第二十話 うん、そうなるの知ってた。

 柊夜は、既に六時を回っていた時計を見て、自分に説得は向いていないということを痛感していた。

 

 凛音は帰宅し、二人をジロジロ見ていた他の生徒も声が聞こえないということに気がついたらすぐに帰っていった。

 そうでない、普通に勉強に来ていた生徒も、夕暮れ時になったのを見計らって勉強をやめているので、図書館の、少なくとも二階には今は柊夜しかいない。


「あの言い方はないな……」


 その自嘲は、凛音があまりにも人間不審がひどく、過去に囚われすぎて一片たりとも協力の姿勢を見せなかった際に、少し威圧してしまったことだ。

 あれのせいで、協力を取り付けるのに時間がかかったと言われれば否定できない。

 また、更に圧力をかけるために、一時期とはいえ敬語をやめてしまったのもあまり褒められた行為ではない。


 ただ、彼女の本音を引き出し、その上で協力することを約束させたのは良かったか。

 本心を隠し、疑心暗鬼で協力して何かを為そうとしても、より良い協力関係とは言えず、隠した本心が軋轢を生む場合だってある。

 支障が出るほど何かを隠すよりは、過程がひどがったものの本心を見せてくれた上での関係なのでまだマシな部類だろう。


「もうそろそろ時間か。帰るか」


 時計の分針が六を指したのを確認して、柊夜は図書館を出た。

 今日は男子バドミントン部は活動がないが、全国インターハイに向けて女子は体育館の余ったスペースを使って今日も練習をしている。

 校舎から分かれて建設されている図書館から、同じく分かれて建設されている体育館までは歩くと時間がかかる。

 そのため、反省会はこのあたりで切り上げて明日香のところに行かなければならない。


 今日は、不運なことにいつも送迎している黒塗りの車の車検日であり、紀継は代わりの車を用意すると言っていたのだが、明日香は偶には電車通学をしたいと言い出したのだ。

 父親という生き物はいつの時代も娘に甘いのは変わらず、それに違わず紀継もそうなので、溺愛する娘のお願いに父親の威厳は鉛筆の芯よりも簡単にポキっと折れた。


(「ねぇねぇあれ、一年生の鷹橋くんじゃない?」)

(「あ、本当だ。一年生がここに来ているってことは、図書館に行ってたのかな?」)

(「えー? でもわざわざ図書館に行って何するの? 家で勉強したほうが良くない?」)

(「でもさ、羽柴さんとこで働いてるって言うし、あんまりお金ないんじゃないの? 冷房が効いた部屋がないとか」)

(「あ、それあるかも。だとしたら、ちょっと可哀想だよね」)

(「まぁでも、将来は別に大丈夫じゃない?」)

(「だってさ、世界の羽柴だよ。お金に心配なんてあるわけ無いじゃん」)

(「あ、そういうこと」)


 柊夜が珍しく図書館に行っていたことで、いつもこのあたりを通るのか数名の女子生徒が柊夜を噂していた。

 擦れ違うタイミングで聞こえたのは「あんまりお金ないんじゃないの?」というセリフであり、柊夜は内心小馬鹿にされた気分で廊下を抜けていった。


(まぁ、この金持ちが集う学校の中で俺は異端だからな。……別に金がないというわけではないし、平均収入よりは余程多く稼いでいるんだけどな)


 きちんと心のなかで反論し、何故貧乏に思われるのか不思議に思う柊夜。

 当然、明日香の使用人の仕事は金払いもよく、普通の公務員と同じくらいで、祓魔師に至っては祓う魔霊の強さや出た被害にもよるが、基本的に年収一千万は超える。

 貧乏というよりは結構な金持ちであり、いちいち周りの言葉を気にせず堂々といているくらいには稼いでいるのだが、素が小市民のためこればっかりは仕方がない。


「あ、柊夜くん。迎えに来てくれたんだ」


 体育館に辿り着くと、既に帰宅の準備に入っている明日香が柊夜に向かって手を振る。

 ぱぁあっと花が咲くような笑みを見せる明日香に、周りの男子の目が釘付けになっているのを見て柊夜は僅かに苦笑を漏らす。

 白銀の腰近くまで届く長髪を後ろで一つに束ねたその姿は、普段の神秘的な美しさとはまた違った魅力を醸し出していて、耐性がなければ一瞬で堕ちてしまいそうなほどで、いつまでも見惚れてしまうだろう。

