第八話 そっくりな妹
大型二輪に跨りながら、柊夜は家へと帰宅した。
いつもならこの時間帯は主である明日香の護衛として、たとえ自動車での登下校だとしてもその間常に目を光らせておく必要がある。
明日香は何十もの子会社を抱える羽柴グループの一人娘であり、誘拐して身代金を要求しようとする犯罪者がいないわけではない。
勿論運転手はそれなりの手慣れではあるが、魔法が使えるというわけではないのでもし複数人で銃撃されればもしもということはある。
だからこそ、明日香の隣には常に柊夜がいる必要があるのだが、こうして自分が魔物の討伐に駆り出される時は明日香の護衛は免除される。
柊夜としては明日香の身に危険があったらどうするんだと思わなくもないが、それ以上に、羽柴グループを統率する彼女の父親が、娘の信頼する使用人が危険なことをしているということを知ってほしくなかった、という理由があった。
過保護すぎではないか、と柊夜は思っているが、誘拐などという今どきの小説でもなかなかないシチュエーションを想定して護衛しようとする柊夜も大概である。
当然、柊夜は自分が明日香の父親に勝るとも劣らないほど過保護だということには気がついていない。
「この生活にもだいぶ慣れてきたな」
柊夜はどこか感慨深さを覚えながら、一般的な邸宅よりも大きい自宅の扉を開けた。
扉を開け中に入る前に、ふと隣の家――否、豪邸を見る。
途轍もない広さの敷地を囲う門の中心に、城と見紛うほど大きな豪邸がそびえている。
あれが、羽柴明日香が住まう本邸だ。
元々、柊夜はあそこに一昨年まで使用人として住まわせてもらっていたが、魔物の討伐といった魔法の才を生かした仕事は非常に金払いがいいので、いつまでも厚意に甘えてはいけないと、全て自分の収入でこの家を建てたのだ。
柊夜が。
……そう、柊夜が、この家を建てなのだ。
何故なら、柊夜には親がいないから。
父親は物心つくまえに蒸発し、母親は六歳の誕生日の日に死んでいる。
そんな状況でここまで生きてこられたのは、親をふたりとも失ったその日、雪が降った日、明日香に見つけられて命を救われたからだ。
そして明日香の父親、
だから柊夜は、命を救ってくれた明日香のために働いていた。
本来なら柊夜は、魔法の道を志す必要はない。
羽柴家の使用人としての給与は、一般的な公務員よりも遥かに高く、柊夜一人であれば困らないであろう額である。
しかし、柊夜は一人ではない。
妹がいた。
たった一人の、家族である妹。
妹を守るために、そしてもう一つの理由のために、柊夜は紀継のツテで師匠に師事し、魔法を学んだのだ。
「ただいま」
柊夜は、質素な装飾が施された玄関をくぐる。
家の中は基本的に白と黒を基調とした装飾であり、あまり華美なものは置いていない。
「お帰り、兄さん」
そんなリビングの奥にあるキッチンから、家に帰った柊夜を出迎えに一人の少女がやってきた。
「あぁ、楓。帰っていたのか」
楓。
彼女が、柊夜の妹である。
柊夜と同じ艷やかな黒髪のショートヘアに、これまた柊夜と同じ澄んだ桔梗色の瞳。
柊夜と兄弟であると感じさせる可愛いというよりは綺麗、と言いたくなるような顔立ちであまり感情の色が見えないが非常に整っている。
まだ発達途上であるのか身長はそこまで高くないが、体つきはもう既に大人の女性のそれであった。
「兄さん、今日は遅かったね。部活長引いたの?」
「いや、今日はちょっと所用で。本当ならもう少し早く帰っているはずだったんだけどね」
「明日香さんのお父さん絡みの? 兄さんが頑張っているのは知っているけど、危ないことはしていないよね?」
楓に疑うような目を向けられて、柊夜は内心ドキリとしていた。
勿論そんなことは表情に全く出さないが、いつも妹の勘の鋭さには驚かされている。
その疑問は柊夜の身を案じてのものだったので嘘や誤魔化しはなるべくしたくはないが、妹にこの世界の裏の話などしたくはなかったので今は仕方なく嘘をつく。
そのことに、少し胸がチクリと痛んだ。
「あぁ、当然だ。紀継様には、実の父親のようによくしてもらっているからな。それはお前も知っているだろう?」
「……うん、そうだよね」
柊夜が羽柴邸で生活している時、勿論楓もそこで一緒にいたのだが、柊夜はともかく楓は紀継に明日香と同じくらい、それこそ実の娘のように甘やかされていたのでその言葉の信憑性はたしかにある。
