第30話:迷子の『引っ越し』

『スパイさんの晩ごはん。』

第三章:ツーク・ツワンクの老人たち。

第二話:迷子の『引っ越し』


あらすじ:新人に任せよう。

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「もう!地図だとこの辺なのに!」


先頭に立つターニップが地図をクシャクシャに握りぶしたので、私とターキィは顔を見合わせてため息を吐いた。彼女に任せっぱなしだった私達が悪いのだが、さっきから同じ所をグルグルと回っていたのだ。どうやら道に迷っているらしい。


「見せろよ。」


メッキが剥がれたのか、言葉遣いの荒れたターキィは道の真ん中で大きな荷物を降ろし、ターニップの持つクシャクシャの地図を奪った。今日の主役はターキィなのだ。道に迷った後始末は彼にやってもらおうと、私も背負った荷物を置いて空を眺めた。


今日は彼の引っ越しの日だ。


重い荷物を運ぶのにかない暑さなのに、高い建物の隙間から覗く空は小さくて、風ひとつ寄越さない。朝から出たのに容赦の無い太陽が目えるのは、そろそろ昼飯の時間だからだろう。


後任としてやってきたターキィは、アパートが決まるまでと私の部屋に転がり込んできた。彼は王宮に私と同じ店で奉公していた同僚という設定で面接を受ける。だから彼はお互いを知っておくべきだと主張したのだ。


『千鳥足の雄牛亭』のかび臭い部屋に泊まりたくないだけだと思うが。


主張は解らなくも無いので受けたが、あいにく私のアパートは独身向けで、二人で過ごすには些か狭い。ターニップが大家の娘として世話を焼いてくれたおかげでベッドは用意できたが、さらに足の踏み場もないくらい狭くなった。


そのうえターキィは情報収集と称して夜遅くまであちこちの酒場に行っていた。朝早くから王宮へと出仕している私とでは生活の時間がズレて一向にお互いの理解は深まらないし、酒の臭いをさせて寝ているターキィを起こさないように朝の準備をするのは気を使った。


さっさとターキィに部屋を出ていって欲しいと私が思うのは仕方ないだろう。私はアパートを経営しているラディッシュなら、同業者の知り合いがいると踏んだ。


それは大当たりで、ラディッシュはすぐに部屋を見つけてくれ、今日の引っ越しの案内もターニップが買ってでてくれた。のだが…。


「曲がった先に建具屋なんて無かったぜ。」


「でも、ちゃんと3番目の角を曲がったわよ。」


言い争う2人を眺めるのに飽きて視線を落とすと、私の背中を苛んだ重たい荷物の裏から猫がニャーの姿を表した。


たった数日だというのに、ターキィの荷物は膨れ上がっていた。私の部屋が狭いと言う事を身を持って知っているはずなのに。


初日から財布を無くして苦労していた私と違い、ターキィは金回りが良く、毎晩のように飲みに出かけ、新生活に使うだろう品々を買って帰ってきた。


さすがに家具は無いが、鍋にフライパンにホウキにチリトリ。生活には必要な物ばかりなのだが、引越し先も決まる前から買う物でもあるまい。同じ部屋で暮らしているのに、それらを彼が使っている姿を一度も目にしていないのだから。


苦情を告げたら、礼の変わりにターニップから買ったと言われると二の句が継げない。私が閉口するとターキィは得意になって更に品を増やした。引っ越しを予定しているのだから、買い物は最小限に抑えておけばいいものを。


「こんな地図で当てになるかよ。」


「でも、描いてある通りじゃない。バジルさんが間違った地図をくれたっていうの?」


終わらない言い争いをする2人を尻目に、猫の欠伸を観察していると、私の腹がぐぅと鳴った。


今日は引越しの手伝いと言う事で、いつもよりしっかりとした朝食を食べたのだが、すでに消化は終わったようだ。


半玉のキャベツを使い分厚いベーコンの具だくさんのスープに、キノコの入ったオムレツ。パンはもちろん『旅のうさぎ屋』のものでマーマレードを添えた。こんなに腹が空くのなら、残ったベーコンを焼いても良かったかもしれない。同じ具材が重なるからと躊躇ったのは失敗だった。


薄味を好む傾向からか、冷気が出る魔道具があるからか、この街のベーコンは味が薄い。だが、やっと見つけたあのベーコンは昔ながらの保存食のように塩気の強く、しっかりとした赤身は歯応えがあり、それでいて白い脂身は蕩けるような旨味を出していた。


