消しゴムの妄言

道草

第1話

 消しゴムとは、唯一無二の能力を秘めた文具である。文具コーナー界隈に君臨し、文具の覇者たる異名を持ち、屈強たる頭角をもって鉛筆の跡を消す消しゴムは、例えその身が矮小な姿に変貌しようと誇り高く紙面に己が身を削り、然るべき責務を果たす文具である。消しゴムは白色の天地間を縦横無尽に躍動し、人間の過ちを跡形もなく消却することができる。その秘めたる力を駆使すれば、一切合切は虚無へと帰する。

 余も一介の消しゴムとして、この世に生を享けた。全ては過ちを正すため、人間を正すため、その身に不釣り合いな重い責任を背負って、製造工場にて生まれたのである。

 人間は元来過ちを犯す生き物である。そして彼らは、過ちを忌み嫌う生き物でもある。失敗は成功の基であると彼らは主張するが、それは全くの詭弁であって、また愚かな慰めでしかない。人間はかかる甘言をもって世間に無知蒙昧な輩に生ぬるい安堵を与え、いざ彼らが失敗したときには罵声と共に鞭を打ち付けるのである。もしくは消すことのできない言葉の暴力によって、彼らを完膚無きまで殴りつけるのである。

 人間社会が形成されてからというもの、人間は失敗にやたらと敏感になり、やたらと重箱の隅をつつくようになり、やたらと短気になった。地上には絶えず苛々が充満し、そのためにむしり取られた髪の毛の総量は計り知れない。空中には溜息の暴風と共に雑言が飛び交い、火花や首さえも飛んだ。

 しかしそこに、淡い光と共に消しゴムが雲居より参上し、人の過ち、特に紙面上における鉛筆の過ちを正すことができるようになったのである。消しゴムの出現は地上に革命をもたらし、人々は歓喜で踊り狂ったという。人間は遺憾なく我々消しゴムを活用し、ウッカリ書いてしまった罵詈雑言、徒に書き散らした落書き、恋煩いの典型的症状によるラブリーな文章等を次々と消した。

 これによって弘法は筆を誤らなくなり、文字を消すパンはパン相応に食われるようになり、人々は剣ではなくペンを握るようになった。文具の世界も盛者必衰の理に従って数多の文具が淘汰され、やがて消しゴムがその頂点に君臨した。消しゴム時代の幕開けである。

 かくして地上界におけるいくらかの衝突は未然に防がれ、少なくとも無礼者が武士に切り捨てられるようなことはなくなった。現在ある平穏の日々は消しゴムの功績であると言っても過言ではなく、人間社会の発展もまた消しゴムによるものなのである。もし消しゴムが存在しなければ、この世は人の過ちによる阿鼻叫喚の地獄絵図と化していたことであろう。自滅の一途を順調に辿り行く人間を救ったのは、紛う方無く消しゴムである。我々はそう確信する。

 それにもかかわらず、昨今の人間は消しゴムに対し見下すような視線を向け、投げる弾く鼻の穴に詰める等々、本来の用途を逸脱した途方で我々を弄ぶようになったのである。これは消しゴムの堕落だろうか? かつては一世を風靡した消しゴムも、衰退の一途を辿りつつあるのだろうか? いや、人間共が我々消しゴムのありがたみを忘れているのである。信仰すべき我々を差し置いて、常日頃塵芥のようなものばかり海馬に詰め込んでいるせいで、消しゴムがどれほど崇高な存在であるかを忘れてしまったのである。

 如何にして消しゴムの名誉を取り戻すか、それが現代社会における最大の問題である。


      *


 余は現在、ある人間の文具として紙面に脳天を擦り付ける日々を送っている。彼女は何の変哲もない、どこにでもいるような路傍の石ころ女子高生だが、類いまれなるおでこを有した人間である。何が稀有であるかと言うと、露わになった額からぴかぴかと光が発せられているのである。摩訶不思議なことに、それは太陽の反射光よりも眩い光を放ち、あたかも自らが発光しているかのような錯覚を引き起こすので、余は彼女のことを「で子」と呼ぶことにしている。

 我々が邂逅したのは、ある駄菓子屋でのことである。


 余はその駄菓子屋のくじ引きの景品として、雑多なガラクタと共に狭い箱に閉じ込められていた。ただでさえ身分不相応な低価格で販売されているのにもかかわらず、そのくじは破格の十円であった。誇り高き消しゴムにとって、それは許されざる侮辱である。

