寝癖異説

道草

第1話

 朝目覚めると、左耳の上に見事な寝癖ができていた。鏡で見ると、寝癖は外側に向かって二次関数的な曲線を描き、己の存在を必要以上に主張していた。

 この寝癖は如何にして誕生したのだろうか。僕は寝癖の誕生について、傍にあったメモ帳にいくつかの考えを整理した。


      *


一、圧迫説…頭と枕の間で長時間押しつぶされたことによって生まれた。


二、磁界説…体内を流れる電流が一部の髪の毛に集中して流れ込み、その結果生じた磁界と周囲の磁界によって引き寄せられて生まれた。


三、引力説…髪の毛と枕の間の分子間力によって、一晩かけて寝癖ができた。


四、妖精説…寝ている間に寝癖の妖精が枕元にやってきて、寝癖を作った。


五、自我説…実は髪の毛一本一本に自我があり、宿主に対する不満などの理由から外側を向くようになる。


六、運命説…寝癖は運命の人の存在を示しており、その人の方向に向かって引き寄せられる。相手側も同じタイミングで寝癖ができる。


七、名残説…昔の哺乳類の髪の毛は四方八方に伸びていたことから、人間に進化した今もなおその形質が名残として現れる。


八、霊感説…幽霊、妖怪変化、変質者などの気配を感じ取り、周りに危険を知らせるために生まれた。


九、合図説…体の諸器官を起こし、体を働かせるための合図として最初に左側の髪の毛が歯車仕掛けで跳ねる。


十、平面説…一時的に空間に二つの直行する軸が現れ、その平面上に二次関数のグラフが示された。


十一、悪魔説…実は自分は人間ではなく堕落した悪魔の端くれで、跳ねた髪の毛は実は悪魔の角の一つだった。


十二、陰謀説…政府もしくは宇宙人の陰謀で、寝癖を直すという朝の支度を増やし僕の通勤を阻止しようとしている。


十三、開花説…種から芽が出て花が咲くようにこの寝癖は脳味噌の芽で、やがて花が咲く。


十四、第六感説…髪の毛は第六の感覚器官であり、一定の年齢になると髪の毛が跳ねて発達する。発達後を寝癖という。


      *


 いくらかメモ帳に書き記し、僕は腕を組んで唸った。これは難題である。

 すると部屋の扉がノックされ、「ちょっと、いつまで寝てるの? 早く行かないと遅れちゃうよう」と言いながら更紗さんが部屋に入って来た。

 かく言う彼女もまだ寝間着姿で、右手で歯を磨きながら左手でごちゃごちゃと着替えていた。その長い黒髪の片方には見事な寝癖ができている。

「君、寝癖が付いているよ」

「寝癖? はっ⁉」

「見事な寝癖だね。そのままでいいんじゃない?」

「呑気なこと言ってないで、早く準備しなさいっ! 宿主が起きちゃうでしょ!」

「はは、ごめんごめん」

 そう言って僕は支度を始めた。

 僕らはこれから寝癖になるのだ。

「ねえ君、どうして僕たちは毎朝寝癖になるのかな?」

 僕は着替えながら更紗さんに聞いてみた。

「宿主の寝相が悪いからでしょ」

「でも僕たちは今『寝癖になろう』という意志をもって動いている。逆に言えば、僕らにその気がなければ寝癖はできないんだよ」

「むむう……?」

「それなのに、何故僕らは寝癖になるんだろう」

 最後の言葉はほとんど独り言で、僕は混乱する彼女——襟足の髪の毛の一本を残して部屋を出た。

 僕は大きく伸びをして、朝日を体中に浴びた。そして体を反って、全身で曲線を描いた。

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寝癖異説 道草 @michi-bun

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