50話 世界を救う。そして彼女は勇者を憎む。5 (後編)



 何千の戦場を渡り歩き。何百もの街を焼いた。


 だが、戦乱が消えることはなかった。


 僕らが変えようとした、世界、というものは、あまりにも大きすぎた。


 一つの力の均衡を作り出し情勢の安定を図る間に、別の国で天変地異や政変が一つでも起これば、それまでだ。


 均衡の崩壊がドミノ倒しに連鎖して、作り上げた秩序が瓦解する。


 またやり直しだ。

 新たに何万、何十万という犠牲を払って秩序を作らねばならない。


 永遠に終わらない殺戮に、僕らは明け暮れた。

 やがて自問しなければならなかった。


 自分がしていることは正しいのか? そもそも、意味があるのか?


 答えは歴史が無慈悲に証明していた。

 あれだけ多くの命を奪っておきながら、世界の何も変えることができていない。


 自分たちの努力はまるで無駄で。


 思い描く理想は無意味で。


 正義感は見当違いだった。


 三千年も戦って、なしえたことは何一つない。


 その逆に自分が殺した人々がなしえたはずであろう物事を、どれほど膨大な数、破壊してきたのだろう?


 絶望しかなかった。己の全てを否定するしかなかった。



◆◇◆◇◆◇◆



「私は全てを間違っていたのだろうか」


 ゾーニャがそう呟いたのは、エルフの都を灰にした三回目の時だった。


 この時も、彼女の目の前には、灰に埋もれた何十万もの焼死体があった。


『三度目の天罰の大火』だ。


 僕らが街を焼かなければ、もっと戦乱が激化して大きな惨劇が起きていただろうことも間違いはない。


 だが同時に判っていたことは、直近の惨劇を回避したところで、長い目で見ればまた同じ悲劇が繰り返されるだけだろう、ということ。


 だって、この三千年間で同じ事が三度も繰り返された。堂々巡りだ。


 ゾーニャは降り積もった灰の中へ、力尽きたようにしゃがみこんだ。


「違う。全て、じゃない」

 僕は彼女の背中から話しかけた。


「戦乱が起こらない世界。その僕らの理想は誰にとっても理想たりえる。でも、それを達成できるかどうかは別だ。なのに達成できると信じてしまった。間違いは……きっとそこなんだ」


「ならば。私は人類史上最悪の殺人者だ」 


「ゾーニャだけじゃない。僕もだ」


「この大罪を私はどう償えばいい。命を絶つべきか? それで済まされるのか?」


「どんな罰を受けようとも、僕らの罪は償えない。もし償いをできるとしたら、本当に理想世界を実現し、これまでの犠牲を無駄にしないことだけだ。

 それでも赦されないかも知れない。だけど、僕たちにはその義務がある。周りを見るんだゾーニャ。僕らはそういう所まで、来てしまった。自分の脚で」


 僕たちの立っている所は、生きている者が一人もいない。


 灰に覆われた虚無の世界。


 ここが、この場所が、僕らが選んだ道の、終着点、だった。

 目指していた楽園とは正反対の、最果ての地獄に行き着いてしまったんだ。


「私にはもう何もできる気がしない。もう誰も殺したくない。だって見てくれ」


 ゾーニャは足下の灰を掴んだ。

 それは、サラサラと指の間から落ちていく。


 まるで、三千年も追い続けて掴み取ろうとした何もかもが、幻想だったかのように、彼女の手の中には、灰の一粒すら残らない。


「私は三度もここを灰にした。そんな蛮行、私が殺してきたどんな〝悪い人〟すらやらなかった。そういう者を一人残らず退治したいと願ったのに、自分がそれに……」


 ゾーニャは泣き出した。大きな声で、子どものように。

 灰が舞うモノトーンの世界の中で、その声はむなしく響く。


「……そうだ。私のような者を罰し、この世から消し去りたいと願ってたのに──」


 その時だ。彼女の右手に強力な効力投射の発生を感じ、それと同時。


「っ──⁉」

 ゾーニャが声にならない悲鳴をあげた。苦痛に歪んだ声で。


 見ると、右手に黒い炎のような紋様が浮かび上がっていた。もしやエルフの生き残りの攻撃かと思ったが、あり得ない。不死身の結界を破れる者などいるわけがない。


 居るとしたら、本人だけだ。

 つまり……これは。彼女の罪の意識が、自身を罰して!


