第六話 人類の脅威
播磨から侵入した魔物の情報を端末に送ってもらい、柊夜は大型二輪に跨り渋滞とは無縁の整備が行き届いた道路を走っていた。
制服のスラックスにシャツというあまり不相応な格好だが、安全第一でヘルメットをしているので身バレの心配はない。
七月の太陽は、真冬と違って午後五時を過ぎても落ちることはない。
二十一世紀初頭は魔物対策のために様々な開発が進められ、地球温暖化が加速したりもしたが、現在は二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガス排出はかなり規制されている。
なので、最近の夏は都市部であっても猛暑日になることは珍しくなっている。
「はぁ、目的地まであと三十分か。間に合いそうだな」
大型二輪に取り付けられた自動車と比べて小さめの画面に表示されたのは、魔物がおそらく向かったであろう街までの予想到着時刻だ。
いくら整備され技術が発達したといっても、法定速度は魔物発生以前とあまり変わらない。
ただ、信号待ちなどが少なくなりよりスムーズに移動できるようになったので、所要時間は短くはなっている。
そうして到着したのは、都市防壁から一番近い街だ。
より魔物に襲撃されやすい位置にあるので廃れていると考えている人も多いが、あまり、というより滅多に魔物が都市防壁を超えることはなく、それらも街に襲来する前に国防軍か交戦課の魔法師が対応するので被害が出ることはない。
森林地帯と隣接しているので、田舎でスローライフを楽しみたいという若者にありがちな衝動のままに越してくる人間も少なくない。
まぁ、田舎と言っても、田んぼがずらりと並びコンビニは街に一軒だけです、みたいな前時代的なものではなく、ただ単に緑が豊かな街なので、その衝動を叶えることができるかどうかは怪しいが。
「ふぅ、何も知らない、というのはある意味幸せだな」
どこにでもある風景を眺めながら、柊夜は何故かため息を付いた。
大型二輪を付近の駐車場――現在の駐車場は駐めていても料金はかからない――に止めて、端末を片手に都市防壁へと向かっていく。
そんな柊夜をよそに、ランドセルを背負った小学生と見受けられる四人のグループが、楽しそうに柊夜の横を駆けていった。
この近くに、魔物が侵入したというのも、知る由もなく。
その後姿を目で追って、自分にもこんな未来があったのだろうかと思ったことは一度や二度ではない。
あの雪の日、どうなっても柊夜の未来はこうなったであろうことは頭では理解している。
だが、もしかしたら自分は、危険を冒さず、何も知らずにのほほんと幸せを享受できたのではないかと考えてしまう。
他に選択肢はあったのではないかと。
それと同時に、きっと自分はあの日母親を失わずともこの路を選択しただろうと思っていた。
ただ意味のない無益な人生を無駄に消費するくらいなら、せめて人の役に立つ仕事をしたい――否、何かをしているという免罪符を手に入れようと思っただろうと。
それがたとえ、誰にも認知されることのない何かであったとしても。
だが、今はもうどうでも良かった。
自分は既に、未来を選択して歩んだからこそここにいる。
自分は明日香の使用人で、祓魔師。
その事実だけで、十分だった。
「人は、いないな」
街から離れ、鬱蒼とした森の近くまで歩いてきた柊夜。
戦うすべを持たない一般人は戦闘の邪魔になるので、近くにいないかしっかりと確認する。
これから魔物を探そうというわけだが、何もこの広大な森林の中を隈なく歩き回るわけでない。
そんなことをしていたら日が暮れるどころか朝が来てしまう。
かといって、別に他の方法で魔物を探すわけでもない。
魔物の本能は、人類の浄化。
つまり、人類をひとり残らず滅ぼすことだ。
なので、柊夜が何もせずとも、魔物は勝手に人間のそばにやってくる。
風が木々の枝葉を揺らし、耳を澄ますとザワザワと音を立てているのが聴こえる。
上を見上げると、陽が傾き始めたがまだ蒼い空に、高積雲が並んでいる。
自然の中ではありふれた光景、しかし、そんなとき彼らはやってくる。
――そう、今のように。
「来たな」
突如、柊夜めがけて黒く大きな物体が降ってきたため、それを柊夜は後ろに飛び退いて躱す。
あたりに土煙が立ち込め視界を大きく遮るが、その真っ黒に濁った体の色は、その土煙の中でもはっきりと捉えることができる。
やがて視界が晴れると、そこにいたのは約三メートルほどの大きな体躯の、西洋の悪魔にも似たような魔物の姿だった。
赤く光る瞳は爛々と輝き、柊夜をまるで親の敵でも見るかのように睨みつける。
申し訳程度に備えられた小さなコウモリのような翅は、折りたたまれ収納されている。
そしてその翅とは対称的な、ゴツゴツと大きく隆起した筋肉。
C級と呼ばれる、魔法師でしか対抗できないとされる魔物と言われても納得できるであろう凶悪な姿だった。
「enhis negnin!!」
その魔物は何かの言語らしき言葉を叫ぶと、数十センチはあるであろうその長い鉤爪のようなもので、柊夜を切り裂かんと飛びかかってくる。
人間を大きく凌駕したスピードの攻撃が、柊夜が避ける前に立っていた地面を抉り、衝撃で小さなクレーターのようなものを作る。
しかし、その魔物は目もくれずにただ一点、柊夜だけを見据え連続で腕を振るう。
無数のクレーターが生まれていくさまを見れば、速さ、力ともに、自然界では生まれようのないものだということが誰でも理解できるだろう。
柊夜は、そのことごとくを回避に専念し、自分からは攻撃を仕掛けない。
