異形の復讐鬼

 はるかはるか、遠い世界。

 その世界には、巨大な城郭都市が存在した。

 堅牢な城壁によって守られていた都市は、平和そのものだった。

 窓からこぼれ出す家々の灯りに照らされ、日夜を問わず人々が市井を行き交い、壁内は活気にあふれていた。

 城郭都市の日常は、平穏無事に続いていくはずだったのだが――――穏やかな日々は、ある日を境に音を立てて崩れ始める。




 

 



 それは、突然の出来事だった。

 都市の空は闇に覆われ、決して夜明けが訪れぬ極夜の世界へと一変した。

 そして、それと時を同じくして、平和を脅かす脅威の怪物が現れたのだ。

 彼らの名は、"抜魂者ばっこんしゃ"。

 抜魂者の始まりは、異形の姿となって蘇った死者であった。

 彼らは生前の記憶はおろか自我すら持たず、衝動のままに夜の都を徘徊しては、生きている人間や動物を襲う。

 大剣や弩のような強力な武器でも打ち倒すことができない強靭な肉体。

 さらには、抜魂者に襲われた者は新たな抜魂者と化す。

 その脅威は、人々に鮮烈な恐怖と絶望を植え付けた。

 増える一方の生ける屍に対し、人々は効果的な解決策をまったく見出せなかった。

 ついには急ごしらえで築いたガラクタの壁を防衛線とし、かろうじてその生存圏を保つところまで追いつめられたのだった。






 抜魂者によって落命した人々の中に、ある青年がいた。

 彼も他の抜魂者と同様、闇に包まれた都を徘徊する怪物の一部となり果てていた。

 それは、全くの偶然だったのだろう。

 ある日、抜魂者として都市を徘徊していた青年は、憐れにも抜魂者によって命の灯を消し去られた一人の女性の前へと辿り着く。

 もはや自我など毛頭無いはずの彼だったが、その亡骸が握りしめていた懐中時計を目にした瞬間だった――――

 突如として脳内に溢れ出す、生前の記憶。

 彼女は、かつて彼が生涯を添い遂げることをこの身に誓った、最愛の人であった。

 愛する者を失った悲しみと喪失感。

 そして、彼女の命を奪った抜魂者への憎しみ。

 荒波のように押し寄せる過去の記憶は、やがて復讐の火種と化し、彼の心を悉く怨念の炎で満たしていく。

 抑えられぬ激情は、その身が裂けるような耐え難い苦痛と共に、彼の肉体をより強靭なものへと再構築させた。

 筋骨隆々に膨らんだ深緑色の身体に加え、その両腕と両肩、そしてかかとには、大鎌の如き鋭刃が生えている。

 かつて人間だった面影が残っているものは、もはや彼の薄汚れた衣服のみだった。

 変異を終えた彼は、荒い息を落ち着かせると、おもむろに立ち上がる。

 そして、彼女の形見となった懐中時計を握りしめ、誰に聞かせるでもなく、その決意を口にした。

 この力で、全ての抜魂者を根絶やしにする――――と。

 今宵、ここに一人の復讐者が誕生した。

 抜魂者を狩る抜魂者。

 その身を異形に堕としながらも、人の心を持つ存在。

 その復讐心は、留まるところを知らない――――

 






