第十三話 理事と父親

 無事、とは言い難かったが、なんとか職員室で理事との面会の許可を得た柊夜は、校舎四階にある重厚感のある扉の前までやってきた。

 教員らから、何故理事との面会の紹介状を持っているのか相当訝しまれたが、開示の義務はありませんの一点張りでなんとか押し通すことができていた。


 コンコンコンと、目上の人に対するノックの回数である三回扉を叩き、「どうぞ、入ってくれ」と中から声が聞こえると同時に扉を開けた。


 余談だが、ノックの回数三回は目上の人、四回は目下の人、二回の場合はトイレに誰か入っているか確認するときである。

 多くの人がどんなときでも二回ノックするだろうが、それだとトイレに誰か入っていますか? となってしまうので注意したほうが良いだろう。


 閑話休題。


「よく来たね、鷹橋柊夜くん」


 縦に長い、全てが木造りの本棚が並んだ重すぎる雰囲気の部屋の奥に、その雰囲気に違わない、威圧感のある書斎にその男は座っていた。


 髪には白髪が混じっているもうすぐ還暦を迎えるのではないかと思われる年齢であるのにもかかわらず、鷲のような、相対したものを竦ませるような鋭い眼光。

 腰は曲がっているどころか、若者でも意識しなければできないと思うほどに、背筋がシャンと伸びている。

 ただ、年齢には勝てなかったのか、頬には少ししわがある。

 

 だが。


 柊夜が最も意識を奪われたのは、紛うことなき強者の気配。

 長年、戦い続けてきた者だけが発することのある、歴戦の猛者の覇気。

 少しでも目を逸らせば、一瞬のうちに命を奪われてしまうと錯覚してしまうほどの、途轍もない強大なオーラだった。


 当然、柊夜もかなりの修羅場をくぐり抜けており、これ程度では怖気づくどころか腰すら引けない。

 なので、間髪入れず挨拶する。


「はじめまして。鷹橋柊夜です。本日はこのような機会を賜りましたこと、誠に恐縮です。本日は、私的な用事があってまいりました」

「うむ、怜治から――息子から訊いている。なんでも、この学校にかの憎きリベルタスが侵入しているのだとか。私もその話を先日訊いたのだが、正直驚愕した」


 柊夜が言葉を発すると、先程の威圧感のあった気配がたちどころに消えている。


(おそらく、試されていたのだろう。リベルタスの危険性は、きっと彼は俺よりも知っている。生半可な覚悟で挑まれても困るというわけか)


 柊夜が合格したのかどうかは定かではないが、少なくとも先程よりは柔和な顔つきになり、穏やかな気配へと変わっている。

 その変わりように多少たじろぐが、持ち前の鉄壁ポーカーフェイスで隠し通した。


「それで、播磨・・理事。目星は付きそうですか?」

「いや、残念ながら全く。そもそも私は、あまり捜査が得意というわけでもない。知ってると思うが、魔法犯罪課で働いていた頃は、バディを組んだ相棒がそういう情報を集めるのに優秀でな。私はどちらかというと、戦闘に適していたからな」


 播磨良治。

 警察庁魔法犯罪課に所属し、数々の功績を上げて警視正にまで上り詰めた実力者にして、播磨怜治の父親。

 

 そんな彼には確か、相棒と呼べる捜査に適した魔法を先天性術式として保有していた同期の男がいた。

 マスメディアからしてみれば、華々しく犯罪者を捕縛する播磨理事のほうが大きく話題を呼ぶためその相棒はあまり注目されなかったが……。


 その相棒の男が、五年前に殉職しているのを柊夜は知っていた。

 その男にはあまり興味がなかったが、魔法を行使するものの間では有名人である播磨理事が警察の職を辞する原因になったということをよく覚えていた。

 相棒が殉職したのにもかかわらず、何一つ悲しげな顔をしなかったということと、たった一人の相棒の死で逃げるのかと当時は炎上していた。


 マスメディアにとっては格好の餌だったのだが、大切な人を失った悲しみはそう割り切れるものではない。

 だからこそ、播磨理事はこの学校の理事へと転職した際、『誰もが犠牲にならない社会』という教育理念を掲げたのだろう。

 『誰もが犠牲にならない社会』というのは、死と隣合わせで戦う魔法師へ、かつての自身の相棒へ向けてのものなのかもしれないし、酷使され搾取される低階級の人間を救うための言葉だったのかもしれない。

 その言葉が誰に向けてなのかは彼しか知らないが、少なくとも、播磨理事と同じように相棒を失ったことがある柊夜からは好感が持てた。


 だから、知己ではないのにもかかわらず、どうしようもない敬意の気持ちが心の底から沸き上がってくるのだろう。

 純粋に、波乱の人生を生きた先輩として。


「まぁ、今はアイツのことは良い。重要なのは、今の私に不肖の息子がもたらしたリベルタス潜入の情報の裏を取り、当事者を見つけ出す方法がないということと、君には、捜し出す手段があるということ。違うかね?」


 柊夜が自分の亡き相棒の事を考えていたことを見抜き、更に柊夜が潜入しているリベルタスの構成員を捜し出す手段を持っているということを言い当てられて、鉄壁のポーカーフェイスが崩れ、片眉がピクリと動いた。

 

(どうやらこの人の、犯罪者の捜査が苦手というのは嘘のようだ)