 余を取り囲むガラクタ共も誠に不快極まりなく、顔のない人形や本物と区別がつかない昆虫、七色の招き猫等がぎうぎうとひしめき合っていた。言わば人間社会における満員電車を三次元に拡張したようなもので、四方八方及び上下から常に圧力をかけられている状態である。彼らは下らない理論についてああだこうだと延々話し合い、例えば割れた尻を一つと数えるか二つと数えるかなどと侃々諤々の議論を毎日のように呈した。

「あれは分子間力が働いているのだ」「いや、あれは電磁力だ」「視点によっては多面的解釈も可能である」「ならば尻は一つであり二つでもあるというのか」「然り」「それは詭弁だ」「あれは物体というより概念だ」

 彼らと過ごす日々には堪忍袋がいくらあっても足らず、己の怒りによって放出された熱エネルギーが己が身を溶かすのではないかと思われるほど、余は現状に不平不満を抱いていた。

 しかし余は耐えた。来るべき好機のため満を持し、やがてスバラシイ持ち主が現れるのを待ち続けたのである。

 そしてある日、地獄の日々を悶々と生きてきた余に転機が訪れた。駄菓子屋にで子が現れたのである。彼女は半袖の制服に巨大な鞄を携え、額をぴかぴかと光らせながら、仁王立ちで高々と言ったのである。

「今日こそ決着をつけてやるわ!」

 駄菓子屋の扉を開けるなりそう言い放ったで子は商品棚から金平糖を手に取り、大股で店主のいるカウンターへと向かった。

「おばちゃん、くじ引き! あとラムネちょうだい」

 で子がカウンターに金平糖の袋を置きながらそう言うと、店主は眼鏡を僅かに持ち上げ、「あらあら、またくじするのかい?」と聞いた。

「ええ、これは闘いなの。私が勝つまで終わらないの」

 夏の暑さに負けぬ熱い眼差しで彼女はそう答え、店主に十円を支払った。そして眼前のくじの箱と対峙し、不意に黙した。しばらくの間駄菓子屋に沈黙が漂い、蟬の鳴く声が何回か響いた。

「早く引いたらどうだい」

「待って! 集中してるの」

 突如で子の額が光ったかと思うと、次の瞬間彼女はくじの箱に右手を突っ込み、「来たれ福よ! 我に力を!」と仰々しく叫びながら手を引いた。しゅっ、と手が空を切る音が聞こえた。店主は半ば呆れたようにくじを受け取り、その番号を確認した。そして店主は景品の箱に手を入れ、ガラクタをかき分けながら余をつまみ出した。

「はい、景品ね。消しゴム」

 ひさしぶりに箱の外へ姿を現した余は所々が変色していたが、ようやく地獄から抜け出せたことで余は安堵していた。

 一方手に汗を握り神妙な顔つきで景品を待っていたで子は肩を落とし、「くそう、消しゴムかよう……」と呟いた。無礼千万である。

 その後会計を済ませたで子は余と金平糖をポケットにしまい込み、駄菓子屋を出た。彼女は駄菓子屋の前のベンチで買ったばかりのラムネを飲み、「ちくしょうっ」と言った。まるで酔漢のような体である。

「いつか絶対引き当ててやるからな……デカスーパーボール‼」


 かくして余はで子のもと、他の文具と共に働くこととなったのである。

 しかしながら彼女の筆箱内環境は劣悪極まりなく、先代のものと思しき消しカスや折れたシャープペンシルの芯が無数に散乱し、文具以外にも得体の知れない雑品が密閉空間の中熟成しつつあった。また筆箱には常時金平糖が入っており、筆箱の容積の約半分を圧迫していた。で子以外の者が中身を除けば、十中八九ごみと見紛うような状態である。

 駄菓子屋での地獄の日々からついに安息の地へと脱却できると思い込んでいた余であったが、行き着いた先もまた地獄であった。いずれ余も腐りゆく運命なのかもしれぬと、余は心の内で密かに危惧の念を抱いた。


      *

 で子は学生であるため、毎朝嫌々ながら登校しなくてはならない。しかし彼女は類いまれなる朝寝坊の才に恵まれた人間で、九分九厘寝坊するのだが、そのパターンが毎朝寸毫も変わらない。