 辛うじて生き残った人間たちは、今日も防壁の中で生き残るために戦っていた。

 怒涛のように絶え間なく押し寄せ、日を追うごとに減るどころか、むしろ数を増しているようにすら見える抜魂者の群れ。

 抜魂者の大群が発するうめき声が闇夜に響き渡り、もはや正気を保つのは困難なほどの光景であった。

 そんな時である。

 亡者の群れに、単身で躍り出る影があった。

 その影は抜魂者を斬り捨て、そして――――

 彼らの身体に風穴を開け、執拗に身体を捩り切り、原型が残らぬまで頭を潰した。

 防壁に迫っていた抜魂者の大群を一体残らず狩りつくすと、その影は人間たちに一瞥もくれず、風のように去っていった。

 かの復讐者に、人間を助けたいという英雄然とした情は一切ない。

 ただひたすらに、己の復讐心のためだけに、自らの視界に入る抜魂者を消しさっているに過ぎない。

 しかし、何の前触れもなく現れ、嵐のように抜魂者を屠っていく抜魂者の姿。

 それは残された生者たちにとって一縷の光として映り、抜魂者と戦う抜魂者の噂は瞬く間に都中を駆け巡った。

 いつしか復讐者は"キラー"と呼ばれ、人々から英雄視された。





 極夜の中で、キラーの戦いの日々は続く。

 だが、抜魂者も一方的に狩られているだけではなかった。

 その戦いの連続は、抜魂者の側にも新たな変化をもたらしたのだ。

 それまでの抜魂者は、個体差はあれど、元となった人間や動物などと大して変わらない大きさであった。

 それゆえに、倒すまでとはいかないが、非力な人間の力のみでも壁に迫る群れを食い止めることができていたのだ。

 しかし、同族であると同時に死神でもあるキラーの出現に脅威を感じ取ったのか、複数の個体が融合した大型の抜魂者が姿を現すようになる。

 幾多の抜魂者が融けて混ざり合い、奇妙な水音を立てながら迫る合成獣は、もはや生物としてのシルエットを保てておらず、視界に入れるだけで精神が蝕まれてしまうような風貌だった。

 合成獣は、人々の防衛線を度々脅かした。

 融合によって複数の抜魂者の力を併せ持った合成獣の力に、キラーは苦戦を強いられる。

 かろうじて撃退は出来るが、完全に消滅させるまでにはいかない。

 しかし幾度かの戦いを経て、キラーはその合成獣の体内に、行動を統率する核のようなものがあることを見抜く。

 そしてキラーは、その唯一にして最大の弱点である核に、渾身の一撃を叩きこむことに成功する。

 ついに、合成獣は物言わぬ肉塊と化した。

 だが、自らを顧みずに殺戮を繰り返すキラーと、亡者の集合体とも言うべき力で都を飲み込む合成獣の激突は、戦いをより惨烈なものへと変えていく。

 彼らの戦いは、ますます人の身で立ち入るのは不可能な段階へと至りつつあった。

 人々は抜魂者が滅び、夜明けが訪れるのを祈るしかない。

 都市の各所で人々を脅かしていた合成獣は、キラーによって次々と倒されていった。

 しかし、その度重なる激闘が、更なる脅威を呼び込むこととなる。








 ある日、普段とは比較にならないほどの抜魂者の動きを感知したキラーは、急いでその場へと駆けつける。

 そこに広がっていたのは、人々が善戦し、合成獣の侵攻にも耐えきっていたはずの防衛線が破られた光景だった。守備の要であった投石器や防壁も無残に破壊され、多くの人々が屍を晒している。

 抜魂者の群れを率いていたのは――――ひとりの老夫だった。

 その老夫は、キラーもよく知る人物であった。

 老夫は都で高名な魔術師であり、不死の魔術の研究者だった。

 抜魂者を従え、歯茎を剝き出しにして不気味な笑みを浮かべる老夫。

 彼こそが事件の首謀者であり仇敵であると瞬時に悟ったキラーは、凄まじい激情と共に彼へと襲い掛かった。

 キラーの拳が老夫の体を貫こうとしたその瞬間――――老夫は蒼い光に包まれた。

 思わず後ずさるキラー。

 どうやら老夫が纏う光は、周囲の抜魂者からもたらされているようだった。

 一切の温もりを感じられないその光は、老夫の身体を異形へと変化させていく。

 程なくしてそこに現れたのは――――合成獣の倍以上ある体躯を持つ、怨念の塊だった。

 腐敗によって骨まで露出した鈍色の巨躯を持ち、両肩と背面、そして頭には象牙を思わせる湾曲した突起が生えている。

 また、身体の端々には蒼い炎が絶えず灯っており、そのエネルギーは胸の核から流れているようだった。

 これまで復讐者に倒された抜魂者の怨念が一つとなって生まれた、醜悪な巨人。

 その燃え上がったキラーへの復讐心は強大な力となり、周囲に破壊と死を撒き散らしていった。

 全ての抜魂者を滅ぼそうとするキラーの復讐心と、そのキラーを滅ぼそうとする巨人の怨念。

 負の意志が形となって顕現した者たちの死闘が幕を開けた。

 巨人の力は想像を絶しており、周囲の抜魂者のみならず、その場で落命した人々を抜魂者へと変化させて取り込み、無尽蔵に力を増大させていく。

 どれほど憎悪の炎を燃やしても、復讐の刃は敵に通らない。

 ついには巨人の圧倒的な力になす術なく、キラーは叩き伏せられてしまうのだった。

 








