名無しの義賊

 はるかはるか、遠い世界。

 その世界の片隅に位置する国では、一人の盗賊の噂が人口に膾炙していた。

 闇夜に紛れて貴族や大富豪から金銀財宝を盗み出し、それらを重税に苦しむ貧しい者に分け与えるという名もなき盗賊。

 民衆からは義賊として支持される一方、帝国の役人や貴族からは大罪人として目の敵にされている彼の正体は、多くの謎に満ちている。

 ある者は屋根を飛び回る人影を見たと言い、またある者は宝を民家に置き去る場面を見たという。

 国中から多くの目撃情報が寄せられるも、未だにその実態は掴めていない。

 ただひとつ分かっていることは、彼が現れた場所には必ず、ナイフで稲妻のマークが記されているということ。

 弱きを助け強きを挫く、神出鬼没な正義の味方。

 その素顔とはいったい――――

 



 




 巷を賑わす義賊の正体。

 それは、貧民街出身の青年だった。

 以前の彼は、平凡だが正義感が強く、他者への優しさを忘れない人物だった。

 しかしある日、意地汚い権力者によって善良な貧民たちが虐げられているさまを見たことが、彼の人生の転機となる。

 社会の理不尽を許せなかった青年は、密かにナイフ術・鍵開け・変装といった技術を学び、自らの身体を鍛えあげ、貧しい人々のために戦う義賊となっていったのだった。

 国中を股にかける彼の活躍は、やがて貧民たちの希望となり、また平民たちにとっては刺激的な娯楽となった。

 だが、稀代の義賊の次の一手を国中の民が注目していた矢先、その事件は起きる。

 とある貴族の館にて、殺人事件が発生したのだった。

 現場にはナイフによる稲妻のマークが大きく残されており、誰の脳裏にも、あの盗賊の姿がよぎった。

 盗みは働くが殺しはしないと思われていた盗賊が、とうとう殺人を犯した――――

 義賊としての面に期待していた民衆は一斉に手のひらを返し、盗賊を批判した。

 しかし、実際は貴族による盗賊を陥れるための芝居であり、犠牲者は出ておらず、当然ながら盗賊本人もその館に足を踏み入れてすらいない。

 窮地に立たされた盗賊。

 どうしたものかと考えていた彼だったが、ふと妙案を思いつく。

 真犯人を大衆の面前に突き出せば、潔白を証明できる――――

 思い立ったが吉日。

 彼はすぐさま真犯人の調査に赴いた。

 得意の侵入と変装によって、着々と情報を集めていく盗賊。

 数々の情報によって、そもそも犠牲者がいない茶番だったという真相へと辿り着いた彼は、いよいよ潔白証明の計画を実行に移すのだった。

 






 翌朝。

 帝国首都の巨大な広場の中心に、"それ"はあった。

 死んだと発表されたはずの被害者が丸太に括り付けられており、その首には「私が真犯人です」と書かれた札がかけられている。

 更にその丸太には、大きな稲妻のマークが刻まれていた。

 誰がこの状況を作り出したかは、一目瞭然だった。

 思わず沸き立つ民衆。

 殺しの冤罪を証明した盗賊は再び、民衆のヒーローへと返り咲いたのだった。

 

 


 

 あの事件以降、大衆の盗賊人気は再燃し、市井は連日彼の噂で持ち切りとなった。

 当然だが、彼の行いは決して褒められたものではない。

 しかし、それでも大衆に強く支持されるのは、ひとえに彼の生き様が理由だろう。

 たとえ賊という悪の道を歩もうとも、救いたい存在がいる。

 名無しの義賊は今日もまた、夜の世界を飛び回る。

 名前も知らない、誰かのために。 

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