38話 手紙を読む。そして僕は、僕を知る。


『最初に、私は謝らねばならない。

 二度と言葉を交わすべきでないと言ったそばから、手紙を送りつけてしまった。

 そして、この期におよんでも隠し事もしていた。


 これをあなたへ話すべきか、ひどく悩ましかった。


 扱いを間違えれば、あなたの人生を壊しかねない。


 しかし、全てを告げるべきと決意し、こうして筆をとった。


 まずはこの手紙に記されていることが真実である証拠を示す。同封したものがあるはずだ。それを手に取ってから続きを読んでほしい。』



 ロジオンは封筒の底に何かあるのを見つけた。


 二センチほどの円筒形の物だ。手に乗せてみる。


 黒い耳鳴り珊瑚の切れ端だった。



『知っているでしょうが、それは同じ枝の切れ端同士で離れた相手と会話できる魔導具だ。もう劣化しているが、実際に千年前、私が使っていた物です。この私の珊瑚と、あなたのペンダントの珊瑚、断面をつなぎ合わせてみてほしい。』



 ペンダントはゴミ箱の中だ。


 ロジオンはそれを慌てて回収し、キッチンで洗った。


 そうしてギザギザの荒い断面同士を、つなぎ合わせてみる──。



「……!」

 言葉を失った。断面同士がぴったり合わさった。


 つまり二つは元々一本の枝で、その一つをゾーフィアが、もう一つを自分が持っていた事に……なる。


 混乱しながらも手紙の続きへ目を戻す。



『あなたは今、混乱していると思う。ここから記すことは、なぜあなたがそのペンダントを持っているのか、その話しになる。

 それはつまり、千年前、魔王捜索のための大同盟が結成された結果、帝都の地下墓所にあった転移装置が発見された、そのあと。魔王と呼ばれる義理の弟、ラスコーリンがいた異空間へ、私が行った時の事だ。


 私が転移した先は不思議な空間だった。


 天井が高すぎて見えず、壁も遠すぎて見えない。石の床がどこまでも続く部屋だ。

 そこにテーブルや椅子、ベッドといった家具が置かれていた。


 他にも作りかけの魔導具が、所せましと置かれていたのを覚えている。


 ラスコーリン──私がラスと呼んでいた彼は、そのとき机に向かっていました。きっと何かの研究をしていたのでしょう。私が来ることを予感していたそぶりだった。


 久々に顔を合わせた私たちは、本題について話し出そうとしなかった。


 私は彼に、『呪縛を解いてくれ』と告げなければならなかったはずだし。


 彼も、私がそのために、ここへ来たことは百も承知だったでしょうに。


 私たちは、その話題には触れることができなかった。


 もし私の要求が彼に拒否されたら、私はどうすればいいか、まるで分からなかったからだ。


 そんな逡巡する私を見て、彼は茶を煎れてくれた。


 そうして当たり障りのない世間話を二時間ほどしていた。


 話題は尽きることがなかった。


 昔を懐かしむような子どもの頃の思い出話ばかりだ。


 私たち二人の関係性を言い表すのは難しい。


 血の繋がらない姉と弟ではあるが、三千年も共に支え合ってきたのだから、本物の姉弟より遙かに親密だったと思う。


 では恋人かというと少し違うが、男として、女として想い合ってもいた。


 だけど、私たちがそれより先へ関係を深めようとしなかったのは、あまりに多くの人々を殺していたからだ。


 あまりに多くの恋人や夫婦たちを、死で引き裂きすぎた。


 他者からそれらの幸福を奪っておきながら、自分だけそれを手に入れる? 

 無理だ。少なくとも、今は。


 だからいつしか二人の暗黙の了解になっていたことがある。


 理想世界を実現できたら、そのときに夫婦になろう、と。


 だけどその結末は──私は救世主、彼は魔王。


 だから私は言わねばならなかった。


「世界から呪縛を解いてほしい」と。


 ラスはこう答えた。切なげに。


「実は、僕もそれをゾーニャに頼みたかった」


 私は意味がわからず、理由をたずねました。


 彼は説明してくれた。


「呪縛は発動したら、解除できないようにしてある。僕が罪悪感に押しつぶされ、途中で投げ出すことがないよう。中断してしまえばこれまでの犠牲が無駄になる。だから呪縛を止めるためには、術式の核となっている僕が死ぬ以外にない」


「他に何か方法は?」


「そんな逃げ道を作っていたら、僕はやり遂げられる気がしなかった、逃げ道は全て塞いである。僕が命を絶つ行動もできないよう自らに精神魔術もかけた。身を守る行動を強制し、ここに閉じこもった。だからこちらからは連絡できなかったんだ」