 満身創痍となったキラーは、捨てられた人形のように地面に転がっていた。

 巨人は、自身と比べて酷く矮小な復讐者を掴み上げる。

 そして他の抜魂者にしていたように、その力を取り込むべく、胸の核を開いた。

 青く明滅しながら脈打つ核は、まるでキラーという極上の餌を今か今かと待ちわびている雛鳥のようにも見えた。

 意識と戦意が闇へ沈もうとする直前、キラーの目に眩く光る懐中時計が映った。


 そうだ、まだ目的を果たしていない。

 この手で全ての抜魂者を殺すのだ。

 諦めるな、復讐の炎はまだ消えていない――――


 巨人に取り込まれる寸前、最後の力を振り絞ったキラーは、不意を打って巨人の胸から核を引き摺り出した。

 そして、逆に核を介して巨人の怨念の力を取り込んでいく。

 力の流れは完全に逆転した。

 キラーに力が満ちていくのと同時に、力を奪われた巨人の身体が崩壊を始める。

 死闘は制した。

 だが、戦いは終わったわけではない。 

 巨人の残骸、およびその周囲にはびこっていた抜魂者たちが、未だ残っている。

 抜魂者すべてを狩り尽くさんと再び決意し、その群れに向き合った瞬間だった。

 キラーの目に、予想だにしなかった光景が飛び込んでくる。

 抜魂者の群れの中に、"彼女"の姿があったのだ。

 忘れる筈がない。

 否、忘れられるわけがない。

 確かにそこには、抜魂者と化した最愛の人が立っていた。


 君なのか――――

 いや、違う。

 愛した彼女はもういない。

 これは、自分を誑かそうとする幻覚だ――――


 大切な想いを汚され、更なる激情が彼を塗りつぶしていく。

 そして、その身に収まりきれぬほどの怨念を抱えたキラーは、愛する彼女の形をしたモノを皮切りに、次々と抜魂者を切り裂いていった。

 孤独で熾烈な戦いの日々。

 そして、抜魂者の力と復讐の炎に満ちてしまった身体。

 人の心と、抜魂者の怨念。

 本来相容れないはずの二つを併せ持った存在であった彼は、その心も身体も、とうに限界を超えていた。

 彼の中に残る人の心が失われようとも、身体が崩れかかっていようとも、もう止まれはしない。

 彼は、己の内に存在するもの全てを絶叫と共に絞り出し、一心不乱に戦い続けた。

 








 そして。

 群れの最後の一体が動かなくなった時――――戦いは終わった。

 暗雲が晴れ、天から明るい光が差し込む。

 それは、何日ぶりだったろうか。

 都市の人々は、久しく見る陽光の眩しさに思わず目を細める。

 永い夜が明け、人々が待ち望んでいた太陽が姿を現したのだ。

 血に塗れた手で恋人の懐中時計を握りしめたキラーは、陽光に照らされた自らの身体が塵と化していくのを感じていた。

 全ての抜魂者の抹殺。

 それは、キラーとて例外ではない。

 本来、死者とは光ある現世に留まってはならない存在である。

 全ての抜魂者が倒され、都市を包んでいた闇は払われたのだ。

 幽世に生きる者は、早々に現世から去らなくてはならない。

 消えゆく寸前、仇敵を討ち滅ぼした彼の顔は、心なしか穏やかに見えた。

 







 その身を異形に堕とした復讐鬼。

 たとえどれだけ報復を重ねようと、彼が求めたものは決して帰ってこない。

 だが、彼は復讐を信じた。

 信じるしかなかったのだ。

 敵を狩り続ければ、いつかこの憎悪が晴れると。

 血に染まり続ければ、いつかこの渇きが癒えると。

 しかし、その手がいくら血に塗れようと、彼の心が晴れることはなかった。

 終わりなき渇きに支配されていた彼の心を、いったい誰が理解できようか。

 憎悪に囚われた彼の心を、いったい誰が解き放つことができようか。

 いや、そもそも理解しようとすること自体がおこがましいのかもしれない。

 時がようやく進み出したのは――――彼が憎悪から解き放たれたのは、死に至るその時だったのだから。

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