第31話:柔らかな『罠』
『スパイさんの晩ごはん。』
第三章:ツーク・ツワンクの老人たち。
第三話:柔らかな『罠』
あらすじ:新人に任せられるか?
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「ふふふんふふん♪」
機嫌良く鼻歌を囀るターニップは、私の腕を抱えて離さない。幸せそうな笑顔の彼女とは反対に、私は処刑場に連れて行かれるような気分だ。
ああ、二の腕に感じる彼女のふにっと、ふくよかな胸に負けた訳では無い。たぶん、違う。
地図を受け取った私が先導し始めてすぐ、ターキィの新居はあっさりと見つかった。あまりの呆気なさに二人がぽかんと口を開いたのは面白かったが、引っ越しは予定を大幅に遅れていた。
ターニップはすぐに大家のバジル氏に話をつけてくれ、ターキィと私は滞り無く部屋に荷物を運び込んだ。
貴族街のすぐ隣にあるこのアパートは王宮へも近く、『旅のうさぎ屋』がある商店街もほど近い。つまり、老将軍ノ經營する『ツーク・ツワンク』や屋敷も近い。
老将軍と距離を取りたい私としては、あまり長居をしたくない。
引っ越しを終えても喧嘩腰の2人を引き離すためにもさっさとターキィのアパートを後にしたのだが、出た途端にターニップは私の腕に絡まりついてきた。
「歩きにくいのだが。」
「そうかしら?」
「気にならないか?」
「なにが?」
腕に抱きつかれると歩きにくい。それは彼女が重たいとか、歩調が合わないとか言う話ではなく、噂話を楽しむ周囲の視線が痛いのだ。
そして、ターニップの温もりと甘い体臭が伝わる近い距離。二の腕に伝わるふくよかな感触。顔に出さないように気を付けているが、どうしても意識してしまう。
まるで恋人同士。
とはいえは周囲の視線がある。振りほどけば非情な人間に見えてしまうだろう。何を言っても無駄な気がして私は黙った。
「ねえ、今日のお礼はまだ?」
「ターキィが用意するだろう。」
私もターキィが部屋から出ていって清々したが、彼が住むアパートを探してもらったのだから、彼が正式な報酬を払うのが筋だろう。
「貴方が困っているから、私は頑張ったのよ。」
「何か考えておこう。」
ターニップは報酬の二重取りななるし、私が頼ったのは彼女の父親のラディッシュだ。話を持って行った時に、代わりに将棋に3局ほど付き合わされていたりする。
「ダメ!今が良いの。」
駄々をこねるターニップが両腕で私の腕を引くと、柔らかな塊が二つになった、ニヤニヤと噂する周りの目が、私達を見ないふりをしているのが気になる。
しかし、今が良いと言われても、あいにく礼になりそうなものは用意していないし、特にこれと言って持ってもいない。金銭で解決するのは、この場合あまり良くないと思う。
「昼飯を奢るくらいしかできないが、良いか?」
「もちろん!」
どうやら、ターニップの目的は最初から私に食事を奢らせる事であったらしい。ちょうど昼時だし、悪くはない。しかし、このタイミングに拘るということは、彼女には目的の店があるに違いない。
「『旅のうさぎ屋』なら、新作のパンが出ているはずだ。」
この近所に知っている店がいくつかあるが、ターニップに教えた店は少ない。『旅のうさぎ屋』はそのうちのひとつだ。
ターニップにも色々な味のパンを土産に渡したことがあるが、シャロットは客が飽きないように定期的に総菜パンや菓子パンを変える。今なら彼女も食べたことの無い味があるはずで、案内の礼として十分に楽しむことができるだろう。だが、彼女の行きたい店は違ったようだ。
「『ツーク・ツワング』って素敵なお店なんでしょ?」
あまり近寄りたく無かった老将軍の店。私は言われてドキリとする。
確かにターニップに彼の店を教えていた。それは、門番のラディッキオに美味いと勧められた時で、何かの話のついでに、屋敷の周辺に行っても不自然にならないように店名を挙げた。
しかし、今はあまり近寄りたくない。少なくともターキィに引継ぐまでは。あの強烈な老将軍にもう一度会うにはそれなりの覚悟と準備が必要なのだ。少なくとも私には。
私は幽霊や超能力などを信じているわけではないが、勘だけは軽視しないようにしている。
例えば、渡り鳥が低く飛ぶと雨が降るように、例えば、玉虫の卵をよく見かける年は雪が深くなるように、例えば、クソジジイ共の口数が多い時は悪巧みをしてる時だというように。
勘とは、まったく関係の無いように思える二つの事象の因果を、本能が無意識のうちに感じとって警告していると考えているからだ。完全に的外れだったこともままあるが。
「他の店ではダメか?」
「ずっと楽しみにしてたのよ。」
