プロローグ いつかまた、この場所で
「ねぇ柊夜くん。どうしてわたあめはこんなにもふわふわになるの? それに、なんか砂糖を食べているみたいに甘いし」
「流石ですね、明日香様。明日香様の言う通り、わたあめは砂糖を材料にできているんですよ。特にザラメをよく使うというらしいですし……って、ふわふわの理由でしたね」
「うん、砂糖って硬いし、どうしてこんなふわふわになるの?」
「わたあめは、砂糖を熱で溶かして、溶かしたものを高速で回転する釜に入れるんです。釜には穴が空いていて、溶かした砂糖がそこから糸みたいになってシュルーって出てくるんですが、溶けた砂糖はそこで冷えて固まるんです。固まったことで、棒でかき集めることができて、こんな感じにふわふわになるんですよ。この糸の一本一本は柔らかいというわけではないですけどね」
少女の問いに、小学生とは思えないほど丁寧に、かつ分かりやすく説明する少年。
あまりにも七歳児とかけ離れた受け答えなので普通の人が訊いたら驚嘆するだろうが、少女にとってはいつものことなのでただ感心したように頷いている。
「柊夜くんは何でも知っているね。すごいよ」
「いえ、そんなことはないです。明日香様のお供をする、と小耳に挟んだので、好奇心旺盛な明日香様のことですから、色々訊かれるのではないかと思い事前に調べてきたんですよ。おかげで、また見聞を広めることができました」
「そうだったんだ。……私のために。ふふふ」
「どうしたんですか?」
「ううん!! 何でもないの!! 気にしないで」
「はぁ」
何故か急に少女の機嫌がよくなり、歩調は軽やかに、スキップでもしそうな雰囲気になったので、少年は戸惑いながら後をついていく。
どうしてかは分からなかったが、「最近こうなることが増えてきたな」と少年は現実逃避気味に取り敢えず頭の隅に追いやった。
ただ、少女が楽しそうにしていると自分も少し嬉しくなってしまうので、彼女が楽しそうならまぁいいかと思考を放棄した。
「ねぇ柊夜くん、わたあめ、一口ちょーだい?私のもあげるから」
「いいですよ。どうぞ」
「ありがとう。……ん、美味しいね。はい、私の」
「ありがとうございます。……これもなかなかいいですね」
「そうでしょう」
お互いに、“食べかけ”のわたあめを差し出し、それぞれ一口ずつパクっと、少女は大胆に、少年は控えめに食べた。
もはや、それは主従を超えたような関係になっているようだと誰もが思うだろうが、二人は子供であり、そういったことをまだ良く理解していなかった。
しかし、二人は良くても、周囲の人間の全てが「あら可愛らしいこと」となるわけではない。
むしろ、彼氏彼女を持たない独り身の人達が、ッキィーっと言いそうなほど嫉妬に荒れ狂った視線を二人に向けていた。
だが、それは一部の人間であり殆どが微笑ましいものを見るような目をしていた。
流石に幼い子供にきつい視線をぶつけるのは自重したようだ。
「ねぇ柊夜くん。私達のこと見ている人多くない?」
「確かにそんな気もしますが、きっと気の所為でしょう」
「うーん、柊夜くんがそう言うなら、そうなんだね」
祭りという人が密集する空間にいたからか、少女はいつもより視線を向けられているような気がしていた。
いや、少女は常に周囲の視線を根こそぎ集めているが、それが平常運転なのでいつもは大して気にしていたりはしない。
ただ今日は、人の数が多かったからか、人の視線に鈍い少女でも何かおかしい気がする、と気がついたのだ。
少年からしてみれば、「気づくの今なんだ」ととことん鈍い少女にため息を付きたくなるのだが、まだ幼い少女に羨望や煩悩、嫉妬に満ちていたりする視線が向けられていると言った日には、トラウマになりそうな気がしたので、気の所為と誤魔化すことにした。
少女は少女で、少年のことを信頼していたし、どっぷり頼り切っているので、おかしいなと思いつつも彼の言う通り気の所為にすることにした。