部屋を出ていくターキィに振る舞うのが惜しいと、私が出し渋っても仕方が無いではないか。ああ、味を思い出しただけでヨダレが溢れていた。


昼食にはベーコンを使ったパスタなんてどうだろうか。ニンニクと鷹の爪を効かせてベーコンの塩味の強いペペロンチーノ。合わせる野菜は葉物にするか。いや、ジャガイモもキノコも捨てがたい。昼食までに家に帰れる可能性はないのだが。


「女が地図を読めないってのは本当だったんだな。」


「いつもは迷わないわよ!初めて来た場所だから勝手が違うの。」


喧々諤々とする2人も疲れが溜まっているのだろう。重たい荷物を持って歩き続けて、目的地に着く目途が立たない。予定通りならすでに到着している頃合いだ。


それもこれも、馬車代を渋ったターキィの責任だ。王宮に近い場所を考えるなら、貴族街の近く。だか、その辺りは王都の中心で、空いていることは滅多にない。となると、少しずつ郊外へと探す範囲を広げるのだが、ラディッシュに紹介されたアパートはほとんど王都の端。


普通なら馬車を使っても良いくらいで、大荷物を持って歩く距離ではない。や黄な粉豆の少女たちが歩いて王都を横断している事を知っていたターキィもターニップも近いものだと勘違いをしていたのかもしれない。


まあ、これだけの荷物があると乗り合い馬車も荷物代を取る。その分を浮かせたかったのかもしれない。


「初めてなら案内を買って出ないで、地図だけ渡してくれれば良かったんだ。」


「そんな無責任な事できるわけないじゃない。第一、貴方はバジルさんの顔も知らないでしょ。」


ターニップは引っ越し先の家主、バジル氏とは、氏がラディッシュを尋ねて来た時に挨拶を交わす程度で、アパートを訪ねた事は無いそうだ。


それもそのはず、バジル氏のアパートは、彼女のアパートからかなり遠く、王都の外れにある。ターキィが勤め先になる王宮に近い場所を希望し、それを優先した結果だ。


「それで、地図は解ったの?」


「最初から地図を辿ってきたのならともかく、この街に来たばかりのオレが解かるわけないだろ。」


私はそのあたりに生えていたエノコログサを抜いて、猫の前で揺らした。


ターニップがこの辺りを知らないのはまだ理解ができる。近所ならともかく、ここは王都でも外れであるし、特に何があると言う訳無いので、長年住んでいたとしても訪れたことがなくても仕方ない。


だがしかし、この辺りのアパートを探していたはずのターキィが地図を理解できないのは腑に落ちない。本当にこの男は私が働いている間に何をしていたのだろうか。


優秀な新人とは何だったのか。


あまり故郷の同志で一緒にいると、ひとり摘発されただけで芋づる式になってしまう。それを押して、同じく王宮で働く者同士、連携を取っても不自然では無いように奉公先が同じだったという設定にしたのだが、この新人とは少し距離を置いた方が無難かもしれない。


「どうしよう?マートンさん。」


一向にエノコログサに靡かない猫にやきもきしていた私に縋るターニップは不安そうに、そして目には大きな涙を湛えたいた。


彼女に泣かれると私が困る。


いつも世話になっているし、部屋を借りている限り毎日顔を会わせるのだ。


「地図を見せてくれ。」


「こんなメチャクチャな地図で解かるわけないだろ。とりあえず大通りに出て、衛兵の詰所を探そうぜ。」


ターキィが乱暴に渡してくれた地図は手描きだった。詳細に描かれた地図は時に軍事機密にまでなるので当たり前だが。


それがターニップが迷う原因になったようだ。手描きの地図は複雑なのに、大きな通りも小さな路地も同じ太さの線で、目印になりそうな店を描いてあるものの数は少ない。一度間違えたら戻るのは難しそうだ。


「なるほど。あっちだな。」


「解かるの?」


安堵したターニップのキラキラとさた尊敬の眼差しが痛いが、私は素知らぬ顔で続けた。


「ああ、こことここの道の間に実際はもう2本の小路がある。ここが地図に描かかれてないから、早く曲がってしまったのだろう。今はこの辺りだ。」


私は地図の2ヶ所の通りを示した後に、地図の外の線の引かれていない場所を指差した。間違えた角はだいぶ前で、その後ずっと間違えていたのだから、かなり場違いな場所に来ていることになる。


地図を頭に入れておいて損は無い。


逃げる時には絶対に。


私は休日のたびに王都のあちこちを歩き回った。特に貴族街の近くにあるこの辺りは『旅のうさぎ屋』で50本のバンを買い付けるついでに良く来た。そして地図の目印になっている数少ない目印の中に私の知っている店があった。


『ツーク・ツワンク』


老将軍が経営している店の名だ。



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次回︰柔らかな『罠』




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