第25話:シャロットの『招待』

『スパイさんの晩ごはん。』

第二章:味噌ほど美味いものは無い。

第十一話:シャロットの『招待』


あらすじ:黄な粉を作った。

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目を覚ますと真っ赤な夕焼けが空を支配していた。目の前を何足もの靴が立ち止まりクスクスと笑いながら通り過ぎる。どうやら、大豆を挽いた後にゴザで寝転んで、そのまま眠っていしったらしい。


私は体に掛けられた肌触りの良いキルトをまくり、ぼさぼさの髪を掻きながら起きると、店の壁に立てかけられた立札がゴトリと倒れた。


『この者は新作パンの勇者。疲れているみたいなので、しばらく寝かせてあげてください。旅のうさぎ屋店主』


どうやらこの立て看板のおかげで私は誰からも起こされずに眠ることができたらしい。こうして注目を浴びるなら起こしてくれた方がありがたかったのに。


「やっと起きたのね。」


「お陰様で、ぐっすり眠れたよ。」


軽い嫌味のつもりで言ったのだが、シャロットは「良かったわね」と軽く流された。私は借りていたキルトとゴザに浄化の魔法をかけて折りたたむ。シャロットに手渡すと、ぐるぐると腹の虫が鳴ってしまった。


「もう少し待っていて。夕飯をご馳走するわ。」


店の中に入るとパンの香で腹の虫がまた騒ぐ。すでにほとんど売れていて大量のトレイの空のまま置かれているが、香が店に染み込んでいるのだろう。厨房からは明日の仕込みなのか包丁の音がトントンと調子よく響き、魔道具の石臼もゴリゴリと元気に働いていた。


温かい紅茶を淹れてもらったが、私はシャロットの閉店の準備を手伝った。よっぽど長い事寝ていたらしい私の腹がぐうぐうと鳴って夕飯を催促するのだ。空のトレイを集めたり、テラス席の椅子をテーブルに上げるくらい今の私でもどうとでもなる。明日は判らないが。


「ありがとう。それじゃあ、行きましょう。」


「どこへだ?」


食わせてくれると言うから、てっきり二階の住居に招かれるか、店のテーブルを繋げてここで食べさせてくれるのかと思っていたのだが、シャロットは大きめのバスケットを手に『closed』の看板の掛けられたドアから外に出た。


出向いた先は3軒隣の大きなレストラン。老将軍の屋敷の門番、ラデッキオが飛び切り美味いと勧めてくれた店だ。


「いらっしゃいませ。お待ちしていました。」


パリッと糊のきいた給仕服を着熟した少年が重そうな入り口の扉を開ける。


扉の先に見えるエントランスは落ち着いた色の魔道具の灯りで照らされていて、さり気なく使われている木材は節目がない高級品。要所を飾る金具に施されたメッキと共に丁寧に磨き込まれていて、上品な感じにまとめられている。


「奥にコリンキーが居るので、彼に案内させてください。」


「わかった。ありがと。」


曲がった廊下とトランプを意匠に彫られた複雑な衝立で遮られていて奥の様子は見えないが、かすかに聞こえる食器の音は高く響くので、特殊な炉を使って高温で焼しめた陶器や、不純物の少ない綺麗な結晶の金属が使われているのだろう。


少年に悟られないようにシャロットの耳元で尋ねた。


「大丈夫なのか?貴族も来る店なのだろう。」


これほど豪華な建物でドアボーイまで常駐しているならば、代金だってそれなりだろう。ドアボーイにだって給料は支払われる。その給料は料理の代金に含まれるに違いない。


それに心配なのはシャロットの懐事情だけではない。浄化の魔法で汗を落としたとはいえ、私達は普段着で来ているのだ。マナーだって覚束なければ、食事中の貴族に嫌がられたら摘まみだされてもおかしくない。


「あら、ウチにだって貴族のお客様が来るのよ。大丈夫。この店に服装をとやかく言うような人は来ないわ。」


『旅のうさぎ屋』はこのレストランにも卸していて、パンを気に入った貴族の客が帰りがけに店に寄るらしい。普段は下働きの人間が買い出しに来るので、滅多に店で鉢合わせる事は無いようだが。


