第九話 晩ご飯の風景
少々一人で過ごすには大きめの自室に戻った柊夜は、濃紺のブレザーに黒色のスラックスを脱ぎ捨てハンガーにかけた後、普段着のパーカーとスウェットパンツに着替えた。
おしゃれに疎い柊夜の服は基本的に楓のチョイスであり、こういうところは頭が上がらないな、といつものことながら優秀な妹に感謝した。
学校から家に帰った後荷物は放りっぱなしだったので、最低限の整理だけはしておかないと楓に怒られる。
そのため適当にバッグ等を片付けて、今日の出来事を振り返った。
最近増加傾向にある、都市防壁を超えてきたであろう魔物。
以前播磨からも、人手が足りないと愚痴をこぼされていた。
魔物の脅威は、もう手一杯のところまで来ていた。
柊夜は、今まで殺してきた魔物を脅威と思ったことはあまりない。
一度か二度、ある程度だ。
だが、誰もが柊夜のように魔物を簡単に、命の危険を冒さずに排除できるかといわれたら当然そうではない。
だから、自分が戦わなければならないと思っていた。
でもそのことを、明日香は、楓は知らない。
自分は二人を守る立場にあり、二人が平穏な日常を享受できるよう、その外敵となるものは全て排除しなければならない。
魔物、その存在は二人の日常を簡単に壊してしまう。
だから口が裂けても、その事は言えない。
当然、柊夜が魔法を行使できるということも、二人は知らない。
魔法は、人類の敵を打ち倒す剣であり盾であると同時に、人類を脅かす兵器にもなりうる。
実際、魔法師による犯罪は毎年のように起こっており、非魔法師からしてみれば、彼らの存在はいつ牙を剥いてもおかしくない猛獣を飼っているようなものだ。
事象を改変する。
それはつまり、人々が生きる世界そのものを変える力だ。
世界はおもに二つに分けられる。
あらゆる存在が実体を持つ、仕事をする能力を持ったエネルギーが存在する世界、
物界のあらゆる存在の設計図を保有する世界の設計図たる、
この二つの世界は僅かなズレもなく重なり合っているが、同一次元上にないため決して交わることはない。
だが、唯一二つの次元にまたがって存在するものがある。
それは、魂だ。
魂は、
魂は
いうなれば、魂とは精神だ。
魂にはいくつかの領域があり、人間の記憶、生きた軌跡を全て蓄積している記憶領域、感情を発露し肉体に投射させる感情領域、何かをなそうとする意思を生み出す意思領域、
この中で魔法と直接的な関係があるのは霊子領域と術式領域だ。
霊子領域は、
術式領域は、魔法の才能を持つ者だけが保有する術式を構築する領域だ。
会得した術式を、霊子領域内の
魔法は、
設計図が改変されたことにより、
これが魔法の仕組みだ。
術式はいわば、
ただ、上書きした偽の事象の設計図は世界にとっての異物であり、時間の経過とともに、世界があるべき姿へと戻ろうとする作用で消去されてしまう。
そのため、一度の魔法の行使で永遠に物体を飛ばし続けるなど、事象の改変を永遠に連続させることは不可能となっている。
魔法は、魔法を行使している、ということは何となく知覚できるが、どのような仕組みで術式が構築され、どのように
この魔法の仕組みも、世界各地の魔法学者が色々な仮説を立てて、一番可能性が高いと思われるものが魔法の仕組みとなっているだけで、今後変わる可能性はある。
しかし、どちらにせよ世界を変える、ということは事実だ。
こんな、人間に許されたとは思えないような力を手にする魔法師を、人ならざるものとして排斥しようとする組織もある。
もしかしたら、柊夜が魔法を行使できると知られたら、自分の周囲の人に恐怖されるかもしれない。
恐れられ、拒絶されるかもしれない。
柊夜はそのことが、無性に怖かった。
二人のため、とは言っているものの、結局のところ、柊夜がこれ以上大切な人達を失わないためであった。
そのことに多少自己嫌悪しつつ、柊夜が階段を降りると。
「あ、柊夜。待ちきれなくて先に食べていたわ」
「お邪魔しています、柊夜さん」
いつの間にか来訪していた二人の幼馴染が、楓のご飯を美味しそうに頬張っていた。
二人で使うにはいささか広すぎる黒い木製のダイニングテーブルも、彼女たちが加わるとちょうどいい大きさになるように思えた。
「あのなぁ、家が隣りにあるからといって、毎日のようにうちに来るのはいかがなものかと思うのだが? 少しは自炊したらどうだ?」
「自炊していない柊夜に言われたくないわ。貴方も楓の作るご飯を食べているでしょうに」
「……返す言葉もないな。当然、楓には毎日感謝しているよ」
柊夜の呆れたような物言いに、逆にぐうの音も出ない切り返しをした少女、
黒曜石のような黒い腰まで届くロングの髪に、血よりも深く濃い紅色をした瞳で、どこか冷たさを与える容姿はモデルも斯くやと思われる程の美貌を持っている。
性格もそれに違わず、基本的に人に興味を持たず軽くあしらっており、容姿で一目惚れし告白してきた世の男子生徒達に一縷の期待も抱かせずこっぴどく振っている。