「でも、柊夜くんの方を見ている人はいっぱいいるよ?大人の女の人とか」
「……気の所為でしょう」
「……でも、何か猛獣みたいなギラリとした視線が柊夜くんに集まっている気がするんだけど」
「……気の所為、ですよね?」
自分の視線には疎いものの、他人の、とりわけ少年に関することにはめっぽう鋭い少女に、少年はもう少しそれを自分のことに活かしてほしいと切に願った。
「柊夜くん、花火まであとどのくらいかな?」
様々な屋台をめぐり、既に日が沈みきった午後八時のこと。
少女は、待ちきれないとソワソワしながら、少年に花火までの残り時間を訪ねた。
先程からしきりに時刻を訊いてくるあたり、よほど楽しみにしているのだろうと、少年は他人事のように思った。
もっとも、少女以上に少年も花火というものを楽しみにしているので人のことは言えないのだが。
「そうですね、後三十分くらいですね」
「うーん、後ちょっとだね。じゃあ、もう少し屋台を見て回ろうよ」
「あー。すみません、もう屋台巡りは無理なんです」
この夏祭りは、一日では全ての屋台どころか半分も制覇できないくらいの数の屋台が出ている。
花火のときには屋台は店じまいをしてしまうので時間ギリギリまで屋台を回っていたいという少女の心情を少年はよく理解できたが、今回はそうは行かない理由はあった。
「……え? どうして?」
「花火を見る場所で、おそらく一番綺麗に見える場所があるんですよ。そこに行くのに少し時間がかかってしまうので、今から行かないと間に合わないんです」
花火は、円状になっている屋台の通りの中心にある、専用の花火を打ち上げるためだけに用意された場所があり、そこで打ち上げられている。
その打ち上げ場所から少し距離を取ったところに花火を見るためだけの鑑賞エリアがあるのだが、少年はそこではなく、下見の際に偶然見つけた、おそらく一番綺麗に見えるであろう場所で花火を見ようとしているのだ。
その場所に行くのは普通の子供の足では数十分ほどかかるので、今から行こうというわけだ。
「分かった。じゃあ早く行こう!!」
「……はい。道案内は任せてください」
少年は、そんな場所があるのかと疑われるのではないかと思っていた。
この祭りが始まってからもう既に十数年が経過しているのに、何十万人が参加するこの祭りの醍醐味と言える花火を一番綺麗に見える場所を子供が見つけるわけがないと。
だが少女は、少年のことを誰よりも信頼していた。
少年の心配は杞憂だったと言えるだろう。
二人は手を繋ぎながら、屋台が並ぶ通りから外れ、誰もいない山へと通じる道を歩く。
所々に街灯が並んでいるが、あまり人の手が入っていないようで完全に錆びついていた、
その灯りは真っ暗な山道を照らすには心許なく、まるで幽霊のような、この世のものではない何かが突然現れそうに思えるほどの暗がりが辺りを支配していた。
少年の手を握る少女の手が、いつもより強張る。
まだ二桁にもなっていない歳の少女に、同じ歳の少年と、こんな暗い山の夜道を歩けと言われたら、誰であろうと必然的にそうなってしまう。
だから決して、そのことを誰かに咎められはしないだろう。
少年も、少女に声をかけたりしない。
ここを通ろうと持ちかけたのは少年であるため、「大丈夫?」などという心配するような言葉は、ここまで何も言わずについてきてくれた少女の心意気を軽んじるものだと分かっていたからだ。
ただ今は、ぎゅっと握ってくる少女の手を、優しく握り返すだけだ。
「後、どれくらい?」
「もう少しです。辛くなってきたら言ってください。おぶっていきますから」
「ううん、まだ大丈夫だよ」
山道は緩やかではない傾斜のの階段が続いており、まだ幼い少女では普通は体力がもたない。