少し疑問に思うことはあったが、楓はそれ以上兄への追及をやめた。
「もう、ご飯できているから。手を洗ってきてね。あと着替えたほうがいいよ」
「いつもありがとうな、大体の家事をやらせてしまって」
「いいの。兄さんにはあたしの分までお金を稼いでもらっているんだから、このくらいは自分でやらないとね」
鷹橋家では基本的に楓が家事などを行っている。
料理、洗濯、掃除など、柊夜が家を開けていることが多いので、なるべくしてなったとも言えるのだが任せっぱなしということに柊夜は申し訳なく思っていた。
だが、楓からしてみれば収入を全て柊夜に頼っているので、自分にできる家事くらいは任せて欲しいと思っている。
それに、楓も柊夜のために何かをする、柊夜のために何かができているということ自体がたまらなく嬉しかったので、何も問題はない。
問題はないが、たまには楓も褒めて欲しかったりするので。
「ん」
「どうした?」
「……頭」
「あぁ、はいはい。いつもありがとうな」
ズン、と頭を突き出し、撫でて撫でてとアピールする。
それだけでは人の気持ちの機敏に疎い柊夜に伝わらなかったが、頭と言われてようやく気づき、慣れた手つきで楓の頭を撫でる。
楓は自他共に認めるブラコンだった。
柊夜に負けず劣らずのサラサラな髪質は、柊夜のものと同じかそれ以上であり、撫でられている楓よりも撫でている柊夜の方が気持ちよく感じるほどだ。
その光景は毎度のごとく繰り返されているものであり、見せつけられている人がいたなら口から砂糖を吐き出していたことだろう。
柊夜はシスコン気味だった。
「そういえば、後で二人も来るって。あたしのご飯が食べたいんだって」
「そうか。後で飯代請求しようか」
「いやそこまでしなくても。あたしも人にご飯作るの好きだから別にいいよ。兄さんの収入だって少ないわけじゃないんだし、大丈夫だよ」
「ならいいんだが」
図々しさは隆二並みだな、と思いながら、柊夜は肩を竦めた。
心なしか、楓の頭を撫でる手つきが少し柔らかくなった気がしたのは、いつも彼女が柊夜の幼馴染である二人の世話を焼いているからだろう。
ともあれ、家に来ることを了承してしまったので追い返すわけにもいかず、家主の柊夜は仕方なく二人が飯を食いに来ることを受け入れた。
「じゃあ着替えてくるから、楓は準備を頼むよ」
そう言って柊夜は楓の頭から手を離した。
いつもより時間が短かったからか、楓が不満そうな顔をしているのは柊夜の気のせいではないだろう。
どことなく重い視線を感じながら、柊夜はまだ玄関にいたなと今更ながらに気付き、今までずっと突っ立ったままだということを思い出した。
ソファに楓を座らせればよかったかな、と思いながら、玄関の前にある階段を登ろうとして——一段目に足をかけたタイミングで、キッチンへと戻っていく楓の方を向いた。
「そうだ楓」
キッチンへと戻る楓の顔が不満げなのは頭を撫でる時間が短かったからではなく、別の要因があることに気がついた柊夜は彼女を呼び止めた。
柊夜に声をかけられ、少しばかり期待に満ちた表情をした楓に、柊夜は——。
「エプロン新しくしたんだな。可愛いし、似合っていると思うよ」
ギリギリのタイミングで、楓が欲しがっているであろう言葉を投げかけた。
勿論、最初から気づいていて焦らしていたわけではなく、何か違和感があるな、と思っていたが、キッチンへと向かう後ろ姿を見てようやくそのことに思い至ったのだ。
いつもの青い花柄のものではなく、白を基調とした美しいものとなっていたのだ。
それにより、可愛らしい雰囲気がいつもより神秘的なものになっている。
対する楓といえば。
敬愛する兄にようやく違いを気づいてもらい、そして「似合っている」や「可愛い」と言われいつもの真顔が花のような笑顔へと変わる。
その笑顔は、見慣れていない者が見れば一瞬で虜にされてしまう程に美麗なものだったが。
柊夜は見慣れているので、可愛いなぁという思いしか浮かばない。
だから、周りの男に嫉妬のこもった目で見られるのだろうが。
いつも以上に軽やかな足取りで歩く妹の姿を眺めながら、柊夜は自室へと向かった。
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