「ゾーニャ……! 止めるんだ。これを解け!」


 そんなことが出来ないのはわかっていた。これまで彼女を三千年も突き動かしてきた強すぎる願いの矛先が、自身に向いてしまったのだから。


 そして、彼女の願いの終着点は『自身をこの世から消し去ること』

 つまり、死だ。


 そう気づいた時に僕は、苦しむゾーニャを抱きしめていた。

 必死に、強く、死に物狂いで。


 どうしたら助けられる?


 決まっている。ゾーニャが自分自身を赦せるようにするしかない。

 だが、僕らが死なせてしまった人々は億の単位。


 これほどの大罪をどうしたら彼女は赦すことができる?

 不可能かも知れない。


 そうだけど、もし本当に理想世界を実現できたとしたら?


 今よりもずっと穏やかな世界を、ゾーニャが目にすることが出来たら?


 そこで幸せに暮らす人々の笑い声を、彼女が聞くことができたら?


 少しでも罪の意識が和らぐかも知れない。

 せめて、死からだけは救えるかも知れない。


 それに理想世界の実現は、僕自身の義務でもある。

 ならば決まりだ。


「ゾーニャはもう休んで良い。後は僕に任せて」


 僕の腕の中で、彼女は荒い息をしていた。


「ラスが一人で戦い続けると……?」


 僕には一人で構想していた計画があった。

 これまでのように戦争に介入する事で秩序を作り出すような、対処療法ではない。


 世界を根本から作り替えることで、九割以上の戦争を消滅させる。

 地上全てへ影響を及ぼす精神魔術を使用した計画だ。


 それは世界中へ鎮静化魔術を展開して、戦意を喪失させるといった一時しのぎではいけない。


 その場合、術式の核となる僕が何かしらで死ねば世界は戦乱に巻き戻ってしまう。

 必要なのは、僕がいなくなってもそうならないような、不可逆的な世界の再創造。


 一時的に多大な犠牲が生まれるだろう。


 だが戦乱が極小化された未来がくれば、その犠牲の何十倍、何億倍が救われる。


 僕にはそれをやり遂げる力がある。三千年の実戦で極めた精神魔術だ。

 他の誰にもできない。僕にしか救えない、何兆もの未来の人々がいる。


 ならば計画を実行せず、彼らを見殺しにすることは、それ自体が大罪だ。


 でも……このことでゾーニャもさらに罪の意識を感じるかも知れない。

 しかし、このまま何もしなくても、彼女の死は免れない。


 ならば、未来に賭けるしかない。

 僕が作り出す未来で、彼女が自身を赦せるようになることに、賭けるしかない。


「僕には、これまでと違う、まったく新しい構想がある。だから全部任せてくれ」


「構想? どんな?」


「ゾーニャには秘密だ」


「どうして? 私も手伝いたい」


「休むべきだ。戦う以外に能のないゾーニャには、手伝えることがないからね」


「戦わない……? 私が戦わなくても理想世界が実現できると?」


「そう。何も心配せずに、待ってればいい。だからしばらく別々に行動しよう」


「嫌だ。ラスと離れて暮らしたくない。どうして?」


 ここからは、僕一人が全ての罪を背負えばいい。


「どうしてもだ。でも三、四年もあればどうにかなる。これを持ってて──」


 僕はバッグから『耳鳴り珊瑚』の枝を取り出し、二つに折って、片方を渡した。


「僕の構想が上手く行って理想世界が実現したら、ほら、僕たちの村を旅立つ時に言ってただろう。またどこか、ああいうのどかな村を見つけてさ。そこで──」


 僕はゾーニャを真っ直ぐ見つめ、手を握り、熱を込めて、言った。


「──二人で、静かに暮らそう。そのときは、ずっと一緒に」


 ゾーニャはその言葉の意味を考えてから、頬をかすかに赤らめたが──首を振る。


「それはダメだ、ラス。私のような大罪人が幸福になっていいわけがない」


「なら、ゾーニャが自分を赦せるようになったらでいい」


「ラスは……自分を赦せると?」


 僕は頷かなかった。赦せるわけがない。


「僕には自分を赦せるかどうかより、優先しなきゃいけない事がある」


 それはゾーニャを、幸せにすることだ。


「だから、ゾーニャ……今はいったん、お別れだ」

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