 彼は首に提げている黒い耳鳴り珊瑚のペンダントを揺らして見せました。


「ねえ、ゾーニャ。僕は世界を救って、同時に、君も助けたかったんだ──」


 そう言って彼は私の右手に目をやりました。


 罪の炎が手首まで焼いている有様を。


「僕らが殺してしまった人々への償いがあるとすれば、理想世界を実現することだけだ。そうすればゾーニャの罪の意識を減らせて、炎を消せると思ったんだ。

 だけど君は自力で理想世界への道を開いた。知ってるよ。大同盟が結成されて僕を探し出したんだろう。信じられるかい? 三千年バラバラだった世界を君が繋げた」


 私は何か言葉を返すべきだと思ったが、何も言い出せませんでした。


「ここからは僕の想像──ううん、希望の話しをするよ。僕が死んだあとの世界の話しだ。全ては良い方向へ進みだす。呪縛が消えたあとの大同盟は目的を失って各国の利害が一致せず機能不全を起こすだろう。


 けど、それゆえに巨大な抑止力として働く。例えば大同盟に参加している国が、そうじゃない国へ攻め入ろうと考えたとする。でも、利害が一致しない他の参加国が徹底的に脚を引っ張ろうとするだろうね。


 しかし、この諍いが戦争にまで発展することはない。もし戦端を開こうとすれば、大同盟という巨大すぎる力に弓を引く事になり、リスクが大きすぎるからだ。戦争を始めるのが難しい世界になる。


 代わりに各国が利権を拡大する手段は経済でしのぎを削ることに取って代わるはずだ。大同盟の諸国は、これまで呪縛を受けていた国々を貿易圏に取り込もうと競争するだろうね。世界中で異種族同士の交流が一気に加速するんだ。


 そうして五十年もすれば、世界中の国が大同盟に自然に取り込まれているはずだ。そうなれば、多少の政変や天変地異が重なっても崩れない世界秩序ができあがる。

 あはは……理想論すぎるかな? でも見えたんだ。君が開いた、理想世界が」


 彼は無邪気に笑いました。子どもの頃のように。


「それがどういった世の中なのか、僕は君が来るまで空想してたんだ。まず五百年後、この頃には人間の帝都に、他の種族が住んでいるのが普通になっている。


 これまでのように旅商人や冒険者といった形で他種族が訪れるだけじゃなく、同じ街で暮らすようにね。偏見や差別はまだあるだろうけど。


 そして千年後、この頃にはもう差別も消えている。異種族同士の結婚も普通になってるかも知れない。ドワーフとゴブリンのカップル、みたいにね。


 いや、さすがにないかな? あはは……。でも、一つだけ断言できる。世界中に君を讃える彫像が建てられるんだ。救世主としてね。君の罪の炎はもちろん消えている。そんな世界で、ゾーニャはみんなから愛されて、幸せに暮らすんだ」


 切なそうに彼は私を見つめてきました。


「もう僕の願いは叶おうとしてるんだよ。最後に僕がしなきゃいけないのは、君の罪の炎を消すことだ。そのためには、分かってるだろうゾーニャ。

 君が理想世界を実現しなきゃいけない。それはあと一歩で達成できる。そう、呪縛を消さなきゃいけない。僕を──殺すんだ。それで僕の最後の願いも、叶う」


 殺すなどしたいわけがなかった。


 世界で唯一、心を通わせ合い、愛してくれた相手だ。


 でも私がするべきことは明白だった。


 呪縛をこのままにしておくわけにはいかない。


「ごめんね、ゾーニャ。こんな事をやらせることになってしまった」


 そう言って、彼は私を抱きしめてきました。


 私は……涙が溢れてどうしようもなかった。


 そんな私の頭を、ラスは勇気づけるかのように、撫でていました。


 それでようやく私は、短剣を彼の胸へあてがうことができた。


「僕は、いつでもいいよ。ゾーニャを抱きしめたまま死にたい」


 刃を突き通そうとしたが手が動いてくれなかった。


 あと二十センチ、腕を押せばいいだけなのに。


 それで終わる。世界は救われる。愛してくれた人を失う。


 怖かった、とても。


 そうして私が躊躇していたからでしょう。


 彼は私に何か言おうとしたが、さらに私を躊躇わせると考えたのだと思う。


 言葉の大半を飲み込んで、一言だけ、言った。


「お願いだ、ゾーニャ」


 心臓を突きとおした。


 彼は絶命するまで私の頭を撫でていた。


 やがてラスが動かなくなって、何分くらい私はそのままでいただろう。


 右手には温かな血が伝わっていて、その温度だけをやけにはっきり覚えている。


 自分がそのとき何を考えていたか……一つだけ思い出せるのは、この広い世界で独りぼっちになったと感じたことだ。


 だから理解した。


 この苦しみを、今まで殺めてきた命の数だけ、この世にばらまいてきたのだと。


 私はいったい、何億のこの悲しみを作り出してきてしまったのだろう?