 もしかしたら、その相棒の人――天瀬があまりにも優れていたかのどちらか、と普段から心情を見抜かれ慣れていない柊夜は現実から逃げた。

 柊夜は、自分が顔に出ないタイプであることを、自覚する数少ない得意なものと思っていたのだから、無理もないが。


「どうしてそう思われたのでしょうか? 自分は何も情報を開示していませんが」

「何、息子から君のことは訊いている。優秀過ぎてとっつきにくいが、のりの良いところもある食えない男だ、と。そんな君が、何の手札もなく私に縋るなどありえない、そう考えただけだ。それに、今の言葉で確信したよ」


 どうやら、柊夜の予想通り何の話も播磨から訊いていなかったようで、ただの人物評価、それも他人のであるにかかわらず、播磨理事は答えにたどり着いた。

 最後は柊夜が誘導されたということは否めなかったが、簡単な誘導尋問に引っかかったという羞恥プレイをなかったことにしようと、素直に心から称賛した。


 だが、今の柊夜の胸中を大きく占めていたのは。


(あの播磨が俺のことを優秀すぎると言うとはな。アイツのことなら、気味悪いクソガキ、という評価でも頷けるが……。しかし、食えない男、か。人のこと言えないだろう」


 意外な人物からの高評価と、お前が言うな!! という憤りだった。

 当然、先程の失敗から学び、顔には微塵も出さないが。


「なるほど、流石です。その観察眼もそうですが、笑顔で罠を張るその人間性も」

「ハッハッハ、確かに、息子の言う通り面白い男だ。この私を前に、何の恐怖もなく皮肉を言うとは。まぁ、だが。一応褒められていると受け取っておこう」

「一応、ではなく、褒めているのです。そうでなければ、魔法教育も受けず才能だけであの厳しい環境では生き残れないでしょうから」

「……君は、周囲の人から年齢詐称しているんじゃないかと疑われたことはないかい? その物怖じしない姿勢は好感が持てるが、一体どれだけの修羅場をくぐり抜けたらこんなタングステンも一瞬で砕け散りそうなメンタルに育つのか」

「達観している、悟っている、などとは言われますが、年齢詐称をしているのではないか、などとは言われたことはあまりないですね」

「もうその発言で十分君が異常なことはよくわかった」


 あまり、というのは柊夜がまだ幼い頃に指導を受けていた師匠に言われたことをカウントしているからだ。

 いつも陽気で距離感がバグっている師匠だったが、その言葉を言っていたときの師匠の顔は若干引いているようだった。


「それで、そろそろ本題に入ろうか。先程の私が言った、君がリベルタスの構成員を捜し出す方法を持っているのではないか、というのは概ね間違っていない。ただ、付け加えるなら、君が捜し出すことのできる方法は状況が限定的であり、ある程度の体裁を整えなければならない手段である、ということ。そうだね?」

「……」

「ハッハッハ。このことについてはある程度確信を持っている。なぜなら君は、もし自力でなんとかできるのなら私に頼る必要はないし、こうして言葉遊びに興じながら私がどれだけ譲歩できるかを探る必要もない。その方法とやらが君一人で実行できるのなら、今すぐにでも行動を起こすはずだ。君はそれだけの立場にあるからね」

「……完璧です。まさか、そこまでとは思いませんでした」


 柊夜は今度は何のヘマもしないとどう受け応えるべきか悩んでいたが、その行為を簡単に吹き飛ばされてしまい、呆気にとられる。

 何故なら、播磨理事の言っていたことは全て正しいのだから。

 簡単に真実を言い当てられて、いくら柊夜のメンタルが異常な硬度を持っているとはいえ、平然としていられるはずがなかった。


「俺――いえ、私はそれなりに化かし合いの経験は積んできたつもりだったのですが、その自身が音を立てて崩れ去っていくのを幻視します」

「なに、君も十分だ。ただ、君は交渉相手に弱みを見せてはならないというセオリーを遵守しすぎた。自分ひとりではどうにもならないということを隠すために、自分が捜し出す手段を持っているということを囮に使った。相手に看破させて、それが事実だと思わせるために。いや、見事な手腕だった。私も最初は騙されるところだった。ただ、優秀過ぎた」

「最初は、と言いますと?」

「あの、人嫌いの息子が魔法技能を持っているとはいえ学生をこうも高く評価する。優秀すぎると。なら、そういった手段に出ることも考えられただけだ」

「……まさかそこで差が出るとは。急にあの男が高評価をしてきたので何があったんだと疑ったのですが……私と理事が化かし合いをすることを見越して?」

「さぁ、私にも分からないが。あれは巫山戯ているように見えて時折別人のように頭が切れるときがあるからな。そうあってもおかしくない」


 その時の播磨理事はどこか誇らしそうで。

 対面当初の威圧感のある雰囲気とも、話を始めたときの柔和な雰囲気とも違う、どこか自慢げな雰囲気を醸し出していた。

 

(不肖の息子とは言っていたが、自慢の息子なんだろう)


 播磨は、三十代で既に警部という立場だった。

 魔物対策課は、どんなことであれ実力主義だ。

 武力、頭脳、捜査能力、そのどれもが欠けていないか、どれかが突出していなければ腐っていくだけだ。

 柊夜の中で、播磨の評価が何段か上昇した。


「では、ここからはし《・》無しでいきます」

「いいとも」


 ある程度播磨理事のことを信用した柊夜は、ここからは隠し事をしないと決める。

 柊夜の本番は、ここからだ。

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