 当然、堅物を自認している柊夜は、「明日香様はどんな姿も変わらず美しいな」くらいにしか思っていないので、そういうところで悠斗や隆二に呆れられるのだが、本人は気がついていない。


 相変わらず自分の魅力に疎い人だな、という特大のブーメランが刺さりそうなことを考えながら、柊夜は体育館の端でカバンに道具類を仕舞っている明日香の下へ歩く。


 片付けが終わったのか、明日香は他の部活の女子生徒と挨拶をして柊夜の方へ小走りに駆け寄ってくる。

 それを他の部活の男子が羨望と嫉妬に満ちた目で見てくるが、いつも通り柊夜は気にしない。


 バドミントンのユニフォームの露出が多いというわけではないのにもかかわらず、クラっとしてしまいそうな色香を感じる。

 柊夜も男子高校生だからだろうか。


「明日香様、本当に電車で帰宅なさるのですか? この時間帯は俺達のような学校帰りの学生や仕事を終えた社会人などで混み合うと予想されますが」

「うん、別にいいの。何事も、体験って言うしね。偶には私も、普通の学生みたいなことをしてみたいかなって思うんだ。ダメ、かな?」


 本当なら、柊夜は安全のために自動車で送迎をしてもらったほうが良いと思っている。

 明日香のような、身贔屓無しで客観的に見ても途轍もない美少女が公共交通機関を使用すれば、まず間違いなく煩悩に満ちた視線に晒されることになる。

 普段からそういった視線に慣れている明日香とはいえ、それは学校の生徒や一部の教員のようなまだ子供だったり常識の範疇に収まっているが、一度外に出れば、大人から向けられるより気色悪いものへと変わる。

 

