第十四話 記憶除き

 播磨良治は、柊夜が眼の前で起立した状態のままだったことに気づき、座るように勧めた。

 どこか申し訳無さそうな顔をしつつ、柊夜はソファへと座った。


 播磨良治から見て、この眼の前に立つ青年がよもやここまで優秀だったとは思いもしなかった。

 まず挙げられるのは、意識してなのかどうかは不明だが、一瞬たりとも表情を崩さない、怜悧で整った誠実そうな顔だ。

 

 交渉にとって、第一印象というのは非常に重要だ。

 醜悪な豚のような容姿だとそれだけで相手に悪印象を与え、逆に、柊夜のような真面目な雰囲気を持つ整った容姿を持つと非常に好感を与える。

 また、勧められるまで椅子に座ろうとせず、十数分は背筋を伸ばした状態を維持していたことも、柊夜の誠実さを実に現していた。


 また、最初、播磨良治が放っていた威圧感も、そよ風を浴びるかのように平然としていた。

 慣れていないものは、その雰囲気に当てられただけで腰を抜かすのにもかかわらず。


 第一印象だけでなく、とても柊夜は冴えていた。

 的確に相手を誘導し、自分の手札を一つ犠牲にすることを何も厭わず、播磨良治から取りたい言質を引き出そうとした。

 そう、「協力しよう」という言質を。


 柊夜は誠実であるのは間違いないが、そういった印象を与えるのを見越して、播磨良治から好感の持てる人物だと評価を得る。

 そうすれば、自然と協力の二文字が口から紡がれていたはずだ。


 あまりにも賢くて、播磨良治は末恐ろしくなった。

 経験浅いというわけではないが、老獪と呼べる域にまでは達していないことに、どうしてか安心してしまった。

 だが、柊夜はまだ十五歳。

 いずれどんな化け物へと成長するのか、恐ろしかったが、興味もあった。


 対して、柊夜は。


 ただ単純に、驚愕していた。

 

 柊夜は今まで、こうした探り合いで敗北したことはあっても、いくつか引き出したものはあったのだが、今回のような常に主導権を握られ、あまつさえ何の情報も引き出すことなく自分の状況を相違なく看破された。

 そんな大敗を喫することは今までの人生で一度たりともなかった。


 柊夜は常々、情報を隠すことに念頭を置いている。

 祓魔師とは存在そのものが一般人に秘匿されたものであり、漏洩してしまえば知ってしまった人が最悪処分されてしまう。

 柊夜ではなく、他人が処分されてしまうのだから、周囲の人を自分の事情で巻き込まないよう気をつけている。

 

 また、世界最強と謳われている柊夜の師匠や、たった二代で世界の羽柴と呼ばれるに至った羽柴グループの代表、明日香の父親からも、情報の大事さを常々言われていた。


 無知とは罪であり、知らなかったばかりに、自分だけでなく家族、友人のような自身の周囲の人間にまで危害が及ぶ、と。

 知らなかったのだから仕方ない。

 そんな言い訳が通じるのは小学生までだ。

 それだけ、知らないということは罪なのだ。


 だからこそ、柊夜はもう全ての情報を明かし、逆に播磨理事からも全ての情報を引き出す。

 殆ど内情が割れている柊夜はあまり傷まないし、何も情報が開示されていない播磨理事は大きく損をする。

 それを見越していないはずがないだろうが、播磨理事はどうやら柊夜を信用できると判断したようで、こちらの提案に乗ってきた。


 柊夜は、この機を逃すわけには行かなかった。


「まず、時間をかければその人物がリベルタスの構成員かどうかを判別できます。ただ、この方法は少し問題があります。当然、しらみつぶしに行うことが無駄だというのにも理由がありますし、時間がかかるというのもありますが、一番の問題点は相手が起きていると判別ができないという点にあります」

「ふむ、なるほど。それは確かに状況が限定的すぎるな。少なくとも、学校で行うというのは無理があるな」

「その通りです」


 柊夜が示した難しい条件に、播磨理事は顔を顰めながら顎を撫でた。

 先程から行っているため、考え事をしているときの癖だろうかと柊夜は思った。


 先程の柊夜の言葉に嘘はない、全て真実だ。


 柊夜は、魔法師ではなく、祓魔師。

 魔法師とのたった一つでありとても大きな違いは、霊子アニマを視覚情報として認識するか否か、ということにある。


 祓魔師でも、次元が違う霊界インフェリスを見ることはできないが、物界マティリアに干渉できなくとも存在はしている魂を見ることはできる。

 魂を見るということはつまり、魂の領域の一つである記憶領域も見ることができるということだ。

 祓魔師として未熟なら、記憶領域を覗くことはおろか魂の存在を見ることだけで精一杯だが、柊夜はこの提案をするだけあってちゃんと記憶領域に記された霊子アニマによる情報を読み解くことができる。


 当然、それだけなら問題はないのだが。

 記憶領域は、魂の所有者がどのような環境で、どのような行動をし、どのような感情を持ったかなど、全ての事象が記録されている。

 それはさながら、魂の所有者限定のアカシックレコードのようで。

 当然情報量は膨大になり、特定の記録を読み解くのには時間がかかる。


 だが、時間がかかるだけなら良い。

 一番の問題は、記憶領域を精査している間にもその魂の所有者をとりまく全ての事象が記録されていくわけで。

 次々と増加していく情報を、柊夜の脳が全て整理できず、そして理解できずにオーバーヒートを起こしてしまう。

 そうなってしまえば、記憶を覗く、なんてことをしている場合ではない。


 だが、睡眠状態なら。


 その魂の所有者の意識がなければ、意思や感情を記録することもなく、起きている状態のように逐一身体を動かすことも、寝相が相当悪くなければ滅多にないので、記録される情報は限定される。

