第26話:シャロットの『ビジネス』
『スパイさんの晩ごはん。』
第二章:味噌ほど美味いものは無い。
第十二話:シャロットの『ビジネス』
あらすじ:老将軍登場。
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音に聞く英雄。
ただそこにいるだけで気圧される本物。老将軍の後ろに描かれた白虎やドラゴンなんかと比較にならない。さっきまでは恐怖を感じていたのに。私はすぐに平伏しようと席を立ったのだが、老将軍はそんな私の手を無理やり引いて止めた。
「引退したオレなんかに気を遣うな。」
「もう、そんなに怯えさせるなら、スプラウト様に紹介するんじゃなかったわ。」
「はは、まだ緊張しているだけで、この男ならすぐに憎まれ口を叩くさ。」
膨れるシャロットを宥める老将軍は、私が公爵閣下に金を借りた経緯をぺらぺらと話しだした。
だが、閣下に前借りを要求して溜飲を下げた話をした数は少ない。特に王宮では全くだ。それが私の恥になるからではなく、美徳として語ってもいいくらいのものだが、どちらにしろ閣下に迷惑がかかる。
私ごときに金を貸すくらいなら、自分にも金を貸せという輩が必ず出るからだ。その人物が貴族なら桁が変わってくるし、必ずしも金を返すとは限らない。
となると、あの場にいた閣下本人か物流局の局長からから話を聞き出したのだろうが、老将軍が王宮に来たなどという話は聞いていない。王宮に入ったばかりの私の人脈が狭いが、これだけ存在感のある人物が噂にならないはずがない。
閣下からも老将軍に会ったという話も聞いていない。残業する私たちを指揮する閣下が忙しくなかったはずは無く、同じ時間まで残っていた。席を外すことも多かったが、それでも、王宮を出て誰かしらに会うには短かったし、王宮を出る時は行き先と会う予定の人物の名を聞いていた。
そうでなければ、私たちの仕事が成り立たない。急用で閣下に会いたいという人物が来ることもあるし、会う人物の調査から贈答の品を用意までするのは私たちだ。
となるとやはり、局長からだろうか。彼の下で働いていれば、老将軍との接触が容易かったのかもしれない。いや、それよりも平民でも通える店に顔を出すような人物と、オックスが接触できなかったのは何故かとの疑問の方が残るが。
「それで、マートンの財布は見つかったの?」
「この広い街で小さな財布を見つけるのは無理だろう。」
盗まれた財布はチキン先輩にアパートを案内される前に、この街の警備隊に被害届だけ出たのだが、それ以来音沙汰がない。旅の途中で買った財布自体に思い入れも無いく、予想外の支出で中身も少なかったので諦めている。
「だがよ、ひと月分の給料を前借りしたくせに、こいつはたった三ヶ月で全部返したんだぜ。利子を倍にして。」
「へえ、どうやって?」
ひと月分の給料を三か月で全て返すというのは無理が無いように思えて、実は少しだけ難しい。王宮勤めで市井の中では高給ではあるが、所詮は給料取り。ひと月暮らして余裕はあるものの、三分の一も無くなったら生活が成り立たなくなる。
なので、少額を何度かに分けて返すと約束していたのだが、思った以上に金に余裕ができたので残りをまとめて返した。閣下に不利益がでないように、当初の約束の期限で払うはずだった複利を含めた利子と迷惑料を併せて。それが短期で返した時の倍だったというだけだ。
「シャロットが私にパンを別けてくれたように、パンを運んだ礼に色々と差し入れを貰ったんだ。あれが無ければ苦しかった。」
チキン先輩や黄な粉豆の少女と違って、私は仕事でパンを運んでいたわけでは無い。なので、報酬を受け取るわけにはいかなかった。しかし、代わりとしてターニップをはじめとした男の一人暮らしを心配する世話好きな奥様方から色々な差し入れを貰った。
おかげで食事に困らなくなったし、配る人数が多かったので料理ばかりではとハンカチや帽子などの品物をくれる人もいた。中には後回しにしていた絨毯やカーテンなんかもいて、今では置き場に困っている。当人たちは店の売れ残りだと笑っていたのだが。
それに、残業続きの仕事場では毎日のように夜食が振舞われたし、閣下が長く続いた残業を労って特別手当を大盤振る舞いをしてくれた。あまり大きな声で言えないが、オックスからも活動資金としてまとまった金を受け取ったこともある。
「つまり、私のお陰ってことね!」
「ああ、まあ。」
「しかしどうしてパンを運ぶのをやめたんだ?続けていれば、もっと楽ができただろう?」
「パンは焼き立てが美味いに決まっている。『旅のうさぎ屋』は香りを大事にしているから猶更だ。そこの黄な粉パンも時間が経てば香りが無くなるぞ。」
私が運ぶパンをその日のうちに消費してくれればいいが、数日に分けて食べる者や、中には次の私がパンを運ぶ日まで大事に食べる者もいた。日が経っても『旅のうさぎ屋』のパンは美味いが、せっかくならその日に必要な分だけをいつでも買えるようにしたかった。
「そうだった。そうだった。」
「そうよね。焼き立てを食べてもらった方が嬉しいわ。」
「じゃあ、準備が整うまで、ケーキでもおごろうか。」