 電車に乗っている間、明日香がそれに耐えることができるか、柊夜には不安だった。

 流石の柊夜も、そういった視線全てに睨みを効かせることなどできるはずもなく、電車下校するくらいなら歩いて帰ったほうがマシだとも考えている。

 当然、歩くなら明日香の自宅までおよそ五、六キロはあるのでそれも論外だが。


 そう思っているのだが。

 明日香に、上目遣いで懇願するような目で見られては、流石の柊夜も拒絶などできるはずもない。


「まぁ、仕方ありません。ですが、絶対に俺から離れないでください」

「え!? あ、えっと……分かった。なるべく離れないようにするね」

「いえ、なるべくではなく、絶対に離れないでください」

「……はい」


 なので、柊夜は自分から離れないことを条件に、柊夜は承諾することにした。

 たとえ明日香が父親から許可を取り付けていても、紀継は柊夜サイドなので、自動車送迎に変更したとしてもお咎めなしだろう。

 だが結局、柊夜も折れたので、電車を利用することになってしまった。

 明日香様の好奇心は留まるところを知らないな、と柊夜は微笑ましい我が子のことのように考えた。


 明日香の方はと言うと。

 柊夜から「俺から離れるな」といういつもと違って主張の強い、しかも少女漫画にでも出てきそうなセリフを言われ、頬を少し赤く染める。

 柊夜にしては珍しいものだったので少し胸が高鳴ってしまい、謎の敗北感を味わっていた。


 だが、そのままだと負けを認めるような気がしてきたので。


「離れないで、って言うなら」


 トトトと、車道側を歩く気遣い完璧な使用人の前まで歩き、その無表情ながらも冷たい美貌を持った顔を下から覗き込み。

 両手を後ろで繋ぎ、あざといことをしていると自覚しながらも、この朴念仁を赤面させてやろうと笑みを浮かべる。


「私と、手を繋いだりする?」


 しかし、本来の気質からあまりこういったことに慣れていないため、明日香は少し、いや耳まで赤く染まっている。

 だが、その代償を支払ってでも、偶には勝ち誇りたいと、そう思う明日香だったが。


「なるほど。それもいいですね、そうしましょう」


 余裕綽々と、全く表情を変えずに、それどころか「流石です、明日香様」と敬拝の念を隠そうともせずに手を取る柊夜。

 あまりにも照れとは無縁の反応で、自分の想像していたものと大きくかけ離れていた明日香は、思わず固まってしまう。


「どうしました? 明日香様」


 自分から手を繋ぐと言ってきたのにもかかわらず、いざ繋ぐとフリーズしてしまった明日香を見て、どうしたんだと首を傾げる柊夜。

 明日香にとって幸いか、柊夜への仕返しのために手を繋ぐと発言したことに彼は気がついていない。


 だが、固まってしまった明日香へと柊夜が顔を近づけたことにより。


「え、あ、え……」


 少しでも動いたら口と口が触れ合いそうな距離にまでなって、ようやく明日香が起動する。

 その顔はりんごのように真っ赤に変わり、熱でも出始めたのではないかと疑うほどだ。


 そして、柊夜の手が自分の手をしっかりと握っていることを確認して。


(柊夜くんの手、大きくて硬いけど、指はほっそりしてるんだな……。結構色白だし、羨ましいな)


 などと、思わず現実逃避に走る。


「明日香様、熱でもあるんですか?」


 だが、真っ赤になった顔を熱があるのではと疑われた柊夜に触れられたことにより、明日香の思考は現実に引き戻された。

 引き戻されたということはつまり、この自分が見事なまでにやり返されて顔を真赤にしているという状況も認識したということで。


「だ、大丈夫!! それより早く、駅に行こう!!」


 恥ずかしさと、妙な嬉しさが入り混じった妙な気持ちになり、明日香は手を繋いだままの柊夜を急かす。

 顔を背けたのは、柊夜に自分が恥ずかしがっていることを知られたくないからか。


(昔はいつも手を繋いでいたのに……)


 思春期に突入した明日香には、異性である柊夜と手をつなぐのは少々ハードルが高かったようだ。

 だが、それでも手を離さずにギュッと握っているのは、柊夜の手のひんやりとした、しかし温かさを感じる手にずっと触れていたかったからだろうか。


「明日香様? そんな急いでも電車は逃げませんよ」


 柊夜の方は、いつも通りの無表情に、僅かな困惑の色を浮かべながら、手を引く明日香についていく。

 恥ずかしさなど微塵も感じておらず、明日香の敗因はこの男に僅かでも勝機を感じてしまったことだろう。


 だがまだ照れさせるのを諦めきれない明日香は。


「ねぇ、柊夜くん。私と手を繋ぐの、結構久しぶりだと思うんだけど、何も感じない?」


 場合によっては、好意を持たれているのではと思わせてしまうような発言をして、柊夜の本心を探る。

 長い付き合いである明日香は柊夜がポーカーフェイスが得意であり自分の本心を隠すことに長けているということを知っている。

 また、主である自分によっぽどのことがなければ嘘をつかないことも知っている。


 それ故の問いかけだったが。


「柔らかくて、女の子の手なんだな、ということを感じます。あと、美少女と手を繋げて役得だな、ということぐらいでしょうか」

「び、び……」


 柊夜の美少女という言葉に、呆気なくノックアウトしてしまう明日香だった。


 この後もずっと手を繋いでいたことにより、他の電車の乗客からは生暖かい目と嫉妬に満ちた目で見られたが、明日香は柊夜と手を繋いでいるということで頭が一杯で、そのことには最後まで気がつくことはなかった。

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