第2話 私は没落令嬢ですが、秘密があります。

レイリア・グリムは、完全に日が暮れたのを確認してからそっとカーテンを閉めた。


「ふう。これでもう大丈夫ね。夜道は危ないもん、ココに泊まるしかないよね!」


ちらりとベッドで横たわるルフェスをそわそわと見つめると、うっとりとため息を吐いた。


「はあ‥嬉しい。目の前に憧れの推しがいるなんて‥」


何を隠そう、レイリアはこの世界の正体を知っている。

ここは、あるゲーム。平たく言えば「ソシャゲ」の中なのだ。そのゲームの内容は、いわゆる恋愛に重点をおいた乙女ゲーム。

ただ、内容は深く思い出せない。

なぜなら、レイリア…基、彼女にとっての推しは、ストーリーを中心に回る男性キャラクターではなく、その部下の一人である従者Aだからである。

ヒロインが誰と恋愛しようがどうしようが、正直どうでもいい。重要なのは、今目の前に、推しの従者が息をして動いて喋っているという事実だけなのである。


名もなき、従者。

前向きな王子をひたむきに支える影の苦労人。

何を隠そう、彼の名前もこの世界に来てから初めて気が付いたくらいなほどに影が薄い存在なのだ。イケメンなビジュアルも一応あるが、それなりの好待遇のわりに名前を持たない不憫ないわゆる『モブ』の一人である。


そんな推しの出番は限られている。王子殿下のストーリ―に絡むが、基本的には従者の彼の進言に添って行動すると、高確率でバッドエンドになる仕様になっているのだ。

…だから内容も興味がない。王子が幸せになろうと、従者が幸せにならないと意味はない。

従者の為に王子殿下のグッドエンディングを目指してもいいが…。それはなんだか面白くない。結果…納得いかず、一度もクリアしたことがないのだ。


そうこうしている内にある日風呂場で滑って頭を打って、気が付いたらこの世界にやってきた。


(夢でいい。本物の彼に会えるなら…!)


その思い一つだけで生きてきた。

どうせ死ぬなら!推しに、私の推しに逢いたい!!!夢でいいから逢いたい!!!

その思いが実を結んだのか。たんなる神様の気まぐれか、彼女はここにやってきたのである。


「うぅ…っ」

「!!」


軽いうめき声とと共に従者はゆっくりと目を開ける。


(あぁ…予想通り、綺麗な青い目!!)


「こ、ここは…」


(どうしよう!息してる…しゃべってる!!同じ空間にいる!!!)


感激のあまり言葉にできず、口をパクパクとするレイリア。本当は叫びだしたいくらいなのだが、初対面でそれはどうだろうと思うので、耐えた。


「けが、け けぐぁは!!あり ませんッか?」

「は…?ああ。これはグリム令嬢…あ!!すみません、私はすっかり気を失ってしまったみたいで」


どうやら状況を理解できたらしく、慌てて起き上がる従者もまた、いとおしい。


(ああぁどうしようどうしよう転んじゃったとか言って抱きついちゃう?!それともそのままベッドに押し倒し)


「あ、あの…?」

「はっ!!す、すみません従者様!」


うっかりよだれを垂らしそうなくらいギンギンに見つめていると、何か不信を感じたのか、ルフェスは表情をしかめてしまった。


(だめ!!嫌われるのは嫌!死んだほうがマシ!!)


こほん、と一つ咳ばらいをし、慌ててスカートのすそをつまんでちょこんと頭を下げる…この動作が果たして本当に様になっているかどうかは別として、レイリアはにっこりとほほ笑んだ。


「入り口でお迎えしたところ、突然気を失ってしまわれたみたいで…ご気分はいかがですか?」

「あ、はい、大丈夫です…ええと、今何時…あ!!マズイ、還らない…」


立ち上がろうとすると、ふらり、と従者はバランスを崩して再びベッドに寝ころんでしまう。


「ああ、無理に動いてはダメです!あの、軽い食事を用意しました。少しおやすみなってくださいませ」

「お気遣い感謝いたします…が、そのう、令嬢、手に持っているものは?」

「はい?」


従者の視線は或る一点を見つめている。…それは、レイリアが持っているトンカチの存在だった。


「なぜとんかち…」

「あ…無理に動こうとなさったら、これでおみ足を…こう、ばきって」

「え」

「ふふ、そんな顔なさらないで、冗談ですわ。うち、立て付けは悪くて…」

「はあ、立て付け…それは、まあ たしかに?」

「はい、ぼろい小屋ですもの、うふふ」

「あはは…そ、そうですか…」


ふと、ここで、長年しなくてもいい苦労の経験を積んできた、従者としての長年の勘が急にビビッと、動き出した。


(この令嬢…大丈夫か?なんか、空気が…ていうか、なんていうか)


