愛する紳士と素直じゃない令嬢

あめやみ

愛する紳士と素直じゃない令嬢

バシャッ!



ポタリ、ポタリ。にこりと微笑む紳士の頭から紅茶が滴り落ちる。

テーブルを挟んだ向かいには、真っ赤な顔でティーカップを傾ける令嬢が立っていた。


「いきなり手を重ねて顔を近づけるなんて、失礼だわ!ありえない!」

「失礼いたしました、レディー。私の手より関節2つ分も小さなお手が愛おしくて、つい……」

「あなたが大きいのですから仕方がありませんでしょう!?」


婚約前、初めての顔合わせの時の会話であった。







ロッカーマン家。ライトリン家。どちらも名高い貴族家である。

2つの名家が正式に婚約を結ぶという出来事は、多くの新聞の一面を大きく飾った。

とある新聞ゴシップでも、それは大きく報じられた。


「傷モノ紳士と子ネズミ姫の婚約」と。



ロッカーマン子息は額に大きな傷を持っていた。幼少期に兄弟と遊んでいてつけてしまった傷だ。

彼は物腰柔らかでエスコートの上手い紳士だけれど、傷に加えて高い身長まで持っていたものだから、令嬢からは怖がられがちだった。


ライトリン令嬢は幼子のように背が小さかった。彼女は現在19歳だが、8歳の時に着ていたドレスすら着ることができるという。

彼女は社交界では目立つ。家の名前に小さすぎる背丈もそうだが、それ以上に彼女は完璧な振る舞いをするのだ。あまりに完璧で、王太子にすら気をかけられていると噂が立って久しい。