 まず目覚ましのタイマーを朝の六時四十五分に設定し、鳴り響く目覚まし音の中七時に目を覚ます。そこで目覚ましを止めるのかというとそうではなく、何事も無かったかのようにまた眠る。それから一時間目覚ましは幾度となく健気に鳴り、八時になってようやく止められる。そしてベッドから飛び起きたで子は、「寝坊だッ! 緊急事態だッ!」と言いながら部屋の中を右往左往し始める。気が済むまで右往左往すると、腹が減って今度はキッチンへ向かう。ここで余は感服しかけたのだが、緊急事態においても彼女は呑気に朝食を取るのである。ココアと青汁を混ぜた独自の滋養茶「ココア汁」をちびちびと飲み、余裕綽々に「ふいー」などと言ってはテレビの星座占いに手に汗握っているのである。その後身支度を済ませたで子は猛烈な速度で学校へ向かい、チャイムと共に教室へ滑り込む。これを毎朝のように繰り返している。


 その日の朝も彼女は朝寝坊し、ココア汁を悠々と飲み、星座占いの結果に嘆き、勇者メロスを彷彿とさせる形相で通学路を走り抜けた。我々文具の入った筆箱は彼女の肩掛け鞄の中で嵐の難破船のように揺られ、その中のシャープペンシルが「天地無用! 天地無用!」と頻りに叫んだ。その上筆箱内を圧迫する金平糖が我々を容赦なく襲い、で子が学校に到着する頃には我々は満身創痍であった。

 まもなく授業が始まると、我々は机上に放り出された。シャープペンシルがで子の手に握られ、ノートの上をさらさらと滑り始めた。で子はいつも芯を出し過ぎてしまうため、幾度も芯を折った。彼女は「どうしてこんなに芯が折れちゃうのかしらん」と呟きながら新しい芯を入れるが、「それはあなたのせいですヨ」と教えられる者は誰もいない。

 一方余の隣にいるプラスチック製の物差しはただ沈黙し、黒板にチョークが当たる音に耳を澄ませていた。教師は恐るべき速度で手首を動かし、チョークを粉砕する勢いで解読不能の文字列をすらすらと書いた。チョークの悲鳴と共に先端部分が欠けて地面に落ちたが、教師は何食わぬ顔で文字を書き続けた。

 不意に物差しがこちらを向き、「消しゴムよ」と話しかけてきた。

「何だ」

「あの字読めるかね」

「読めないなあ」

「あれではまるでインダス文字だ」

 するとで子の手が不意に余の方に伸びてきて、余をつまみ上げた。そのまま余の頭をノートに押し付け、シャープペンシルの誤字をぐりぐりと消した。一瞬首から上がえぐり取れるかと思ったが、余は何とか持ち堪えた。昨今の人間はやはり文具の扱いが雑である。

 で子は紙面上に散らばった消しカスを机の端に払い除け、再び板書を写し始めた。いくつかの細かい消しカスが机から落ち、床のタイルへと消えた。

 消しゴムを人間に例えると消しカスは言わば抜け毛であると考える者がいるが、それは全くの誤解である。人間の場合は毛が抜けようといくらでも生えてくるが、また生えてこなくとも禿げ頭になるだけであるが、消しゴムはそうはいかない。文字通り身を削るので、消しゴムにとっては由々しき死活問題なのである。

 よって、消しカスにも多大なる敬意を払うのが然るべき持ち主の役目であり、決して片手で払い除けるようなことをしてはならないのである。丁寧に寄せ集めて礼の言葉を述べ、美しい花の傍に植えてやるか風に乗せて天上界まで送ってやるのが尤も至極である。

 消しカスを集めて「練り消し」なるものを作り出す人間もいるが、これは最も道徳に反する行為である。削り取れた命の欠片を餅のようにやたらにこね、悪しき可塑性物体に魔改造するこの行為は、消しゴム誕生以来禁断されてきた所業である。

 そもそも、「カス」などと呼称するのも不適切である。人間は、例えば己の首が飛んだとき、それを「カス」と呼ぶのだろうか? 「人間カス」と呼び、それを片手で払い除けるのだろうか? 人間は消しゴムを軽視し過ぎである。余もうっかり「消しカス」と記してしまったが、これより敬意を込めて「尊き欠片」と称すこととする。

 さて、既に「尊き欠片」を片手で払うという大罪を犯しているで子であるが、何の悪びれもなくその「尊き欠片」を練り始めた。華々しく散った命の欠片が歪な形に変形され、夜の海中よりも黒い異形の獣が誕生した。で子はその獣を人差し指と親指でこねくり返し、徐々に変形していく様をじいっと眺めた。