ターニップが握りしめるクシャクシャになった地図には、ラディッシュのアパートからターキィのアパートへの道筋より、『ツーク・ツワンク』への道筋の方が描き込みの方が多い。ターニップは誰かに、いや、地図を描いたバジル氏に聞き込み済みなのだろう。
つまり、最初からターニップは私にあの店に連れて行かせる気だったのだ。この地図がある限り、ターニップは私を『ツーク・ツワンク』に連れて行くだろう。はた迷惑な地図である。
私は他所行きの服のターニップを見つめる。バジル氏に失礼の無いようにとめかし込んでいるだけだと思っていたのだが。
「…。」
「ひとり暮らしのための部屋に2人で暮らせるように父さんに口を利いてあげたのも私だし、ターキィのベッドを用意したのも私。今日だって道案内してあげたでしょ。」
私の財布が初日に掏られるような街では、ターニップ一人ではたとえ同じ街の中でも、あまり遠くへは行けないだろう。地方の町に比べれば治安が良いが、彼女のような若い女性は弱い
それに、老将軍の店は貴族も来ると聞く。見知らぬ貴族の機嫌を損ねれば、どのような目に合うか判らない。公爵閣下や老将軍と面識がある私のような存在がいなければ。
娘バカのラディッシュが許さないだろう。
だから、ターキィを優遇して私に恩を売り、『ツーク・ツワンク』に連れていかせようとしたのだろう。
「仕方ない。」
「やった!」
破顔したターニップが私を絡めとる腕に力を込めると、柔らかい感触に弾力が加わる。私は諦めてターニップをエスコートして歩き始めた。
肩より低いターニップの顔は見えないが、「ふふふんふふん♪」と鼻歌を囀り始めたのだから相当に上機嫌なのだろう。複雑な気分のまま『ツーク・ツワンク』の店の前に差し掛かると一人の少女が声をかけてきた。
「あら、デート?」
シャロットは隠すこともなくニヤニヤと笑う。『ツーク・ツワング』の3軒隣りにある『旅のうさぎ屋』の娘なのだから、会うことも不思議ではないのだが、悪いタイミングだ。
「いや、後輩の引っ越しを手伝ってくれた礼に食事に行くだけだ。」
「ふ〜ん?」
私は急に不機嫌になったターニップをニヤニヤと笑うシャロットに紹介し、事の成り行きを早口でまくし立てた。
「お礼なら、私にも権利があるわよね?」
「なぜだ?」
「誰が50本ものバケットを焼いたの?」
シャロットが唇の端を上げて左の腕に巻き付いくと、ターニップが眦を尖らせる。ふにっと柔らかい感触が左右から伝わる。
私は売り上げに貢献して還元したと思っていたのだが、最後にはかなり無理をしたらしく、魔道具の石臼はフル稼働状態だったらしい。そう言えば、夜も眠れなかったと老将軍に言っていた。
「前に『ツーク・ツワング』で食わせてくれたのは?」
「それは、黄な粉を挽いてくれたお礼だし、あの方が貴方に会いたいって言ったからよ。」
黄な粉パンを考案し、黄な粉豆の少女たちを使ったパン作りの負担の分散。それらを知った老将軍は私に興味を持った。そして、黄な粉を挽いた礼として私を招待するという口実で老将軍に引き合わせたのだという。なので、金を支払ったのはシャロットでは無く老将軍。話は別なのだそうだ、
ターニップが私の腕を抓る中、シャロットは私の左腕にを引いて早く連れて行けと促す。柔らかな胸を押し付けて私が奢るのが当然だと言わんばかりに。
「さあ!行きましょう。」
目的の『ツーク・ツワンク』は目の前だ。さっさと店に入ったほうが現状から逃げ出せる。両腕を毒花に絡め取られた気分で、『ツーク・ツワング』の重たそうな扉の前に立つと、給仕の少年が私に向かって商売用の笑みを浮かべた。
「ようこそおいでくださいました。マートン様。」
前回は挨拶も交わさなかった彼が、一度来ただけの私の顔と名前を憶えている。つまり、老将軍は確実に私を特別扱いしている。
しかし、私が個人で店を利用する以上、3人分の金は払わなければならないだろう。『ツーク・ツワング』のメニューを見て無いので値段は解らないが、ドアボーイが付くような店が安いわけがない。
そして、ターキィの引っ越しだけのつもりだった私はあまり持ち合わせがない。いや、財布の中に入れておく額としては大目には入っている。が、高級な店で2人に奢るとなると心許ない。
「一番安いランチはいくらになる?」
私がこっそり訊ねると、少年は爽やかな笑顔でニィと口元を歪ませた。
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次回︰豪勢な『一番安いランチ』
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