───彼らはお互いに、残念な優良物件売れ残りだった。





「リトルレディー!僕とお茶でも……」

「何度言わせるのですかアルバート様。私の名はレティーナです。釣書を見直してきたらいかが?」

「そんな可憐な名前を忘れるわけがないじゃないか!だが、その愛らしい容貌を目にして他になんと呼べるというんだい?」

「レティーナとお呼びになればよろしいのではなくって?」


やりとりを見ていた侍女たちが、バレないようにクスリと笑った。

「アルバート様ったら、意識してもらいたくて頑張っていらっしゃるわ」

「あの素直さは幼いころから変わりませんね」

「レティーナ様も、あの(点をつけて強調)アルバート様の愛情を受け止めていらっしゃるわ。さすが、その知性で社交界で渡り歩いてきたお方……」

愛をまっすぐに注ぎ続けるアルバートと、あしらうが拒否はしないレティーナ。

侍女たちの次の話題は、次の当主とその奥方のことだろう。





「リンナ!リトルレディーを知らないかい?」

声をかけられた侍女が答える。

「レティーナ様でしたら、シトラリン家のお茶会に行かれましたよ」

「シトラリン家に!?分かった、ありがとう!」

アルバートが侍女にお礼を言って立ち去る。


「アルバート様、シトラリン家に向かわれるのかしら……?」

侍女が心配そうにつぶやく。だってシトラリン家には───。





「レティーナ様、もう婚約者様のお屋敷に移られたのでしょう?婚約者様とのお話が聞きたいわ!」

「何もないわ、シャラ様。政略結婚だもの」

「でもレティーナ様、一緒に暮らせば多少なりとも何かありますでしょう!」

「婚約者様のお好きなところとか、お聞かせください!」

シトラリン家の庭園で、令嬢たちの声が色めく。

貴族家の1つのシトラリン家は、長女シャラ・シトラリン令嬢が茶会好きなことで有名だった。数多くの茶会が開かれているが、今ここにいる令嬢たちは何度も招待されている。

仲の良い令嬢たちとお喋りをする会。庶民風にいうなら、女子会、ということだ。


「何もありませんったら、もう、みんなして」

「何かおひとつでも!私婚活中の身ですから、参考にしたいのですわ!」

「シャラ様なら選択肢がたくさんありますから、心配せずとも良縁に恵まれるわ」

「そういうことではありませんのに!いじわるはよしてくださいまし!」

「もう、仕方ありませんわね」

食い下がるシャラに、レティーナの方が折れた。

考える仕草をするレティーナに、令嬢たちの視線が集まる。



「そうね……彼が歩く時、ダンスをする時。

エスコートである以上は私に歩幅を合わせてくださるけれど、どうしても私の一歩よりは大きくなってしまいます。私ひとりではできないあの歩みは、嫌いではありませんわ」



口にした瞬間、場が静まる。

考えるために少し目を伏せていたレティーナが、何かしてしまったかと顔を上げた。


令嬢たちは皆、口元を抑えて頬を赤く染めていた。


「え、あの……私、何かおかしなことを言いました?」

レティーナが首をかしげる。令嬢たちが慌てて話を再開した。

「そ、そんなことはありませんのよ!ただ、その、婚活中の身にはちょっとレベルが高いというか……」

「そうですわね。でも、素敵なことですわ!」

「そ、そういえばこの間、私の婚約者様が───」

おかしな空気に怪訝に思いながらも、レティーナは令嬢たちの話を聞きつつ紅茶を口にした。











「…………っ!!」

植物の影に隠れたアルバートは令嬢たちより顔を赤くして、大きな手で顔を覆った。


『私ひとりではできないあの歩みは、嫌いではありませんわ』


「レティーナが、そんなことを思ってくれていたなんて……」

いつも愛を囁いているのは僕の方なのに、いざ返されると照れる。顔の熱が引かない。

しかも、それを入った時のレティーナの表情が……!



「こら、そこのデカい不審者。何してんだ」

心境の冷めやまない中、手をポンと置かれて、アルバートの肩が大きく跳ねた。

おそるおそる後ろを振り向くと、険しい顔をした青年が立っていた。

「リ、リット……」

アルバートは気まずそうに、青年の愛称を呼んだ。


リトランド・シトラリン。シトラリン家の長男。

学生の時に法学を修めた、社交界の誰もが認める”真面目な男”だ。シトラリン家の次期当主という、アルバートと似た立ち場のために、2人は幼いころから交流があり、2人に言わせれば「腐れ縁」である。

