私に何をさせたいのか知らないが、私には食い切れないほど食うしか意趣返しする方法がない。
だが、腹がはち切れるくらい食ったところで、あの老将軍の笑顔は無いだろう。なにせ英雄と謳われた人物だ。立派な屋敷もさることながら資産もたんまりあるに違いない。
「追加でございます。」
口を一杯にして、さらにローストを詰め込もうとする私の耳を、給仕の声が通り過ぎる。おおかた私のテーブルの上を空っぽにする勢いの食べっぷりを見て、追加の料理を運んできた思ったのだが、彼の後ろを見て吹き出しそうになった。
「シャロットたちばっかり、ずっるーい!」
そこには三人の黄な粉豆の少女たちが並んでいた。追加とは料理の追加では無く、食べる者の追加であったらしい。
「どうして貴女たちが?」
目を白黒させながら口をもぐもぐとさせている間に、シャロットが私の思いを代弁した。
「へっへっへ~。ここの給仕さんがわざわざ来てくれたの。おじちゃんが呼んでいて奢ってくれるって。」
いやまておかしい。私はそんなことを頼んでない。三人分の料金でさえ肝を冷やしているのに、六人分なんて無理に決まっている。
完全に逃げ場を失った。
三人で使うにはテーブル広すぎると思っていたが、最初から黄な粉豆の少女たちを呼ぶことも計画されていたのだ。
老将軍の頼みを断れなくするために。
六人分の高級料理店の食事の代金を支払う能力は私には無い。もちろん、家にある蓄えをかき集めらばなんとかなるし、最悪はオックスや公爵閣下にまた前借をすれば支払える。だが、私の持っている財布の今の容量を遥かに超えているのは間違いない。
無理を言えばツケが利くかも知れないが、それは一時でも老将軍に借りを作ることになる。かといってすでに料理は出されていて、手を付けている。ターニップやシャロットに食事を止めるように言えるわけが無い。きらきらと目を輝かせる黄な粉豆の娘たちに『帰れ』と言えるわけもない。
絶対に老将軍が支払う形にされた。
私が老将軍の頼みを断ろうとしても、彼は何かしらの手を打ち、少女たちを味方に付けるに違いない。特にアパートの大家の娘のターニップとの関係が崩れれば、私の安息の場所が無くなる。
老将軍なら私が勘定を払っていないと暴露するのは容易い。彼女たちがこの店の味を覚えてしまった今、料理で釣れば籠絡もしやすいだろう。相当な無茶を言わない限り、彼女たちは老将軍の味方をし、私は彼の頼みを断れ無くなる。
そう、人を殺めるとか法や道徳に反しない限り。いや、多少の道徳くらいなら破る事も否応なくさせられるかもしれない。
ここまでして彼は何を私にさせたいのか解らない。その恐怖で料理が楽しめない。一度は覚悟を決めていたが、知らないうちに掛け金を倍にされたのだ。少女たちはそれを知らずに話に花を咲かせていた。
「ねえねえ、ターニップはどうしてここに?」
ターニップとシャロットはお互いを知らなかったが、商店街を行き来している黄な粉豆の少女たちは両方と面識がある。自己紹介の必要はない、
「マートンの後輩の引っ越しを手伝ったのよ。」
「あ~言ってくれれば私も手伝ったのに。」
黄な粉豆の少女たちが給仕に椅子を引かれて座る。特別な待遇に喜びながらも、彼女たちの口は止まることがない。
「テーブルナプキンを首に掛けないでよ、子供じゃないんだから。」
「え~、膝より先に胸に落ちるのよ。」
「無駄に成長するからよ!浄化の魔法を使いなさい。」
初対面だったターニップとシャロットの間ではまだ、探り合いのような会話しか無かったのに、黄な粉豆の少女たちが席に付いたとたん、一気にテーブルが華やかになった。3人寄れば姦しいというが、5人ではどういうのが適切だろうか。
「ねね、このお肉すっごく美味しいよ。」
「お代わり良いですか!?」
「バカね。遠慮しなさいよ。…でも、ホント美味しいわよね。」
考えてみれば、このように女性に囲まれる事なんて今までは無かった。私の周りに集まってくるのは男、それも年を重ねた老人ばかり。
好奇心旺盛な育ち盛りの少女達によって、テーブルの上はみるみると片付く。その食べっぷりは、さっきまでの私の毒気を抜くくらいだ。
「おお!デザートだ!デザートだよ、デザート!!」
「うるさいわね。見ればわかるわよ!」
「ああ、崩すのがもったいないわ。」
彼女たちは些細なことで幸せになったり、お互いに目くじらを立てたりしながら食事を進め、食後にはデザートと紅茶が用意された。騒がしいのは苦手だが、きゃいきゃいとはしゃぐ彼女たちを見ていると、何とも甘酸っぱい気分になる。
この檸檬のケーキのように。
私は丁寧に装飾された檸檬のケーキにフォークを立てた。茶色いスポンジの上に黄色のコーティングがなされ、たっぷりと添えられた『勇者の雲』を本物の雲に、輪切りのレモンを本物の太陽に見立てた細工しも素晴らしい。
「あっま〜い!けど、すっぱ〜い!」
「おいし〜!!」
「これが大人の味かしら?」
初めて食べるコーティングは艷やかで、しっとりとしていた。甘いスポンジにほんのりと香る檸檬は酸っぱいが、混ぜられたピールはほろりと苦い。
美味い。
彼女たちと一緒に檸檬ケーキを食べていると、老将軍の思惑を愚考しているのがバカバカしく感じる。
全部、後で考えれば良いのだ。
楽しいデザートに私は気分を変え、すっきりした紅茶で甘いケーキを洗い流すと、陽気な店内を見渡した。
これだけ美味い料理を提供するのだから、店内は賑わっている。部屋のあちこちに彫られた細工を眺め、談笑しながら食事を待っている老夫婦。背伸びしてきたのか緊張するカップル。ケーキに舌鼓を打ちつつ頬を染めて、ひそひそと会話する夫人たち。見ているだせで嬉しくなる光景に頬を緩めたとき、テーブルに大きな影が落ちた。
「待たせたな。」
平和なひと時は、早すぎる老将軍の登場によって壊されたのだ。
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次回:食えない『デザート』
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