それを見た魔物は、自分の猛攻に手も足も出ないと考え、腕に込める力を強くしてちょこまかと逃げ回る矮小な人間に向かって猛追を始める。
下卑た笑い声を上げながら、次第に距離を詰めていく魔物。
あたりに拳が飛び回り、それによって砕かれた様々な破片が飛び散る。
それがまた二次災害を生み、周囲にはもう既に、先程の穏やかな自然の風景の面影すら残っていない。
それを見て柊夜は顔を顰めるが、それでもまだ反撃はしない。
魔物は柊夜の表情を、逃げ回って体力が尽きそうな苦悶からくるものだと思い、ここで決めようと一気に畳み掛ける。
「otakamokoyt!!anuregin!!」
しかし、一向に当たらない自分の攻撃に、そろそろ違和感を覚え始めた魔物。
それに、確実に距離は詰めれている。
なら、何も考えずに、ただ拳をふるい引き裂けばいい。
魔物はそう決断を下し、思考を捨てた。
「このあたりでいいか」
そしてついに、柊夜は足を止めた。
反撃せずに回避に専念していたのは、魔物を市街地からできるだけ遠ざけるためである。
しかし、もう柊夜は動かない。
体力が尽きたのか、それとも何か策をまだ隠しているのか。
しかしどちらにせよ、後ろを振り返った時点で魔物の黒光りする爪は柊夜の眼前までに迫っており、もう遅いと誰もが思っただろう。
魔物も、右腕から繰り出される一撃が、動きを止めた人間の体を粉砕するのを確信した。
――だがそれは、普通の人間だったらの話だ。
どこか不安を覚えたのか、一撃必殺の右腕の一撃に加え、更に連続で左腕を構える。
もし何らかの方法で躱されたとしても、なんの問題もないように。
迫る拳。
その後ろで構えられた左腕。
しかしそのどれもが、柊夜に届くことはなかった。
躱されたのではなく、受け止められたからだ。
薄青紫色に発光する、光の障壁によって。
「anakab!!atikoaginan!!」
その衝撃的な光景に、心なしか魔物の表情が驚愕に染まっているように柊夜には思えた。
魔物にとって必殺を確信したであろう攻撃が、今までチョロチョロと逃げ回っていたようなやつに防がれたのだから無理もないと言えばそうなのだが。
しかし、それで魔物は諦めることなく、その障壁を貫こうと何度も爪を立てる。
そのどれもが、亀裂の一つすら入れることのできない結果に終わったとしても。
「魔法を見るのは初めてか?魔物」
魔法。
この物理現象ではありえない摩訶不思議な光景は、柊夜の魔法によって引き起こされたものだった。
魔法は、
現世の事象を改変するまでの過程は物理に縛られないが、改変して起きる事象そのものは物理現象のため、ファンタジー世界の魔法のような水を作る、つまり無から有を生み出すようなものは使えない。
もっとも、大気中の水蒸気を液化させて収束すれば水を作ったように見えるかもしれないが。
そんな魔法を行使することができる、つまり術式を構築することができれば、それらの人々は魔法師とよばれるのだ。
柊夜の今行使した魔法は、指定した領域内へと侵入しようとするベクトルを反転させる障壁を作り出し、その侵入しようとする力を相殺するものである。
魔物の拳の力がもっと大きければ、事象の設計図に干渉できずに魔法は不発に終わったが、銃弾すら並の魔法師でも防げるのでそれは幻想に過ぎない。
「残念だったな」
「enihsenihs!!」
しかし、魔物は自身の肉体による近接戦闘を諦め、一度後ろに飛び退くと、カパッと大きな口を開いた。
禍々しい口に静電気がたまり、放電によって発生した電撃が柊夜めがけて突き進む。
しかし、常人では視認してから動いては絶対に間に合わない速度の電撃も、来る場所がわかっていれば、躱すことは容易である。
そのため、地面を焼け焦がす電撃も、ただ無駄に打つだけとなっている。
「ianarataezen!!」
その隙に柊夜は距離を詰め、ポケットに入っていた伸縮式の特殊素材でできた黒い警棒を取り出し、魔物の右腕に向かって振り下ろした。
その一撃だけで、警棒はいとも簡単に腕を切り下ろす。
「gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」
あまりの痛みから、魔物はおぞましい悲鳴を上げる。
切断面からは真っ黒な血のようなものが溢れだし、一向に止まる気配がない。
本来は打撃用である警棒で腕を切り落とせたのは、もちろん魔法の効果によるものである。
柊夜が行使したのは、対称を二つに分割するラインに沿って衝撃を与えることにより、そのラインで対称を切断する魔法、
そのラインから対称を分割したときの面に、ラインに与えられた衝撃に比例して圧力つまり分力を増幅し、まるで割けるように対称が二つに分かれていくのだ。
ライフルですら通用しない鋼の肉体を持った魔物を、警棒でさえ切断できるのだから、これがもし刀のような刃物だったら更に威力が高まるだろう。
当然、誰もがこの威力になるわけではなく、ひよっこの魔法師では傷一つつけることはできない。
この結果は、柊夜が研鑽を積んできたからに他ならない。
「もう終わりだな」
柊夜は、まるで汚物を見つめるかのような、冷酷で冷たい瞳を魔物に向ける。
それを見たら、彼と親しい人でさえ腰を抜かしてしまいそうな、そんな迫力があった。
それでもその姿は、彼の整った容姿と相まって、恐怖をもたらす一種の美しさを醸し出していた。
その恐ろしさから、魔物は逃げ出した。
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