第一章 流れ星の約束

プロローグ 夏の記憶

 西暦2045年 8月12日 土曜日


 日が沈みかける夕暮れの頃。

 雲ひとつ無い空は茜色に染まり、赤く燃え盛る太陽は、今日一日の締めどきと言わんばかりに輝きを放っている。

 

 いつもは、人など無きに等しいほど寂れた田園風景。 

 見渡す限り緑が続くその風景は、今日だけ、普段とは打って変わって都市の中心のごとく賑わいを見せていた。


 当然、それには理由がある。

 半径二キロに渡って円状にずらりと並んだ、一世代前の夏によく見かけた屋台。

 等間隔に並んだ電柱や街頭に吊るされた、古風な赤と白のスロライプの提灯。

 田舎にしては、やけに広い道路を歩く、浴衣姿の人々。


 この場所は、今日一日だけ。

 東京のみならず全国各地から様々な人々がやってくる、魔物の発生により多くが消滅した今では、日本一大きな夏祭りだった。


 名前はなく、ただ『夏祭り』とだけ通っている。


 この田舎の風景も、綺麗な円に十文字を重ねたように整備されている幅広い道も、今日この日のために、ただ夏祭りをするためだけに用意されたものだった。

 魔物という脅威に国の予算を削られてる今、こんな無駄なことをしている暇はないかと思うかもしれないが、実はこの夏祭りを主導しているのは国家、つまり政府だった。


 地域自治体ならまだしも、政府が本腰を入れてこんな大規模な、予算も莫大にかかる夏祭りを行うのは、一般常識的に考えたらおかしい。

 実際、こんなことをしているのは世界でも日本だけだ。

 確かに、他の国でも祭りという概念はまだなくなっていないが、その殆どが伝統だけを守った規模を縮小したものであり、今まで通りの規模で開催したものはない。

 今や、国は娯楽どころか眼の前の脅威に手一杯なのだから当然である。


 だが、日本は違った。


 日本は、世界の国の中でも最も魔物の被害が少ない国だ。

 魔物対策の制度はもう既に完成されていると言っても過言ではなかったし、その分の他の国にはない様々な余裕を文化の向上に費やすことができた。


 そしてそれを示すことで、他国への牽制や威圧を行うことができる。

 それは、「俺達に歯向かうとどうなるか分かってんのかぁ?」でだったり、「俺達の言う事訊いてたら悪い目には合わせんよ?」だったりと受け取り方は様々だが、少なくとも反抗する国はない。

