第七話 魔物の倒し方
その魔物は、生まれて初めて恐怖していた。
抗うことなどできない、生物の有する原始的な感情、命の危機に対する恐怖をその身で味わっていた。
身体全身の震えが止まらず、後ろを振り向くことさえできない。
いつ殺されるか、そんなことを考えながら、小さな翅をはためかせて全力で空を飛ぶ。
全ては、自分の死へと追いやろうとしているその人間から逃げ切るため。
その魔物は、生まれたときから他のどの生物、魔物よりも強く、賢かった。
数メートルもの巨大な体躯を見ればどんな猛獣だろうが――日本に野生の猛獣はいないので魔物がそれにあたる―――尻尾を巻いて逃げ出していた。
一度吠えるだけで、ワサワサと音を立てながら慌てて自分を避けていく他の動物たちを見て、文字通り王になったような気分だった。
だが、気まぐれに空を飛んでいた時、目の前の巨大な壁を超えてしまってから、その認識もろとも自分の力への絶大な自信が崩れ去った。
自慢の格闘戦は全てヒラリと躱され、全てを焼き焦がすはずの電撃は命中するどころか読み切られて当たる気配すらない。
今まで自分に楯突いてきた愚かな生物達は、どれもこれも例外なく圧倒的な自分の力にひれ伏してきたというのに。
魔物が見た、あの万物を凍らせるような、極寒の世界を内包したかのような冷徹な瞳。
桔梗色の澄んだ瞳は、魔物を路傍の石程度にすら認識していなかった。
このまま戦っていては、必ず自分は殺されてしまうと、魔物は斬り飛ばされた腕を見ながら必死に、あの恐るべき人間から離れようと飛翔する。
生まれながらにして強者で有り続けた魔物のプライドなど、とうに暴風を前にした砂粒のように吹き飛ばされてしまっている。
逃げることに、なんら疑問は抱いていなかった。
あの人間は自分の後を追ってきてはいないかと、魔物が周囲を見渡すと。
自分の眼下に、先程自分を追い詰めた人間と同じような見た目でありながら、その人間とは比べるまでもなく脆弱でなんの力も持っていないであろう集団がいた。
空中で静止しながら、魔物はその人間達の様子を窺う。
数は大体二十ほどで、大きい個体が数名に、小さな個体が十数名ほどで、それぞれ別のグループになって周囲を散策しているようだ――と、魔物は考えた。
自分の存在に気づいておらず、今抱えている鬱憤を晴らすにはちょうどいい。
魔物はそう思い、人間のグループで一番人が多い場所に目星をつけ、そのグループのすぐ前に急降下する。
「みんな、そろそろ――へ? ……きゃぁあああああああああああああああああああ!!」
「せんせー、なんか落ちてきたよ!!」
「これなーに!!」
「だ、だめよ!!みんな逃げて!!早く!!」
魔物が降り立つと、大きい人間――小学校の教師は悲鳴を上げて、ジリジリと後退りをしながら小さい人間に逃げるように指示を出している。
しかし、魔物という存在をまだ深く知らない小さな人間――小学校1年生の子供にとっては、突然空から降って現れた黒い物体でしかない。
それは多くを知らないその年頃にとっては何もかもが興味の対象であり、教師の言う事など訊かずにキラキラキラとした視線を魔物に向けている。
それを理解したのかどうかは定かではないが、魔物は小さな人間が自分に怯えていないということを悟り、その無知さ加減に腹が立った。
それが人間という存在に対する憎しみ故のものなのか、それともこの状況に対してなのかは分からないが、大きく傷ついたプライドを回復させるために、魔物はこの人間の集団を血祭りにあげることに決めた。
「gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」
「ひ、ひぃ……」
「あ、あぁあ………」
「ママー!!」
魔物が発した、周囲を轟かせる咆哮に、子供もようやく自分達が対峙している存在がどれだけ危ないものなのかを理解した。
逃げようとするも、今受けた咆哮を前に、恐怖で腰が抜けて逃げるどころか動くことすらままならない。
「guhahahahahahahaha!!」
その光景に、魔物は少しばかり満たされるような思いだった。
自分は、やはり強者であり、弱者から奪い搾取する存在であると、ボロボロになって逃げ出した直前の記憶からは考えられないようなことを思っていた。
その記憶を忘れたように、一人ずつ裂き殺そうと、鉤爪を振り下ろす。
今はただ、愉しむために。
だから、その愉悦に浸っていたからこそ、超速で割り込んできた存在に気が付かなかった。
カキィィィン、と音がして。
魔物の攻撃が薄青紫色の障壁に弾かれる。
「前にも見た光景だと、そうは思わないか?」
「uk,agosuk!!」
そんな、煽りのような言葉とともに。
(チッ、少し目を離した隙にこれか。こんなザマでは師匠に笑われてしまうな。そもそも、民間人に被害を出すなど言語道断だというのに)
