第二十八話 ミハイル
大会議場の、面談室の一つ。
会議を終え二つの椅子に座った俊司とミハイルは、一つのテーブルを挟んで向かい合っていた。
先程の会議の、息の詰まるような緊迫感はないが、どこか重たい空気が漂っている。
「神衣殿、“あの子”は元気にしているか?」
「そりゃ勿論。最近会ってないけど、定期的に連絡を寄越してくれるし、別に大丈夫でしょ。僕が最後に見た時は“最後の魔法”まで行使できるようになってたし、心配いらないよ」
「そうか、それなら良いのだが」
しかし話題は、そこまで重苦しいものではなく、ミハイルが身内である“あの子”を心配しているという実にほんわかしたものだった。
ミハイルは、俊司の肯定する言葉に心底安心したようにそっと息をつく。
俊司も同じように息をついたが、それは安心からくるものではなく呆れからくるため息のようなものだった。
だが、事情を知っていれば誰でもそうなるだろう。
「そんなに心配なら、一回くらい会ってくれば良いのに。どうしてそう意地を張るかな。僕だったら速攻会いに行ってるね。僕はお前の家族だぞーってね」
「何度も言わせないでもらおう。私にその資格はない」
俊司の言葉通り、“あの子”はミハイルの家族、それも息子だった。
まだ一度も会ったことはなく、彼はその安否を心配して“あの子”の知り合いである俊司に会うたびにそのことを尋ねていた。
俊司としては、さっさと自分の存在を明かして会えばいいのにと思っている。
しかし、ミハイルは親として“あの子”の隣りにいてあげられなかったことから、自分に親を名乗る資格はないと思っており、心配はしながらも一度も会おうとすらしていない。
それは、彼なりの戒めなのかもしれない。
「別にさ、資格がどうこう言ってるけどだ、それって結局彼が決めることなんだよね。あんたが親かどうかなんて、ね」
「……それもそうだな。だが、もし受け入れられなかったらと思うと、私はどうしても会いに行く勇気が出ない。そうなれば、私は名実ともに一人だ」
「別にそこは心配いらないと思うけど。彼は父親を恨んでいなかったし、最初からいなかったからそもそも恨むとか云々の前に何の感情を抱いていないと思うんだよね。母親のことも、物心ついてすぐ死んだからって、あんまり悲しんでなかったし」
「それはそれで、少し悲しい気もするが」
面倒くさいな、と相談を受けるたびに何度も俊司は思ってしまうが、定期的に報告しておかないと彼が心配しすぎて倒れてしまう。
これは冗談ではなく、気になりすぎて心配すぎて眠れず、ろくに睡眠を取ることもないまま軍のトップの一角という激務をこなしているのだ、睡眠不足で倒れてもおかしくない。
そのことを俊司に言うと、ミハイルは相当呆れられたが。
ともあれ、大きく領土が変わった今も、ロシア連邦はその中で一番の面積を誇っている。
つまりそれだけ広い領土に見合った魔物が生息しているということであり、そんな中でミハイルがダウンしてしまえばもしものときにロシアは対応できなくなる。
それは俊司としても困るので、定期的にこうして話をしたり、連絡を取り合っているのだ。
「でもさ、どうして娘の心配はしないんだ? 父親なら普通、息子より娘の心配をするものだと思うけど、価値観の違い?」
「いや、そんなことはない。ロシアとて、娘に甘い父親の方が多いだろう。だが、“あの子”は世界最強となるために
「はぁ、まぁいいけど」
「なら次は、真面目な話をしよう」
ミハイルの桔梗色の瞳が、俊司を射抜く。
対する俊司は、やれやれとでも言いたげに首を振ったので、急に頭でもおかしくなったのか、とミハイルがジト目で見た。
「神衣殿が行使する魔法は昼間にその最大の効果を発揮する。もし、魔物の大侵攻が昼間ではなく夜間に行われたら、思うように戦えないのでは?」
ミハイルの疑念、それは烈日の魔法師と言われている通り、俊司が昼間に真性魔法の効果を最大限発揮するが、夜間ではその限りではないのか? というものだった。
確かに、傍で見ていればそう感じてもおかしくはないし、そう思うのが当然だろう。
リベルタスも、世界最強とまで謳われる俊司の魔法がどのようなものなのかを知らないわけがなく、当然夜間に侵攻を開始させる可能性が一番高い。
と、ミハイルは思っているのだが。
「でも、それは僕を殺すためにするものでしょ? リベルタスの目的はあくまで魔物の殲滅なんだから、利用している戦力をわざわざ削ぐような真似はしないと思うけど?」
「……確かにそうだったな。日本と訊いて、“あの子”達のことが心配で視野狭窄に陥っていたようだ。今日は早めに寝るとしよう」
「そうしときな。それに、あんたの不安はお門違いさ。もし夜間に行われてもちゃんと大丈夫なように、対策は万全だよ」
「……そうか、それなら何も言うまい」
その後二人は、小一時間ほど愚痴を言い合っていた。
ミハイルと別れた俊司は、即刻日本へと帰国していた。
腐った上の連中に報告とか面倒くさ、と思っているが、当然報告までが仕事であり義務なので、放棄するわけにも行かない。
だが、期日がいつまでとも言われていない。
その事を言い訳にして、俊司は取り敢えずどこかで羽根を伸ばすべく、東京の中心地でもかなり有名な喫茶店にでも寄ろうとしたのだが。
「ねぇ柊夜くん、なんか私達避けられてない?」
「……おそらく、明日香様の美貌に気後れしているのでしょう」