 せいぜい、睡眠中に行われている記憶の整理と見ているならば夢くらいだ。


 それなら、数十分もあれば柊夜でもなんとか情報を見ることができる。

 こういった記憶領域を精査する専門の祓魔師がいたりするのだが、数が非常に少ない上彼らは犯罪者への尋問係として仕事を外すことはできない。


 なので、多少心得のある柊夜がやらなければならないのだが。


「この限定的な状況を作るには苦労しそうだな。……後、もう一つ、問題点があるのだろう?」


 播磨理事は、柊夜が自身が祓魔師であることを明かす前に、もう一つある問題点を指摘してみせた。

 彼ほどの立場なら、祓魔師の存在を知っていてもおかしくなく、現に息子である播磨怜治が柊夜が祓魔師であることを知っている。

 誰であれ、祓魔師の存在は秘匿義務があり、家族にも教えることはできないため、播磨理事は柊夜が祓魔師であることを知らないはずだ。

 

 だが、最初の問題点の情報と、もう一つの問題点を示唆した時点で、柊夜が祓魔師であることはバレたと見て良い。

 最初の問題点なら、寝ていないと抵抗されるかも、などと言い訳を作ることも可能だったが、もう一つはそうもいかない。

 なにせ、祓魔師にしか、見えないのだから。


「もう、察したようですが、私は祓魔師です。なるべく話をスムーズに進めるためにも、ここで開示しておきます」

「ふむ、確かに君が祓魔師であることは知っていた。だが、知らぬ存ぜぬで押し通せたのではないか? 君は何も、自分が祓魔師として捜査するなど一言も言っていない。会話の節々から、君が行うことは理解できていたが、君が知り合いの祓魔師に依頼する、という体も取れたはずだ。なのに何故、明かした?」

「もう確信を持っている相手に、隠し通しても意味がないでしょう。その行為は、相手の心象を悪くする。相手が嘘だと知っているのに、騙そうとするなど愚の骨頂です」

「なるほど、たしかに合理的だ。君は本当に優秀だな」

「お褒めに預かり光栄です」


 どうやら柊夜の行動は、裏目に出ることはなかったようだ。

 これでもし、柊夜が秘匿義務にこだわり隠し続けたら、協力を得られないかもしれない。

 この判断が間違っていなかったことに安堵した。


「それで、一応確認のために、もう一つの問題点を話しておきましょう。もし潜入したリベルタスの構成員が魔法師であった場合、魂は強固に霊子アニマで覆われているため、最悪の場合記憶領域が覗けないということです」


 魔法師と一般人の魂の違いとして主に挙げられるのは、霊子領域の大きさと、霊界から供給される霊子アニマの時間あたりの量だ。


 魂から供給される霊子アニマは主に、一般人は記憶領域に記録される情報を構成するために使われる。

 これは魔法師でも同じなのだが、魔法師は霊子領域が一般人よりも大きいがために、その分供給される霊子アニマも多い。

 だが、記録される情報に使われる霊子アニマの量は一般人と殆ど変わらず、魔法を行使することを視野に入れても、霊子アニマは大量に余る。

 なにせ、霊子領域内の霊子アニマが満タンにになっても供給を続けられるのだから。


 そしてその余った霊子アニマは、霊子領域から漏れて、限界まで魂を覆う。

 それも、大量に。


 魂は霊子で構成されているが、その霊子は余った霊子とは違い魂という設計図を持った、いわざ情報そのものだ。

 なので、その情報を読み解くことができるが、余った霊子はただのエネルギーであるので、それを透過して魂の情報を読み解くことはできない。


 これを解消するには、霊子を大量に消費させるくらいの戦闘をさせる必要があるのだが、それに応じた時点で黒で間違いがないし、もし白だったら訴えられてもおかしくない。

 リベルタスの構成員が全て魔法師といわけではなく、むしろ一割程度なのだが、それでも万が一、いや、十が一ということもある。


 ただ、もし魔法師がこんな普通の、魔法教育を行っていない学校にいたら、それだけで十分状況証拠となり得るが。


「この学校に魔法を行使できる者が通うというだけで、十分状況的に見れば黒なのですが」

「君のように、魔法を行使できるのにもかかわらずこうして一般高校に入学する生徒もいるからね。もし教職だとしても、魔法を行使できるのなら魔法教育を行っているどこかしらの学校にいそうなものだが、これも私のような例もあるし思い込みは良くない」

「えぇ。もし無関係の人を摘発して本当のリベルタスの構成員がこのことに勘付いたら厄介です。当面の間、活動は控えるでしょうから」

「最近この学校に関わるようになった教職、用務員などをあら方探ったが、どれも白だと断定した。私が、リベルタスの匂いを間違えるはずもない」

「もしかしたら生徒であることも否定できないでしょう。リベルタスがこんな形で日本のトップ企業の子女を引き込もうとするくらいですから、大人よりは同じ生徒のほうが近づきやすいでしょうし」

「確かにそうだな。にしても、君の言う捜し方では、反感を買うだろうしそう多くチャンスもないだろう。せいぜい、数回が限度であろうから、ある程度容疑者を絞り込まねばならない。生徒数が千人を超えるのだ、かなり大変だろう」


 あまりにもやることが多く、そのどれもが大変であるため、柊夜は思わず嘆息してしまいそうになり、ここが理事室だと思い出し踏みとどまった。

 

 だが、播磨理事もどうやら同じ心境であるらしく、こめかみあたりをグリグリとしていた。


 だがそれもすぐに終わり。


「だからまずは、協力者を増やそう」


 柊夜の想像の埒外にあったことを、提案してきたのだった。

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