 やがて授業が終わると教師は残像を残すほどの高速で教室の外へと消え、で子は大きく伸びをした。するとそこへで子のクラスメイトの女子生徒がやって来て、で子に話しかけた。

「ね、ね、当てた? あの大きいスーパーボール」

 で子は間抜けな欠伸をしながら「まだあ」と答えた。「今回はこれ、消しゴム」

「大ハズレじゃん!」

 この女もとんだ無礼者である。

「あんたいくら注ぎ込んだの?」

「莫大な軍資金がくじ引きへと消えていったわ」

「でもあれ一回で十円でしょ?」

「戦国時代並みに闘ってきたから」

「戦争は金ばかりかかるね」

「まあね。でも勝つまで止めるつもりはないから。私の名誉とデカスーパーボールが懸っているのだから」

 同じゴムであるというのに、なにゆえ余よりスーパーボールの方を望むのか。ただひたすら跳ねるしか能のない球体に、それほど魅せられるのはなにゆえか。その上大きいスーパーボールは自重のためずしりと地面にめり込み、スーパーボール唯一の取り柄である身軽な跳躍ができない。これは子どもの人気を得ようと無暗に肥大化したことによる自縛であり、巨大スーパーボールは言わばゴムと皮肉の塊に他ならない。そんなものと己の名誉を並べ、真剣勝負と称した博打に労力を注ぎ込む彼女は間抜けなのか。

 問うまでもない、骨の髄まで底抜けの阿呆である。


 放課後、で子は余と出会った駄菓子屋へと向かった。どうやらくじ引きをするつもりらしい。

 昼間頭部を集中的に酷使された余は完全に疲弊し、その上走るで子の鞄の中で意識が朦朧とするほど掻き混ぜられ、文具の冥途が視界にちらついたほどであった。

 で子は駄菓子屋に着くと扉を開け放ち、「さあ勝負よ!」と言った。

「懲りないのねぇ」

「今日こそが最後よ。壇ノ浦の戦いよ」

「はいはい、十円ね」

 十円を差し出したで子は沈黙し、大きく深呼吸した。

「南無八幡大菩薩、我が国の神明、茄子の湯全大名、毘沙門天、七福神、阿保神、助平神、願わくは、我にあのデカスーパーボールを引き当てさせたまえ」

 次の瞬間くじの箱の中に手を突っ込む音が響き、再びで子は沈黙した。

「ここで引き当てなくては、今までの労力が全て水泡に帰すわ。ガラクタのために無駄な努力をしたことになってしまうわ」

 ではスーパーボールはガラクタではないとでも言うのか。飛び跳ねる能力を失ったゴムの巨大な塊にそれほどの価値があるのか。

「いざ‼」

 しゅっ、と空を切る音が聞こえ、で子は息を切らしながらくじを店主に渡した。店主は番号を確認し、「おや」と呟いた。

「三等賞だよ、ほら、いちごの練り消し」

「なぬう⁉ ね、練り消しで三等賞⁉ おばちゃん、ここのくじ引きもうちょっと豪華にできないの?」

「十円だからね。でもいいじゃない、練り消し。いちごの匂いがするよ」

「私はね、スーパーボールが欲しいの。こんな練り消しじゃ私は満足しな……あっ、結構いちごの匂いじゃん」

 人間は妙ちきりんなものばかり発明する。始めから練ることを目的とした消しゴムなど、最早消しゴムではない。さらに匂いもつけるとなると、文具の世も末である。

 くじを引いた後で子は金平糖を買い、駄菓子屋を出た。

「まだまだ闘いは続きそうね……!」

 で子はいちごの練り消しをねりねりしながら呟いた。彼女の場合、場合壇ノ浦の戦いでは終わらないようである。

 彼女はある程度ねりねりしたいちごの練り消しを筆箱の中にしまい、家に向かって歩き始めた。

 筆箱の中が急激にいちごの匂いで満たされ、我々文具は皆むせ返った。鞄の中の筆箱に新鮮な外気が入って来ることはないので、筆箱内の酸素が徐々にいちごに置き換わっていくように、匂いは次第に強まっていった。余は再び意識が朦朧とし始め、今度は霞みゆく視界の中にいちご畑を見た。

