第十九話 信用の条件

「心の底では裏切るんじゃないかって不安なの!! わたしはお父さんを裏切った、騙したあの男と会ったことがある。わたしもお父さんと同じように、見抜けなかった。もしわたしが見抜けていたら、お父さんが死ぬことはなかった。でもわたしにはできなかった。わたしじゃあ、裏切っているかどうかわからない!!」


 柊夜が初めて訊いた、彼女の本音。

 おそらく播磨理事にすら明かしたことがないであろう、感情の吐露。


 それは後悔だった。

 もしあの時見抜けていたら、という過去を悔やむ感情。

 だが、もう既に遅い。

 凛音と來樹は裏切られたという男の本性を見抜けず、騙されたことに気付かず殺され、彼女は父を失った。


 後悔しないはずがなかった。

 そして恨み、憎しみ、いつかきっと自分が敵を討とうと決意したのかもしれない。


 だが。


「分かってる。過去は変えられない。だから、お父さんを殺した、リベルタスに敵討ちをしようとした!! おじさんのツテを使って祓魔師になったあとも、わたしはリベルタスを追いかけ続けた。でも一人じゃ無理なの!! 一人じゃ無理だったのに。それでも、仲間を作れば、裏切られるかもしれない!! 裏切られて死ぬくらいなら、一人で、できないと分かっていてもやるしかなかったの!!」


 一国家を凌ぐ力を持ったリベルタスに、まだ大人ですらない少女が立った一人で立ち向かったところでやり遂げられるわけがない。

 それどころか、リベルタスの中の小さな組織すら、彼女の手には余る。


 凛音も、そんな事は分かっていた。

 たった一人で勝ち目がある相手ではないことくらい、分かっていた。

 だが、仲間が信じられない以上、一人で戦うしかない。

 

「分かりますよ。確かに裏切られるかもしれない。どれだけ素性が明らかだとしても、極僅かでも、その可能性は常に付き纏う。それでも、一人では勝てない。だから、腹をくくってでも、信頼して仲間を作る必要があります」

「そんなの、わたしだって分かってた。だから、わたしは絶対に信用できる人を探した。この学校でも、一二を争うくらいには知り合いがいるし、鷹橋くんと違って友達だってたくさんいる」

「ナチュラルに馬鹿にしましたね」

「でも結局、絶対に信頼できる人なんて見つからなかった。わたしにできたのは、知り合いがたくさん増えて、薄い交友関係が広がっただけ。わたしがそうできたのは、わたしが裏切ることはない人物であることを示したから。でも、他の人達はそうしてくれたとしても、なんの意味もない。他の人達が信じても、わたしは信じられなかった」


 凛音は、絶対に自分を裏切らない人を捜した。

 それはかつて、父がした過ちを犯さないように、自分が信頼して仲間と呼べる人と共に歩くために。


 だがそんなもの、学校の中で見るかるわけもない。

 あくまでできるのは、友達という曖昧な関係で繋がれた、裏切りってもおかしくない仲間とは呼べない存在。


「まぁ、そうですね。俺も基本人を無条件に信用したりはしないですが、流石にそれは度が過ぎます。少しは信じてみてもいいと思うのですが」

「……」

「確かに、お父さんが裏切られたことで、人が信じられないのも仕方ないです。ですがせめて、全員が自分を騙していていつか裏切るんじゃないかという考えはやめ――」

「――君に……。君に何が分かるの!! 鷹橋くんはいいでしょう!? 頭が良くて、容姿も良くて、運動ができて、祓魔師の才能があって、バックにはあの羽柴グループがついていて、わたしみたいな悩みを抱えたことなんてないよね!? だから言えるのよ、少しは人を信じたらなんて。わたしが心の底から信じているのは、お母さんとおじさんだけ。それの何が悪いの? どんなに無理だろうと、わたしはリベルタスを一人で倒す。いつかきっと、敵は……」

「無理です」


 凛音の、いつかきっとなどという具体性のかける未来予想を、柊夜は無理だと断定する。

 リベルタスは、少女一人の恨みなどで消える組織ではない。

 凛音の恨みも、來樹を裏切った男には届かない。


 だが、凛音は冷静ではなかった。

 思わず、感情の高ぶりに任せて言ってはならない言葉を言ってしまった。


「鷹橋くんも……大切な人を失ってみればいいのよ!! そうしたら分かるよ!! これは理屈の問題じゃない、感情が納得できるかどうかだって!!」


 そこまで言い切って、凛音は自分の失言に気がついた。

 人として、言ってはならぬことを言ってしまったことに気がついた。

 何故なら、柊夜は。


 この話の間も、全く表情に変化がなかった柊夜が、悲しげな顔をしていたからだ。

 悲哀を誘う、儚くも美しい、悲しげな顔だった。


「ご、ごめんなさい……。わたし、そこまで言うつもりじゃ……」


 その顔を見て凛音は焦り、もう遅いと思いながらも謝罪を口にする。

 罪悪感と、僅かな爽快感が入り混じり、凛音の胸中は複雑に入り交じるも、理性では、申し訳無さでいっぱいだった。


 だが、柊夜は気にした様子もなく。

 すぐに表情を戻した。


「いえ、大丈夫です。俺も、同じですから。大切な人を失ったのに、もう過去のことだからと言われても、することが無理だと言われても、納得などできるはずありませんから」

「俺も、同じ?」

「はい。俺も、沢山の人を失いました」


 その言葉に、凛音がとんでもないことを言ってしまったと後悔した。

 大切な人を失ったことがある人に、失った悲しみが分かるわけないなどと。

 

「俺は物心ついたときには既に、父親がいませんでした。母親は何も言わなかったので、蒸発したのか、離婚したのか、仕事でいなかったのかは分かりませんでしたが。そして六歳の時、母親が死にました」