 その時だ──右腕が激しく痛みだした。


 まさか、とも思わなかった。当然だ、これが。


 右腕を見てみた。罪の炎は消えるどころか、さらに激しく燃え上がっていた。


 手首を超えて肘へと浸食が始まっていた。


 私は落胆などしなかった。安堵すらした。


 ああ、そうだ。私が赦されていいわけがない。


 これから先、苦しんで、苦しみ抜いて、最後はラスのように、命で償う。


 激痛で動けなくなり、床でひたすら悶えていた間、ラスをどこかへ葬らなければと考えました。でもここよりも安らかに眠れる場所はないと気づいた。


 だから遺体をベッドに寝かせるだけにした。


 彼が身につけていた耳鳴り珊瑚のペンダントを形見に貰って。


 そのとき、彼の机で一つの研究資料を見つけた。


 驚いたことに、蘇生魔術のだった。


 未だに人類文明がなしえない死者の蘇り。彼はその手がかりすら得ていた。


 呪縛によって作り出される穏やかな新世界へ、最終戦争で失われた全ての人々を順次再生し、適応させる計画だったことが記されていた。


 実験用の試作魔導装置も揃えられており、一度だけなら誰かを蘇生できた。


 ただし肝心の術式の完成の目処がたっておらず、不完全でした。


 個人の体を構成するマナの組成データを元に、治癒魔術を応用し、新生児として肉体を復元する原理だが。


 記憶の引き継ぎはほぼ不可能で、辛うじて潜在意識へ刻み込む事しかできない。


 だから生前の記憶を思い出せるとしても、脈絡のない夢という形で見る程度。


 潜在意識が強烈な発露を誘発された場合は、記憶として思い出せる可能性はあるが、ゼロに等しい。


 これでは蘇生というより、同じ遺伝子と潜在意識を持つだけの他人を生み出すことにしかならない。


 だが、私にはそれでも救いだった。ラスを蘇生させることにした。


 実験用の魔導装置を作動させると、完了までの日時が表示された。


 なんと約千年後だ。


 それまでこの場が荒らされないかが心配だったが、杞憂だった。


 異空間に残されていた転移装置は作動する物が一つだけで、それは高山の洞窟にある超古代遺跡に通じていた。


 何万年もの間、誰も来なかったであろうそこは、何者も知り得ない隠れ家だった。




 そして、今から二十年前のことだ。


 蘇生が完了する一週間前に、再びあの異空間へ赴いた。


 ベッドのラスの遺体が白骨になっている以外は、変わらない光景があった。


 蘇生は日時どおりに完了した。魔導装置の容器を開けると赤ん坊がいた。


 私は「ラス」と呼んで抱きしめた。


 この子の二度目の人生がどうあるべきかは、ずっと前から決めていた。


 ラスの一度目の人生が狂ってしまった切掛けがあるとするなら、ゾーフィアと出会ったことだ。


 そのせいで数多の人々を殺めることになり、最後には魔王に成り果て、死んだ。


 だから二度目の人生は、彼が三千年戦っても手に入れられなかった、幸福を追い求められるものにしてあげたい。


 ごく当たり前の学生時代を過ごし、ごく当たり前に友人と遊び、ごく当たり前に恋をして、ごく当たり前に将来へ夢を描く。


 そのためには、私との──人類史上最大の殺人者との関係など有害だ。


 まったく無関係の道を歩むべきだ。


 それこそが、彼に与えられる最高の人生と信じた。


 こうして私は児童養護施設へ向かい、裏門に彼を置いた。


 保温の結界をかけて。一緒に置いたバッグには全財産を詰め込んで。


 そして、〝彼〟がかつて身につけていた耳鳴り珊瑚のペンダントも。


 そうしたのは彼との繋がりをどこかで持っていたいと願う、私のエゴだ。


 ロジオン。これで全てが把握できたと思う。


 あなたがずっと身につけていたそのペンダントは、このとき私が残した物だ。


 あなたは蘇生されたラスコーリン。


 私とあなたが出会った真夜中の噴水。あれはまったくの偶然だった。


 それでもあなたの顔を一目見て、誰であるか確信した。


 どれだけ嬉しかったことか。


 関わるべきじゃない。


 そう決めたはずなのに、私は自らに我が儘を許してしまいました。


 大罪を世へ告白するのを手伝ってもらう、それだけの関係にとどめるのならば関わることを許す、と。

 

 だけど、あなたは私に優しすぎた。私は、再び愛してしまった。


 でも、その恋はいずれ大罪人たる正体を明かせば終わる──うたかた。


 なればそのわずかな時間だけなら、ゆるされるのではないか。


 死ぬ前に一度くらいは、愛する者から全身全霊で愛されてみたい。


 そう考えたのも私の我が儘だ。

 

 その結果がこれだ。あなたを傷つけた。


 二度目の人生すら不幸にした。


 後悔させていると思う。全裸のホームレス勇者など拾わなければ良かった、と』

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