 それもそうだ、こんな莫大な予算をかけた祭り娯楽をわざわざ他国を招いてまで行う国に、逆らうなんて気は起きるはずがない。

 一部の国はまだ存続の危機に陥っているのにもかかわらず、それだどうしたと言わんばかりのその催しは、多くの国を畏怖させるのには十分だった。


 それはそうとして。


 たくさんの人々が笑顔を弾けさせながら行き交う道の中で、一際周囲の注目を集めている二人の子供が手を繋ぎながら歩いていた。


 右側を歩く少年は、まだ小学校低学年であろう幼さが目立つものの、冷たく怜悧な美貌を持っていた。

 艷やかで癖のない黒髪に、透き通った桔梗色の瞳は、将来どんなアイドルにも劣らない美男子へと成長することが予想できる。


 左側を歩く少女は、少年の容姿とは対称的に、小さい年代特有の柔らかい天使のような美貌を持っていた。

 長く伸びた白銀の髪は枝毛一つ無くサラサラに輝き、金色の瞳は全ての人の目を惹きつけてやまない。

 精緻な人形のように完成された美しい顔立ちは、まるで神が自ら造り上げたかのように不自然なほどに整っている。


 少年は黒いシンプルな浴衣、少女は奥ゆかしさを感じられる花柄の浴衣を着ており、それも相まってどこか現実離れした光景だった。


 そんな二人が並んで歩いていたのだから、当然一度は振り向いてしまう。

 大人は、微笑ましいものを見守るような表情になり、二人と近い年代の子供は自分の異性の方を見て頬を赤く染めている。


 中にはカメラを持ったおじさんも現れるのだが……シャッターを切る前に、黒いスーツを着たグラサンの見るからにヤバい奴に連行されていった。

 おじさんがその後どうなったかは、誰も知らない。


「柊夜くん、わたあめ買いに行こう?」

「分かりました。地図を見ると、この先にあるみたいなので、ゆっくり行きましょう」


 二人は傍から見れば仲のいい小学生にしか見えないが、会話の端々から、どこか少年が少女に恭しく接しているということが分かる。

 まだ年端も行かないのにもかかわらず、少女に対して敬語を使っていることからもそれは明らかだろう。


 しかし、少女の方はそれに何の疑問を持っている様子はなく、むしろ少女の方が少年との距離を詰めているようにも見受けられた。

 それを見て、周囲の恋人を持たない人が舌打ちをした。

 破滅しろ!! と願うのは無理もない。


 ギュッと手を握りながら、少女は少年の進まままに身を任せる。

 手を繋いでいるのは少女の意思によるもので少年はあまり乗り気ではなかったが、「はぐれたら大変だよ!!」という少女の言葉を尊重したのだ。

 ただ、二人の容姿が突き抜けすぎていることで、周囲の人は自然と避けているのであまりはぐれないために手を繋ぐ意味はなかったが。


「明日香様、わたあめのサイズと味はどうしますか?」

「うーん、柊夜くんはどうしたらいいと思う?私はこういうの初めてだから、よく分からないの」

「そうですね、これからまだ色々買って食べることを想定したら、サイズは小さめのものがいいですね。味は好きなものを選んでいいですよ」

「でも、『こいつ、分かってねぇな。わたあめと言えば、ぶどう味じゃなくてりんご味が王道だろ』みたいな感じに思われないかな?」

「いえ、そんなことはないですよ……ふふっ」

「むぅ、柊夜くん笑わないでよ。……あははっ」


 まるでラーメン屋で注文された品を不満に思う店主みたいなことを言い出した少女に、少年は堪えきれずに笑みをこぼした。

 いつもは仏頂面の少年には少し珍しいことであったので、文句を垂れるも少女は自分まで面白くなって笑い出す。


 それは二人を見慣れていない人からしてみればあまりにも尊いもので……耐性がなければ鼻血を出しながら尊死してしまいそうなものであった。

 それは夏祭りに来ていた人も例外ではなく、その場にいた全ての人が、あまりの尊さに魂が抜けたようにぼうっと二人の姿を眺めていた。


 少年は自分達が注目の的になっていることに気がついてはいるが、見られたところでそれがどうしたと思っていたり、少女がそれに気がついていないということもあって威圧行為は自重した。

 ただ、少女を変態的な目で見ていた小さい女の子が好きだと見受けられるおじさんは当然見逃すわけもなく、視線で黒スーツに指示を出して連行させていった。

 きっとそのおじさんには、地獄すらも生ぬるい悲劇が待ち受けていることだろう。


「じゃあ、明日香様はぶどう味でいいですね? サイズはSでいいでしょうか?」

「うん、流石に私も、あんなに大きなのは食べられないからね」


 そう言って、少女は小さなお腹をポンポンと叩く。

 その行為は年相応の子供っぽいものだったが、少年からしてみれば、いつもは年齢詐称しているんじゃないかと思えるほど淑女然とした立ち振舞をしているので、少しばかり意外な姿だった。

 

(いつもお家柄上締め付けられた生活をしているから、今日みたいな日ははしゃいでしまうんだろうな)


 などと、少女のことを言えないほど精神的に習熟した、最近の若者以上に達観した面持ちを見せる少年は思った。

 勿論、少年としては普段の自分を殺した少女の姿よりは、己を外へ曝け出して楽しんでいる今の姿のほうが断然好ましかったので、存分にはしゃいでもらうつもりでもある。


「すみません」

「おう!! いらっしゃ……い」

「わたあめ、サイズはS、味はぶどうといちごで」

「……あ、あぁ。Sで、ぶどうといちごね!!合計で七百円だよ」


 何を選ぶか決まったので、ササーッと避けていく人の群れの通り抜け、わたあめの屋台まで少女の手を引きながらやってきた少年は、全く子供らしくない大人びた口調でガタイのいいおっさん店主に注文する。

 店主は突然やってきた保護者を連れていない子供の来訪、それも一生お目にかかれないような程に容姿の整った少年少女に思わず瞠目し次に呆けてしまうが、屋台の主人としてなんとか言葉を紡ぎ出した。


「なぁ坊っちゃん、お嬢ちゃん。お父さんやお母さんは一緒にいないのかい? 二人だけだと危ないんじゃないのかい?」


 注文されたわたあめを袋に詰めながら、店主はもっともなことを口にした。

 見るからに育つの良さそうな雰囲気を醸し出しているのだから、きっとその二人の親は子供だけで夜に外出など認めないのではないかと思ったのだ。

 確かに、少年はともかく少女は育ちがいいなんてものじゃない、途轍もないほど上流階級の人間だが、その心配は皆無と言ってよかった。

 

 なにせ――


「大丈夫。柊夜くんが私のこと守ってくれるから!!」

「いやでも、子供だけだとやっぱり危ないこともあるから――」

「大丈夫。この間中学生か高校生くらいの不良? っぽい人たちを一方的にのしていたから!!」

「……」


 少年の戦闘力は、少年の粋を超えていたのだから。

 そこらへんの大人程度なら、簡単にねじ伏せることができる少年にとって、身の危険の心配など杞憂というものであった。

 大丈夫の後に続いた少女の言葉に、店主は思わず絶句してしまう。

 そして、少女が何の感慨もなくその言葉を発したことに恐怖を覚えた。


「はわ、美味しそう……!!」

「歩きながら食べてもいですけど、周りに注意してくださいね」

「もう、分かってるよ。子供じゃないんだから」

「いや、俺達はまだ世間一般的に子供真っ只中の年齢ですが」


 そんな店主の気持ちなど知る由もなく。

 少年と少女は仲睦まじげに手を繋ぎ、空いた手で渡されたわたあめを持ちながら歩いていった。

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