それには柊夜も慣れたもので、今では苦笑一つで対応できるようになっている。
「良いじゃないですか。せっかく家が隣にあるのですから、こうして共に食卓を囲むというのも悪くないでしょう?」
「それが偶にならいざしらず、毎日のように来るから困っているんだが」
美波とは対照的な柔らかい微笑みを浮かべた少女、
光り輝くような金色の髪をサイドでまとめたセミロングに、
女神のような優しい性格で多くの男子生徒たちを勘違いさせてきており、今まで告白を断ってきた数は美波と同じように二桁を優に超える。
いつも、どうしてか柊夜に冷たい美波の窘め役であり、柊夜からは困ったときに頼りになる、と思われている。
そんな二人は従姉妹関係にあり、両親が不在らしく柊夜の家の隣で二人仲良く暮らしている。
羽柴家で生活していた頃からの付き合いであり、年数であれば十年ぐらいの正真正銘柊夜の幼馴染と言える。
明日香とはあまり親しくないため、彼女と関わることは少ないが、柊夜の休日の日にはいつも一緒に遊んでいた間柄でもある、と柊夜は思っている。
楓からは姉のように慕われており、美波姉さん、結珠葉姉さんと呼ばれている。
「良いの、兄さん。二人だったら微妙の食材が余るし、人は多いほうが食事も美味しくなるから。それに、二人といると楽しいから」
「それなら、良いんだが。だけど、俺が男だということを忘れないでくれ。この空間に一人ポツンと男がいるのは気疲れする」
「別にそんな気を遣わなくても、家族みたいなものなんだから別にいいでしょう?」
「そうですよ。それに、わたし達が毎日のように来るのも今更でしょう? 口ではなんだかんだ言いつつも、柊夜さんはちゃんと受け入れてくれているじゃないですか」
「兄さんはツンデレだから。素直になれないだけ」
「確かに。意外と面倒見いいし」
「この前も呆れたような顔をしていましたけど勉強付きっきりで見てもらいましたし」 「……褒めてくれているのは分かるからその幼稚園児の戯れを見るような微笑まし気な表情をやめてくれ。いたたまれなくなる」
「え? ツンデレだったら『あんた達のためじゃないんだからねっ!!』って返すところじゃないの?」
「古いよ、美波さん。そんな言葉は前世紀の二流漫画のツンデレヒロインしか言いませんよ」
急な三人からの全くもって嬉しくない褒め言葉に辟易してしまうのは、語尾に「ツンデレだけど」がついてくるような気がしたからだろうか。
そして、美波のツンデレに対する考え方があまりにも古風なのは彼女の趣味がレトロだからというわけではないはずだ。
「でも何で、柊夜は私達が来るのを嫌がるの? 小さい頃はあんなにはしゃいでいたのに。貴方をあやしていたあの頃が懐かしいわ」
「勝手に記憶を捏造するな。そもそも俺が美波と結珠葉と初めて出会ったのは六歳の時なんだから、そんな頃があってたまるか。俺が幼児退行しているみたいじゃないか」
「そんなことより、どうして兄さんは美波姉さんと結珠葉姉さんが来るのを嫌がるの? 嫌いというわけじゃないなら、どうして?」
「サラッと流すな、全く。……二人には、俺や楓に頼らないで自分で生活できるようになってほしいからだ。将来、俺達が手助けできないことのほうが多い。そんな時、自分でなんとかできるようにならないといけない。だから、今のうちに自炊くらいできるようになったほうが良いと思うんだ。別に二人が来るのを嫌がるわけじゃない」
柊夜が、バツが悪そうな顔をしながらそう言うと、三人ともあっけにとられたような顔をして、次にニヤニヤとした笑みを浮かべた。
その表情に、また何かからかわれるな、と思うと、案の定。
「柊夜、やっぱり貴方、ツンデレじゃない。ツンデレというより、人を助けるためにわざと悪役を演じている感じ?」
「柊夜さんが私達のことを考えてくれているというのは分かりましたけど、もう少し素直に言ってくれれば良かったじゃないんですか?」
「兄さん、ツンデレは流行らないよ。ツンデレは負けヒロ……じゃなくて、負けヒーローだよ」
ツンデレツンデレと、隆二をからかっている柊夜にしては珍しくからかわれる側になり、楓からは勝手に負けヒーロー扱いされる始末。
負けヒーローとは何だ? と思うあたり、最近の柊夜は現実逃避が癖になりつつあった。
「俺はツンデレじゃない。でもまぁ、お前達がちゃんと幸せに生きられるなら、悪役でもなんでもやってやろうとは思うが」
一刻も早くこの話題を変えるべく、いつもの鉄壁の真顔でいい話風にまとめると。
「……急に素直になられても」
「……しかも素面で」
「……破壊力が」
三人とも、恥ずかしそうに赤面するのを見て、何かまずいことを言ったかな? と思う柊夜だった。
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