仲がいいのか悪いのか、いつも何かを競い合って負けた相手をバカにし合うまでがセットだ。


2人とも負けず嫌いなものだから、負けた方の使用人は勝てるまで練習に付き合わされる。

そのため使用人は、もう少し穏やかな付き合いができるまで会わせないように、と2人を積極的に会わせてはいなかった。

しかし2人の負けず嫌いは治らず、成長した今でも2人の付き合いは続いている。



「いくらお前だからって、茶会ののぞき見は見逃せないな。どういう言い訳だ?」

「その、僕の婚約者を迎えに……」

リトランドが少し目を丸くして、あぁ、と頷いた。

「そういえば、ライトリン嬢と婚約したんだって?おめでとう」

「ありがとう。彼女って本当にかわいくてさ。僕にはもったいないくらいのお姫様なんだよ。あ、何を間違ったとしても彼女だけは譲らないから」

「お前から婚約者を取ろうなんて愚かなことはしない。妹に興味がないならいいんだ別に」

「シスコンめ」

「婚約者にべったりの男が、よく言う」

2人は軽く牽制を交わした後、ふん、と鼻で笑いあって別れた。双方の宝物婚約者と妹には興味がないという、彼らなりの意思表示だ。






「歓談中に失礼するよ。レティーナ、今度の夜会の打ち合わせがしたいから、今日のところはお暇しよう」

紳士の笑みを浮かべて、アルバートが茶会の会場に現れる。

レティーナは少し驚いたような顔をして、すぐにいつもの澄ました顔になった。

「レディーのお話に割り込むなんて、なんて品のない人なのかしら。でも、今日は少し長居してしまいましたから、そろそろ失礼いたします。またお誘いになって」

「えぇ、もちろんですわ!また招待状を送らせていただきますから、家名がライトリンじゃなくなったら教えてくださる?」

「しゃ、シャラ様っ……!婚約者様の前で、はしたないですわ!」

「あら、失礼いたしましたわ、レティーナ様」

「もう……それでは、ごきげんよう」

頬をわずかに染めながら、レティーナは完璧なカーテシーをした。











「アルバート、お前ってやつは……茶会くらい好きに行かせてやったらどうなんだ」

「しかし父上、彼女の愛らしさは格別です。どこに不埒な輩が現れるか……。シトラリン家はリットがいるし、シトラリン嬢と仲が良さそうだから行かせてあげてるけど、他のところなんて心配すぎて絶対に無理です」

「せっかく社交にも秀でた方をいただいたというのにお前……。彼女へのプレゼントに盗聴器など付けていないだろうな」

「そんなことするわけがないでしょう。発信機で我慢しています」

「……そうか」

ロッカーマン家当主であり、アルバートの父、セルダン。彼は頭を抱えていた。

事は婚約者との初めての顔合わせまで遡る。






婚約者に紅茶を掛けられて帰ってきたアルバートは、今までで一番いきいきとした顔をしていた。

「どうしたアルバート。やけにご機嫌じゃないか。私はお前にかけられた紅茶が熱々ではなく冷めきった紅茶であることに安堵しているが、同時にお前は紅茶をかけられて然るべきだと思うよ。顔合わせで手を重ねてあまつさえ顔を近づけるなんてありえないからね……アルバート、聞いているのか。一応これはお説教なんだが」

「…………父上」

「なんだい」

妖精ピクシーがいました」

部屋が静まり返る。少し間を置いて、セルダンが切り出した。


「たしかに妖精のように美しかったがまずは医者を呼ぼうか。幻覚が見えるようだ」

「この縁談をまとめてくださってありがとうございます父上。最高。ハグさせてください」

「息子と会話が成立してないんだが。解消しようかなこの縁談」

「そうなったら今すぐ父上から当主の座を奪い取って父上を屋敷から追い出します」

「最悪。どこで教育を間違えたのかな私は」





教育を後悔したところまで思い出してハッとする。現実に帰らねば。

昔からひとつのおもちゃに執着する質ではあったが、婚約者にまで適用されるとは思わなかった。

「とにかく、発信機についてはまぁ……控えること。あとはレティーナ嬢にバレないように」

息子からの返事を聞くのすら億劫になり、セルダンが部屋を出る。

ちょうど通りかかった侍女に、「夜、一緒にワインを飲もう」と妻への伝言を頼んだ。











執務室で、夫婦が2人でワインを飲みかわす。

彼の妻であり、アルバートの母であるセレスは本当はもっと強い酒を好むのだが、セルダンの方は酒に強くないのだ。

「──────ということがあってさ。息子の執着癖、どうしよう」

「あら、だめだった?彼女を逃したくないって言うから、『”とっておきの”プレゼントをたくさん送っておきなさい』って言っといたんだけれど」

セレス仕込みだったんだ、あれ……」


セルダンは今日何度目かのため息を吐いた。

これからよろしく、レティーナ嬢。

(僕と同じように)苦労かけるよ。ごめんね。


不憫なつぶやきは、ワインと一緒にどこかへ流されていった。




ガサゴソ。ガサリ。

「──あぁ、ありましたわね」

大きなテディベアの中に入っていたのは、発信機らしい小さな機械。これで112個目。

レティーナは華奢な手でそれをつまみ出し、しばらく眺めたあとにテディベアの中に戻した。

テディベアに開けた穴を塞ぎながら、レティーナはため息を吐く。

「あの人も、こんなことするくらいだったら直接お渡しになればいいのに。発信機ばかりで盗聴器やカメラは1度も入れられていないし」

それだけプライベートを大切にされているということだろうが、婚約者なのだから。


「もう少し様子を見たら、”そういうの”も入れてくるかしら?」


テディベアに緑色の糸で縫い目をつけていく。

いつもまっすぐに向けられる、あの人の緑の瞳を思い浮かべながら。

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