「ろ、六歳で?」

「はい。それも、魔霊に襲われて。俺と、その時怪我をした妹は俺が魔霊を倒すことで生き残ることができましたが、父親がいなく、親戚にも一度もあったことがない俺達に、頼るべき人はいませんでした。頼る以前の問題に、俺はその魔霊との戦いで死にかけたんですけどね」

「そ、そんな……」

「ですが、倒れたところを、俺は明日香様に見つけていただきました。そうすることで、俺達は生き残り、羽柴グループの代表である明日香様の父紀継様のはからいで使用人として働きながら、祓魔師として生活するようになりました。まぁ、明日香様と妹は俺が祓魔師だとは知らないんですけどね。教えるつもりもありませんし」


 そこまで言って、柊夜はあの日のことを思い浮かべた。

 柊夜にとって、妹と明日香以外は全て敵だったあの頃は、まさに今の凛音と同じ状況なのかもしれない。

 

 先程から妙な感情、怒りのような、苛立ちのようなものは、過去の自分と重ねていたかもしれないと思うと、思わず苦笑がこぼれ出た。


「それからも、毎日が波乱の日々でした。そんな中、俺は出会いました」

「誰、と?」

「相棒です」

「相棒?」

「はい。十歳の頃、俺は紀継様により師匠と出会いました。師匠には養子がいたんですが、その彼が、俺の相棒となりました。ですがその彼も、俺を庇ってリベルタスの手により殺されました。十三歳の冬でした」

「ッッ!?」

「俺は、その時、本物の別れの悲しみを経験しました。母親は、あまり家族としての実感が湧かなかったので、いなくなった、ということしか思いませんでした。俺にとっての家族は妹だけでしたので。でも、その相棒と過ごした日々が、俺に悲しみを抱かせました。それと同時にもうどうしようもないほどに怒り狂いもしましたけど」

「それで、どうなったの?」

「結局、相棒を殺した犯人には逃げられ、俺に残ったのは相棒を失ったことによる虚しさでした。でも、その虚しさは、明日香様が埋めてくれた。祓魔師のことを知らないのに、俺の話を訊いてくれて。そしたら言われたんです。相棒の遺志を継いで、明日に繋げるのではないのか、と。お陰で俺はこうして、自分の、相棒と夢見た世界のために戦うことができます。だから俺は、今の俺を作ってくれた明日香様を信頼していますし、命を懸けることができます。もし裏切られたとしても、俺はそれを受け入れるくらいの覚悟はありますしね」


 柊夜の相棒は、柊夜にとっての、初めての対等な関係の友達でもあった。

 妹や幼馴染は、自分が守らねばならず、明日香は自分よりも上の立場にある。

 

 対等ではない関係が悪いわけではない。

 だが、共に命を預け合うことのできる相棒は、知らず知らずのうちに、柊夜に居場所を作った。

 ときには笑いあい、ときには意見が食い違って擦れ違い、それでも一緒に同じ道をただひたすらに真っ直ぐ突き進む関係。


 それが突然、失われた。

 でも、柊夜にとって欠けてはならぬほど大きい存在だった相棒がいた心の隙間を、相棒が残し、明日香が語ったが埋めてくれた。


 だから柊夜は、明日香のために、相棒の遺志を継いで、その過程で相棒の敵を討つ。

 柊夜の今の生きる目標は、それだった。


「でも、天瀬先輩は違う。天瀬先輩は、父親の敵討ちがしたいんじゃない、復讐がしたいんです。父親を奪ったリベルタスに復讐をして、父親がいた心の隙間を埋めようとしている。でもそれでは、決して埋まらない。復讐に意味がないとは言いません。たしかにその時はそれでいいかもしれません。でも結局、復讐では心の隙間は埋まらない。心の隙間は決して、妄執に囚われたままでは埋まることはありません。復讐は、敵討ちとは違う」


 復讐、その言葉が凛音の中で何度も反響する。


 大切な人を奪われたことによる、敵討ちと復讐。

 どちらも同じような言葉だが、決定的に違う点がある。

 それは、大切な人のためか自分のためか、ということだ。


 敵討ちはあくまで、大切な人の無念を晴らすため、だが復讐は、大切な人を奪われたことによる自分の恨みを晴らすため。


 凛音は後者だった。

 父親を失った悲しみと怒りを燃料に、恨みの感情を燃え上がらせて復讐する。

 そこに父親の意思は全く介在しておらず、それどころか父親のためではなく自分のための復讐だ。


 柊夜は違う。

 柊夜は、相棒の遺志継ぎ想いを叶えるために、その過程で敵討ちをする。

 敵討ちはあくまで通過点でそれ自体が目的ではない。


「結局、復讐に生きるより、失った大切な人の遺志を継ぎ想いを叶えることのほうが、俺は大事だと思います。天瀬先輩。あなたは、父親のために、何がしたいんですか?」


 ――私は、祓魔師になります。そしてお父さんのように、人々を助け、守るために、戦います。

 いつの日か、伝えようと思った凛音の想い。

 それは父の、『人を助ける』という後ろ姿を見て感じた、そして受け取った、彼の遺志。


 凛音は、ようやく冷静になり、自分がどう在りたいかを思い出した。


「わたしは、多くの人を助けるために、祓魔師になった。お父さんのように。だからわたしは、じぶんの復讐のためだけじゃない、人々を助けるためにも、リベルタスを倒す。たとえ誰かに裏切られても、その想いは変わらない。きっと、お父さんもそうだから」


 ある意味、父の後ろ姿に囚われていると言えるが。

 柊夜は、復習に囚われて一人で生きるよりは良いと思った。


「では先輩。協力してくれますか?」

「はい。わたしは、鷹橋くんを信用します。是非、協力させてください」

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