それも、先程まで屋台をたくさん巡った後であるため既に大半を消費しているのに加えて、いつ着くのか分からない緊張状態も相まって少女の体力はどんどん削られている。
それでも気丈に振る舞うのは、少年に心配させたくないからである。
自分のためにしてくれているのだから、と。
「あっ」
だが、それももう限界だった。
足元もおぼつかなくなってきた少女は、階段に足をかけて後ろに転びそうになってしまう。
「っと。やっぱり、俺がおんぶしていきます。捕まってください」
「うん。……ありがとう」
すんでのとことで転び落ちそうになる彼女の手を引き抱き止めた少年は、やはり自分がおぶって行った方がいいと背中を向ける。
少女は少し恥ずかしかったが、これ以上少年に迷惑をかけたくないにで素直に少年の背中に掴まる。
まだ幼い彼らの背丈はそう変わらないはずだが、少年はまるで少女の重さを感じていないかのようにふらつくことなく進んでいく。
そのことに妙な安心感を覚え、少年の背中の暖かさに少女は浸っていた。
そして十数分程経った頃。
「着きましたよ、明日香様。降ろしますね」
「うん、ありがとう。大変だったよね?」
「いえ、全然大丈夫です」
「ここは?」
「見ての通り神社です。魔物が発生して以降、誰も管理しなくなったのかそのまま放置されているみたいですね。ここに通じる道が、非常にわかりづらいのが原因のようです」
少年の言う通り、階段を登りきった二人が目にしたのは、神社だった。
赤い鳥居と、小さな本殿からなる、今や誰も訪れることのない小さな神社。
どこか古臭いが、今まで通ってきた山道と違い不気味な雰囲気はない。
そう感じた少女は、それがなぜだかよくわからなかった。
「柊夜くんは神社を見せたかったの?」
「いえ、目的は神社ではなく、あっちです」
少年が指差したには、神社の端の、柵が並びベンチが置いてある一角。
どういうことなのだろうと少女が柵に近づくと。
——パァーーーーーーン
「わぁあああ!! すごいよ、柊夜くん!!」
その瞬間を待ち侘びていたように、柵の向こうから、大きく無数の花が咲いた。
光り輝き、様々な色、形をした、炎の花が。
「ここから見ると、屋台の光が円となっていて、そこの中心から花火が上がる様子を見ることが出来るんです。どうですか?」
「うん、凄い綺麗だよ!! 」
「良かったです。立っているのも何ですし、ベンチに座りましょう」
少年に促され、二人は揃ってくっつきながら腰を下ろした。
丁度その高さが一番綺麗に望める位置であり、そこから眺める大きく儚い花々は、幻想的で、次々と咲かせていく時間は永遠に続くのではないかと二人は思った。
雲一つない夜空に輝くどんな星々よりも煌めく光は、真っ暗な夜の中で手を繋ぐ二人を鮮やかに照らす。
二人はその花々を静かに眺めた。
そして、最後に打ち上げられた一番大きな花が咲いた。
花が散り、やがて消えた後、どこか心地いい静けさが広がった。
「終わったね」
「そうですね」
「じゃあ、帰ろう?」
「いえ、まだ最後に一つ、残っています」
何が、という問いを少女が発する前に、その答えが夏の夜空を駆け抜けた。
星が瞬く夜空を、燃え尽きる最後まで流れゆく小さな命。
「流星群?」
「えぇ、この時期になると毎年見ることができます。この祭りは、この流星群に併せて開催されるみたいですね」
先程の花火とたった一つ同じところである、僅かな寿命と引き換えにたくさんの人々を照らす輝きが、二人を包み込む。
「ねぇ、柊夜くん。きっと毎年、この祭に行けるわけじゃないと思うけど」
「はい」
「もしいつかまた、もう一度この祭りに行ける時が来たら」
「はい」
「また二人で一緒に、ここに来ようね」
「えぇ、約束です」
今までで一番大きな流星が、二人の頭上を流れた。
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