「やったー!ケールさんのショートケーキは美味しいのよ!」
老将軍がチリンとベルを鳴らすと私達には果物のデザートとは別にケーキが運ばれてくる。『勇者の雲』をふんだんに使ったショートケーキというデザートは真っ白で、茶色いケーキしか知らない私にはとてもこの世の食べ物には見えなかった。
真っ白なケーキを満面の笑みで頬張るシャロットとは対照的に、老将軍の前に置かれたのは素朴な色のパンと黄な粉まみれになったパン。焼き直されているが地味にしか見えない。
「黄な粉をまぶした方は、焼き直しは難しいか。」
「そうね。専用のパンがあった方がおいしいそうだし、糖蜜も温めておく必要があるわね。」
黄な粉をまぶしたパンは糖蜜で黄な粉を固めているので、直火で炙ると黄な粉は焦げて、でろでろと溶けた糖蜜が手を汚す。シャロットが言ったように、食べる直前に調理し直さないと温かいまま食べるのは難しいだろう。
「ちょっと手間だな。」と見た目の感想を言い終えた老将軍は黄な粉を練りこんだパンをおもむろに口にした。シャロットがごくりと息を飲むが、関わった私も無関心ではいられない。
「なるほど、素朴な味わいだが香も残っているし、妙にクセになりそうだな。」
「でしょ。なんだか落ち着く味だよね。これなら他の料理の邪魔になり難いし、今の薄味ブームにも合うわ。」
「糖蜜掛けの方はデザートにするか?」
「ん~やっぱりパンだから、デザートにするだけのインパクトは無いと思うの。怒る人もいるんじゃない?」
「それもそうか。」
「ちょっと待て。他の料理とかデザートだとか、どこかの店で出すのか?」
『旅のうさぎ屋』でも食事はできるが、あくまでパンと飲み物だけの簡単な軽食だ。パンに挟んだ総菜は他の料理とは言わないし、コース料理でもないのにデザートとわざわざいう必要もない。
「ああ、言ってなかったな。オレがこの店『ツーク・ツワンク』のオーナーだ。」
「私はここの料理に合うパンを考えるように言われていたのよ。」
いくら美味しいパンだとしても、何度も食べれば飽きが来る。あくまで料理が主役となるため、パンに求められる期待は少ないが、それでももう一工夫があれば客を喜ばせられる。
「まだまだ調整が必要だから、ケールさんたちの意見も聞いてみたいよね。」
「それはまた今度だな。試食はしてるだろうが、仕事中の彼女たち手を止めるわけにはいかん。」
「それで、約束の物は用意してもらえるの?」
「ああ、すでに手配している。今のヤツも酷使しているんだろう。」
「やった!これで色々とできる幅が増えるわ。ありがとう、マートン。」
シャロットは私に飛びついて感謝の言葉を述べるが、何が何だかさっぱりの私は目を丸くするだけである。
「魔道具の石臼を増やしてもらえるのよ!今までは夜中も動きっぱなしでうるさかったから、やっとゆっくり眠れるわ。」
いくら従業員や材料の仕入れを増やしても、材料となる小麦粉が無ければ増産は難しい。かといって、魔道具の石臼は市場に出ていないので、簡単に手に入れる事はできない。シャロットは老将軍を頼るしかなかったが、彼は代償として料理に合う新しいパンをシャロットに要求した。
しかし、いくらパンを焼くのが得意な彼女でもすぐに斬新なアイディアが出るわけでもない。私の黄な粉のパンに混ぜるという発想は渡りに綱だったらしい。
なので、本来はシャロットが黄な粉パンを持ってくるだけで事は済んだのだ。だが、老将軍は発想の基になった私にも興味を示した。
「黄な粉パンもそうだが、パンを他のパン屋に置くというアイディアも面白かった。まさか本当に実現するとは思わなかったがな。」
「…お褒めいただき、光栄だ。」
そう言う話なら、最初に言って欲しかった。
シャロットの知り合いの貴族という事で老将軍の登場は予期できたのに、英雄が素朴な黄な粉パンに興味を示す理由が解らなかった。おかげで、無駄に緊張をしてしまって、せっかくの料理を堪能できなかった。門番のラディッキオが『だんとつに美味い』勧めてくれた店なのに。
「また遊びに来い。」
こうして私は老将軍に顔を覚えられたのだが、ものすごく疲れたので、しばらくは独りでこの店に足を運ぶ気力は沸きそうになかった。
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次回︰ターニップの『誤算』
これにて、第二章『味噌より美味いものは無い』は終了です。
先日より少し話題に出していましたが、パソコンが本格的にお亡くなりになりました。修正し終えた今回の話と、書き下ろしていた閑話5500文字分を飲み込んだまま。別ファイルにしていたのでバックアップとってなかった(涙)
新春セールで新調してようと考えていましたが、年末年始に色々と重なり時間が取れませんでした。楽しみにしてくださっている方には申し訳ありませんが、パソコンを新調するまで今しばらく時間を頂きたいと思います。出来る限り早く復帰するつもりなので、宜しくお願いします。
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