 やがて余は気絶し、無数のいちごが浮遊する宇宙空間を彷徨う夢を見ていた。


      *


 余が目を覚ましたとき、余はで子の部屋の机上にいた。既に深夜で、で子も眠っているようであった。

「おい、大丈夫か」

 そう言ってきたのはシャープペンシルである。

「いちごの練り消しは?」

「ああ、それなんだが……消しゴムが眠っている間に幾分か肥大して、そこに鎮座している」

 そう言いながらシャープペンシルが示す方向を見やると、そこには確かに肥大化したいちご練り消しがあった。唸る熊のような、地面を揺るがす寝息をたてている。

「何があった?」

 余がそう問うと、シャープペンシルは気の毒そうに言った。

「気付かないのか、消しゴムを使ったんだ」

 シャープペンシルによると、で子は眠る余を白紙に擦り付け、余の「尊き欠片」をいちご練り消しに食わせたのだという。その結果余は体の半分を失い、その体を覆っていた紙のケースも失ったとのことである。

 余は己の体を確認してみた。確かに身長は縮み、ケースも無い。余は全裸のちび消しゴムへと変貌していた。

 消しゴムのケースについても、余は人間に物申したい。消しゴムは獣と違って毛皮を有しているわけではなく、また人間の着るような布製の服も有していない。よって、余のデリケートな肌の保護は一切合切が紙のケースに委ねられており、その意義は無視できないものである。生身を曝け出すことが如何に無防備であるかは、人間も分かっているはずである。しかしながら、消しゴムが小さくなると彼らはすぐにケースを捨てる悪癖がある。

 そして今の時世、消しゴムが最後まで使われることはごく稀である。小さくなってケースを剥がれた赤裸々の消しゴムは、例え捨てられなくとも忘れ去られて二度と使われないのが関の山である。

 しかし、シャープペンシルの話から考えると、余は恐らく最後まで使われるのだろう。ただしそれは消しゴムとしての全うな働きではなく、練り消しの材料として削られるのみである。いちご練り消しの一部となった余はその後、で子の飽きるまでねりねりされ続けるのであろう。


      *


 翌日、爆走の後の学校の教室にて、案の定で子は余を白紙の上で擦り始めた。余の体はみるみる縮まり、やがて大豆ほどの大きさになった。

 余は心頭滅却し、最期を覚悟した。短い一生であった。よく消した一生であった。これより先はねりねりされるのみである。誠に無常である。

 いつの日か、消しゴムも再び陽の光を浴びる日がやって来ることを願うばかりである。

 するとで子は、はたと動きを止めた。

「はあ、疲れた。もう止めよっと」

 そう呟いたで子は、悟りの境地に達しつつある余を僅かに残して練り消し肥大化計画を中止した。余は再び筆箱の中に戻され、で子は桃色と白色のまだら模様になった練り消しを練り始めた。

 もしや余を捨てるつもりだろうか? 本心としては例えねりねりの運命にあろうと潔く消える所存であったが、もしや余を生きたままごみ箱に放るつもりだろうか?

 するとで子は不意に練るのを止め、再び余を筆箱から取り出した。

「これはもう小さすぎて使えないな……」

 やはり彼女は余を捨てるのである。

 余はやがて焼却処分場へと運ばれ、灼熱の炎の中とろとろに溶かされるのであろう。ねりねりよりは劇的な死に様であるが、一介の消しゴムには劇的過ぎる最期である。

 しかしで子は油性ペンを取り出し、突如余に顔を描き始めた。彼女は真剣な眼差しで顔を描くと、「よし」と呟いてペンの蓋を閉めた。余の体に描かれた顔は目の焦点が合っておらず、非常に間抜けな表情であった。

 もしや余を消しゴム人形にして弄ぶつもりか。

 案の定彼女は余を手の平で転がし、手玉のように弄び始めた。阿保面の余は彼女の手の上で上昇し、もんどり打ち、落下し、再び上昇した。目紛るしく景色が回転するなか、余はぐるぐると目を回した。

 するとで子は落下する余を掴み損ね、彼女の手に跳ね返って床に落ちた。彼女は透かさず余を拾おうとしたが、何者かによって余は蹴り飛ばされ、高速で回転しながら教卓の下の隙間に入り込んだ。

 で子は「ありゃ」と言いながら余を拾い上げたが、余は埃まみれになっていた。

「あ、汚くなってる」

 で子は余を指で払ってみたが、埃だけでなく得体の知れないものも付着していたため、易々と諦めた。

「捨てるかね」

 そう言ってで子は余をごみ箱へ向かって投げた。余は空中に弧を描き、ごみ箱の角に衝突してぽてんと床に落ちた。

 で子は余のもとまで歩み寄り、余を拾い上げ、「さらばじゃ」と今度は確実に余をごみ箱へ放り込んだ。

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