「や、コリンキーくん。調子はどう?」


「ええ、おかげさまで。」


「たまにはウチにも顔を出してよ。」


「ここの賄いで食べられるので、ついつい行きそびれてしまうんですよね。」


「もう!」


「はは、そのうちまた行きますよ。さあ、こちらへ。」


「ありがとう。」


シャロットが気安くコリンキーという給仕に話しかけると彼は私達を階段の方へと促した。


階段にも歳を重ねた重厚な木をふんだんに使われていて、落ち着いた濃い赤色の毛足の長い絨毯が足を柔らかく受け止める。さっきまで三軒隣の店の前でゴザを敷いて眠りこけていた身としては場違い感が拭えないので、私は念のためにもう一度浄化の魔法をかけた。


二階では大きなチェスの駒の見事な彫刻が迎えてくれた。一階でも驚かされたが、二階ではさらに見事な品々が飾られている。1階と同じように曲がった通路と駒の意匠に合わせて彫られたチェスの柄の衝立で奥が見えないが更に豪華なつくりになっていそうだ。


歩を進めるたびに不安が募る。


一階は平民の、二階は貴族を迎えるためのフロアになっているのではないだろうか。王宮で働いていて貴族は見慣れているが、それでも身分の差は大きい。中には私たちを見下している者もいるので、知らない貴族の横で食事をするなど考えたくもない。


私の心配をよそに、給仕に案内されたシャロットは緊張するそぶりも見せずに個室へ入る。


これだけ豪華なフロアの個室に入れるなど、貴族以上の扱いでは無いか。貴族だって特別料金を払わないと入れなさそうな部屋に、おいそれと平民を受け入れるのか?


奥の壁に描かれた白虎とドラゴンが私のような些末な存在など目にもくれずに争っていた。まるで平民を気にしない貴族のように。


「もうしばらく時間がかかるそうなので、先に料理をお楽しみくださいとの伝言です。」


「あの方の事だから『遅くなるから先にメシを喰わせて誤魔化しておけ』って所かしら?」


「ご明察ですが、本当に楽しみにしておられたのですよ。焼き立てが食べられないことを残念がっていました。」


「そうね。私も焼き立てを食べてもらいたかったわ。」


給仕はやんわりとした笑顔でシャロットをテーブルの左奥へと案内して椅子を引く。私は彼女の向かい側。テーブルの一番奥の席は空いていて、そこに私たちを招待した人物が座るのだろう。


「おごりだからジャンジャン食べてよ。なんだったら、おかわりをしてもいいわよ。」


「胃が痛くなってきた。」


「それなら、良い物があるわ。」


シャロットがちりりんとベルを鳴らす。いや、その貴族が出す音が私の胃をさらに締め付けるのだが。寸分の時間も空けずさっきとは違う別の給仕がやってきて、シャロットの注文を畏まって聞いていく。


シャロットが頼んだのは胃に良いと言われるハーブを使ったホットワイン。それを食前酒として始まった料理はどれも美味く、魚のポワレなど筆舌に尽くしがたい。が、なにぶん場所が悪すぎた。今はいないただの空席の存在感が強いのだ。


壁に描かれた白虎はドラゴンを睨んでいるのだが、こちらを向いた鋭い爪が今にも飛び出してきそうだし、ドラゴンの口から吐き出された炎も、いつ壁から溢れてくるか判らない。


まるで、空席の主を暗示しているようである。


あれだけ騒いでいた腹の虫も、肉の味の濃い赤身を丁寧に焼き上げたローストをなかなか受けつけてくれず、料理を運ぶために給仕がドアを開ける度に背筋が伸びた。食後の紅茶とデザートが運ばれた頃にほっと息を吐けたのだが、口を付けた瞬間に勢いよく個室のドアが開いた。


「待たせたな。」


そう言って現れた老人は肩まで伸びた白髪をひっつめて、草臥れた仕立ての良い服を着崩していた。年に似合わない卓越した分厚い筋肉が上等な生地の上からも伺える


「おっそーい!食事が終わっちゃったじゃない。もうデザートよ。」


「悪い。フェンネルがなかなか離してくれなくてな。」


「どうせ、またいつものでしょ?」


「そう怒るな。それで、そいつが新しいパンを考えた男か?」


「そうよ。改めて紹介するわ。マートンさん。アーティチョーク侯爵様の元で働いているそうよ。」


「ああ、話は聞いている。オレはブラッソウ・スプライトだ。」


差し出された老将軍の手はゴツゴツと筋深く、歴戦の痕と大きな剣ダコが刻まれていた。



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次回:シャロットの『ビジネス』


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