「もう、そんな冗談言わなくていいよ。それよりもほら、早く行こ?」
「いえ、別に冗談ではないのですが……」
前の方で、異様に人の注目を集めている、しかも見知った声と後ろ姿が見えたので、予定を変更して尾行を開始することにする。
当然、注目を集めているのは柊夜と、それを全く気にしていないかのような素振りを見せる明日香で、なにか面白いことが起こりそうだと俊司は新しいおもちゃを見つけたときのような感覚で後をつける。
柊夜と明日香が避けられているのは、こうまで容姿が整っていると逆に近寄りがたく、遠慮してしまうからだろう。
だが誰しも、日本人のように奥ゆかしさを兼ね備えているのではない。
当然、空気を読まない男らもいるわけで。
「ねぇ君、めっちゃ可愛いね、そんな男なんて放っておいて遊びに行こうぜ!!」
「そうそう、俺達が良いこと教えてあげるぜ」
(キタキタキタキター!! まさか創作物の定番、美少女に絡むナンパ男が見られるとは、今日ついてるね!! 柊夜、氷漬けにしないかな、してほしいなぁ)
明日香にナンパを仕掛けた男を見た俊司は、突然のイベント発生に歓喜した。
俊司は野次馬のプロであり、こういったイベントが起きるとすかさず愉しむ、まさにトラブルメーカー、いや、トラブルそのもの。
今まで俊司が見てきたイベントの中には、彼が関わって起きたものも多く、柊夜からは敬遠されている。
「いえ、遠慮させてください。柊夜くん、行こう」
「ほらほらそんな事言わずにさぁ、おい、お前さっさとどっか行……け……よ」
「そうだそうだ、痛い目見ないうちにこの女渡したらど……う……」
急に覇気がなくなったナンパ男達。
どうしたんだ? と俊司は訝しむが、それ以上にナンパ男達の動揺が激しくなっていく。
(なぁ、すんごいイケメンなんだけど)
(なんか思っていた以上なんだけど)
ヒソヒソと、どうしようかと話し合うナンパ男二人を見て、俊司は柊夜が明日香を守ろうとして氷漬けにするパターンは消えたなと残念に思った。
そもそも、柊夜はまだ常識がある方なので、流石に問答無用で実力行使はない。
「何しに来たのこの人達」
「おそらくナンパですよ」
「ナンパ? 誰に?」
「明日香様に決まっているじゃないですか。明日香様があまりに可愛いもので、声をかけてみたくなってんでしょう。排除しますか?」
「い、いや、そこまでしなくても」
ふと柊夜と、可愛いという言葉に頬を少し赤くした明日香の方を見ると、ナンパ男達など関係ないかのように振る舞っている。
あぁ、これは駄目なパターンだ、と俊司は思った。
俊司の理想としては、明日香にズバッと振られたナンパ男が襲いかかり、それを明日香至上主義の柊夜がササッと解決する。
それで警察が来たタイミングで、柊夜は何も悪くないことを証明するために俊司が華麗に登場して、警察にナンパ男を突き出す。
柊夜は師匠である俊司を更に尊敬して、キラキラとした視線を送る。
(こういうテンプレを期待したんだけど……まぁ無理か)
「つ、次こそはその女を頂くからな!!」
「次は絶対だぞ、覚えておけ!!」
ナンパ男達は、柊夜の容姿と、なんか凄そうな雰囲気を持っていることからスタスタとヘボ怪盗みたいな捨て台詞を残して去っていった。
その後ろ姿はどこか悲しげで、しかし周囲の人達からしてみれば『何したかったんだこいつ?』という思いしか湧いてこない。
なので、俊司はあまり気が乗らないが、さっさと報告を済ませてのんびり遊び呆けようと思った――世界最強の魔法師に遊んでる余裕など無いので、ただ思っているだけ――のだが。
「はぁ、あんまり面白くなかったな。さっさと帰ろ」
「なら帰る前にストーカー行為をしたと自首してきたらどうですか? 何なら付き添いますよ、ストーカー師匠?」
「おぉ、よろしく頼むよ。……あっ」
俊司はいつの間にか隣に立たれていた柊夜に、呆れたような、汚物を見るような目で睨まれていた。
その温度は先程のナンパ男を見る目よりも更に冷たく、尊敬どころか師匠としての尊厳すら失われていそうな気がした。
明日香はトイレということで、この場には柊夜しかいない。
「あっ、じゃないですよ。何してんですか」
「いやぁ、ちょっと面白そうな二人組みを見つけてつけちゃった。でも、よく分かったね。気配は完全に殺していたんだけど」
「気配とかそういう前に、滅茶苦茶目立ってましたからね。というか、師匠が電柱の後ろからチラチラと様子を窺う光景とか、気味悪いの一言に尽きます」
柊夜の言う通り、俊司は目立っていた。
ただでさえ、金髪に緋色の瞳という目立ちまくりの特徴に、これ以上無いほど整った容姿とくれば、誰もが視線を向けて当然。
そんな男が、電柱の後ろでチラチラと前を見ていたら、『何こいつキモ』と思って当然だ。
「え、そんな目立ってた? というか、気味悪いは酷くない?」
「え? 師匠の存在をこれ程的確に表した言葉はこれ以外無いと思うのですが」
「もっと酷いよ!? 師匠に対する尊敬とかないの?」
「人柄に対しての尊敬はおろか信頼も信用もないです」
柊夜は、用は済んだと建物から出てきた明日香の方へと歩いていく。
一方俊司は、尊敬されるのって難しいなぁと泣きそうになっていた。
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