魔物の前に飛び出してきた柊夜は、民間人に被害を出しそうになったという事実に、己の不甲斐なさを噛み締めた。
「早く退避してください。周りの人達も一緒に」
「わ、分かりました。……ほ、ほら、みんな行きましょう!!」
このまま戦えば巻き込んでしまうと、柊夜は後ろで腰を抜かしている保護対象に向かって逃げろと言う。
その言葉で、呆然となっていた女性は我に返り、子供達を引き連れて離れていく。
対して魔物の方は、柊夜が現れたということで、醜い顔を怒りの形相に染めていく。
「enisenisenisenisenisenis!!」
人間では理解できない、言語であるかすら不明の言葉を叫びながら、魔物は力任せに剛腕を振り回していく。
しかしそのどれもを、人間では捉えることができないであろうその攻撃も、ただ周囲に風を巻き起こし砂埃を立てるだけで全て柊夜の特殊警棒に防がれていく。
「随分単調な攻撃だな。お粗末なことだ」
魔物の中にも、智慧を持ち技を持つものも存在する。
しかしそんな存在は極稀であり、柊夜と戦う魔物も、元々粗雑な攻撃であったが怒り故か更に乱雑に磨きがかかっている。
「ハッ!!」
「gugyaoooo!!」
柊夜は、魔物の剛腕を真正面から受け流し、体勢が崩す魔物の腹部に回し蹴りを入れる。
魔物に内蔵があるかどうかは不明だが、ゴキッと音を立てながら魔物は吹き飛ばされて樹木に衝突する。
勿論、蹴り飛ばした方向は柊夜が間一髪で助けた人達が逃げた方向と真逆にしている。
もし蹴り飛ばした魔物がせっかく助けた人達に接触してしまえば本末転倒である。
「adirawoederok!!」
魔物はこのまま戦えば、勝ち目がないと思い、自身が持つ最高火力の技で応戦する。
紫電が両腕に迸り、大気を震わせる。
「eeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeenis!!」
その威容に、柊夜は思わず大きく距離を取ってしまう。
躱すことができたものの、大きく凹み赤熱する地面を見る限りもし直撃すれば命はないだろう。
直撃すればの、話だが。
魔法を扱うものは、まず最初に攻撃性の術式よりも防御に適した術式を習得する。
それはどれだけ強力な魔法を使えても、肉体の性能は魔法を使わなければ一般人より優れている程度なので、ライフル弾を筋肉で弾くようなことなど魔法なしでは一部の人間にしかできない。
だからベクトル反転の術式であったりと様々だが、攻撃よりも防御に念頭を置いた鍛錬をするのだ。
ただ、術式の習得には本人の適性などに左右されるので自分に適した術式の模索には時間がかかる。
だが、時間がかかるといっても数年程度の話であり、自分が魔法を扱えるということを理解するのは六歳であるため、柊夜にとってはもう既に児戯にも等しいものであり、魔物の攻撃などいとも容易く防ぐことができる。
「ezan!!」
だからこそ、紫電を纏った魔物の剛腕も、柊夜はいとも容易く防ぐことができる。
魔物は、自分の奥義すらも防がれたことに驚愕し、再び逃げようと小さな翅を広げる。
だが、そんなことを認める柊夜ではない。
一気に上昇して空高く飛ぶ魔物。
人間は空を飛べないので、空へと逃げるというのは正しい判断なのかもしれないが。
それは普通の人間だったらの話だ。
「逃がすと思うか」
柊夜は、両足に力を込め、空高く飛び上がった魔物めがけて跳躍する。
その高さは、およそ50メートル。
自身にかかる重力を小さくし、周囲の空気を熱することで急激な上昇気流を発生させる。
普通ならたかが上昇気流程度では体が浮くはずもないが、今の柊夜は体重などあってないようなものであり、跳躍と合わせて一気に加速していく。
警棒を上へ突き出し、今も上昇を続ける魔物の中心、『核』を狙う。
魔物には生命の動力となる『核』、人間で言うところの心臓のようなものが存在し、そこを破壊させれば魔物は問答無用で死する。
それが何故かは分かっていないが。
「agyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」
グサッと、体の中心に警棒が突き刺さり、魔物は悲鳴を上げる。
これでもう、魔物の命はじきに絶えることになるが、耳障りな悲鳴がいつまでも続いたため、柊夜はそのまま警棒を振り下ろし真っ二つに両断する。
そして、二つに別れた魔物の身体を両足でそれぞれ一つずつ蹴り落とし、柊夜も少しずつ降下してく。
「はぁ、これで終わったな」
息絶えた魔物の死体の写真を取り、討伐の証拠とする。
これで、播磨から押し付けられた、本当は領外であるはずの仕事は終わった。
携帯端末に目をやれば、既に六時を回ろうとしていた。
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