恐怖心とも、底冷えするようなゾッとする何かを感じるような、とも何とも形容し難い不穏な感情がじわじわと沸き起こってくる。

それはやがて、ある大きな一つの誤解を生む。


(あれ?…僕は、彼女に何か恨まれているんだろうか…?)


不要な贈り物を散々送ったから?…いや、それは殿下の要望で。意味不明な言葉の羅列が並んだ恋文(不幸の手紙?)を贈ったから?…いや、これも殿下が造ったのもので。彼は文武両断の王子殿下、文才だって秀逸だ。


(なのに、どうして…不思議ないやらし 違った、ねっとりとした視線を感じるんだろう)


「あ、ええとー…スープ、のまれますか…?」

「え?!いやいやいや!!お構いなく!そろそろお暇しようと!!」

「せっかく、作ったのに…」

「う…」


しょんぼりと肩を落とすレイリア。

ルフェスはなんだか申し訳ない気持ちになってしまう。実際、ふんわりと暖かい湯気を上げるクリーム色のスープを見ると、自分の腹が切なくキュウ、と鳴く。


(朝から何も食べてないからなあ…)

「では、スープだけ…」

「はい!!パンもありますよ!」


従者の朝は多忙なのである。

暖かいスープと、ふかふかの白パンを頬張り、しみじみとその余韻に浸っていると、窓の外は既に真っ暗になっていることに気が付いた。


「そ、そろそろ本当に帰らないと」

「ですが…ここは辺境の森の最深部。下手による動くのは危険ですわ」

「で、でも。あ、そう言えば他のご家族の方は?!」

「あ…今日はあいにく不在でして」

「ふ、ふざい?!」

「そう!不在!!」


つまりは、二人きりである。

その事実に色々な感情が逡巡し…それは焦りに変わる。


(で、殿下に何と言おう…)


「やはりお暇します!!!」

「あ、だめ…」


がさがさと用意をして、ベッドから起き上がろうとするが、やはりなぜか体が動かない。


(あ あれ?)


しかも、視界がぐるりと回り、そのままこてん、と床に寝そべってしまう。


「ほら、お疲れなんですよ、きっと。ゆっくりお休みになって?」

「え、ええと、でも」


のそのそと起き上がると、レイリアはルフェスの肩に腕を回してベッドに寝かしつける。


(きゃっ 接触チャンス!!…せっかくだからたくさん堪能しとこ)


「あ、あの、距離が近い、です…」

「あ、ゴメンなさい、私ったら、はしたない!」

「い、いいえあの」


ふと、至近距離でばっちりと目が合う二人。

ここは、山奥の小屋、家族は誰もおらず、二人きり…時間は夜で、ロケーションは抜群。ついうっとりと見つめるレイリア(中身・従者推しの元成人女性)…徐々に気圧されたルフェスは、うっかりベッドに押し倒される形となった。

背中にちょっと固いベッドのマットレスがあたり、やがて正気に戻る。


「え? あ あの えっと」

「ルフェス様…私、本当は」


だが、身体が思うように動かないうえに、しっかりと馬乗りになっている女性を振りほどくほどの力もない(従者だから)。

レイリアも力を緩めず、ゆっくりと二人の顔が近づいてゆく。


「あ あ わ わた 私は」

「ルフェス様…」


理性やら義理やら恐怖やらがぐるぐると頭をめぐる。もうどうにでもなれ、とぎゅっと目を瞑ると…


ドンドンドン!!


「!!」

「!」


けたたましくドアをたたく音が聞こえ、二人は互いに50センチを距離を開けて離れた。


「夜分に失礼する!!」

「…誰?」


軽く舌打ちをするレイリアだったが、ルフェスの表情を見て、察した。


「え…で、殿下」

「……は?」


やって来たのは…ザ・ポジティブモンスター、デイル殿下その人である。

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