42話 想いを届ける。そして彼女は願いを思う。


 順調に脚本は完成に近づいていった──が。


 物語が形になりかけると難色を示したのは、ダハラ氏以外のスポンサー陣だった。


 ゾーフィアを大量殺人者としても描く、というのは前代未聞だからだ。


 下手すれば世界的英雄の侮辱として全人類を敵に回す。


 最悪はスポンサーへの不買運動も予想できる。


 だがそこで、豪腕を見せたのはダハラ氏だ。彼はスポンサーを一社ずつ回って。


「赤字になったら、ワシが補填する! なんなら先払いしてやる。そんでも納得せんなら、そちらの会社を買収してもかまわんが? 今すぐだ」


 担当責任者を説得(札束でビンタ)して回ったのだ。物理的にだ。


 こんなことをやってのけるのは、彼しかいない。


「それがブバラ・ダハラという男だよ、君」ということだ。




 こうしてどうにかこうにか、クランクインにこぎ着けた。




 ここから意外な活躍を見せたのがオークのゾーフィア役であるブーラコだった。


 彼女は撮影開始まで大学を休んでいた。


 地獄のようなレッスンの日々を送り、その演技力を磨いていたのだ。


 しかも彼女の講師となったのは、ダハラ氏が札束ビンタして引っ張ってきた超一流揃い。ブーラコの熱血具合もあり、いっぱしの女優へ育て上げてしまった。


 アクションシーンこそスタントマンに頼ったものの、ゾーフィアの大量殺人者から救世主へ変化していく難しい演技を好演し、ノーム監督をうならせるほどだ。


 なおラスコーリン役の役者も新しく加わったが、そのロジオン似の俳優にブーラコは秒速で堕ちたのは言うまでもない。


 ロジオンもロジオンで現場を駆け回った。


 脚本作業が一段落したあとは、現場スタッフの助手に志願し、朝から晩まで働いた。もちろん本来なら業務ではない。


 さらに上映館数を拡大するための営業にまで志願し、地方の小規模劇場も周り、売り込みをかけた。あげくのはてに自費で海外出張までして、そうした。


 プロモーションが始まってからは、ロジオン自身も、魔王の生まれ代わりを自称する大先生キャラとしてテレビへ積極的に出演し、あらん限りの宣伝を尽くした。


 意外にもその吹っ切れたキャラがお茶の間で受けてしまい、バラエティー番組でも引っ張りだこになる有様。


 人々から笑われているのは分かっていた。それでも良かった。


 映画が少しでも世へ広まって、一人でも多くが見てくれるなら。

 どんなピエロでも演じた。


 ほとんど狂気ともいえる執念。願うことはただ一つ。


 ハレヤを救いたい。それだけだった。

 


◆◇◆◇◆◇◆



 しかし、この世でもっとも隔絶された異空間にいるハレヤには、そんなことを知るよしもない。


 苦痛にもがき、孤独に苛まれ、恐怖に震え続けた。


 異空間の代わり映えしない景色の中で、拷問のような日々が繰り返されるうちに、時の感覚が失われてきた。


 時計を持って来ていない上に、スマホも燃やしてしまった。 


 寝ている間すら同じ場所で苦しむ夢をみるせいで、自分が今起きているのか寝ているのかも曖昧に思えてくる。


 そうして、何年か、何ヶ月か、それとも何週間か。


 あるいは何十年かが過ぎ去った。





 ラスコーリンの白骨が横たわるベッドの近く。


 床にボロ切れの塊のようなものがあった。


 ハレヤだ。動いていない。汚れきった服は元の色がわからないくらいで、石の床でのたうち回ったせいで、すり切れボロボロだ。


 かすかに、息をしている。呻きをあげる気力すら残っていないのか、ただ生気のない目をうっすらと開け、虚空を見つめる。


 罪の炎は劇的に進行しており、両半身はおろか首まで侵し、顎の下に迫っていた。

 いよいよ、最期が近づいているのを、感じた。 


「これでいい……」

 しなびれた唇で呟く。


 だけど、と思う。もし最後に、一つだけ願えることがあるなら……。


 彼に、会いたい。もう一度、だけ。


 死が迫ってくるのを自覚するたびに、その想いだけが強くなっていく。


 これは馬鹿な願いだ。あれだけ失望の眼差しを向けられておいて。


 とてつもない我が儘だ。あれだけ傷つけておいて。


 しかも、共に映画を作ると約束しておきながら、逃げるも同然のことをした。


 彼と別れてから、どれほどの月日が経ったのだろう?


 まだ数ヶ月の気もするし、十年以上経った気もする。


 彼はあれからどうしたのだろうか。映画を完成させたのだろうか。


 だとしたら失望の眼差しが込められたゾーフィアが描かれたことだろう。


 なんの遠慮もなく、ありのままのゾーフィアが描かれた、ということだ。


 ああ……それなのに、もしかしたら。彼の言葉を思い出してしまう。


『大罪人としての真実のゾーフィアを、僕が映画として作ったとします。世界中で大ヒットして、そのゾーフィアを見た人みんなが赦してくれたらと考えてください。  

 今、世界中から愛されているゾーフィアと同じように愛してくれて、好きなままでいてくれたら?』


 あるわけがない。そんなこと、ありえない。分かっている。


 それは二つの奇跡が重ならない限り、起きえないことだ。


 一つは、ゾーフィアを大量殺人者として描く映画が、世界の常識を塗り替えるほど大ヒットするという奇跡。


 もう一つは、ありのままのゾーフィアが愛されるという奇跡。


 きっと1%もない可能性。


 0.001%もない。


 0.0000001%だってない。


 もし、そんな奇跡が起きるのならば──罪の炎が消えて、新たな人生を手に入れることができるのなら。どんな未来を思い描けるだろう?


 もう一度だけでも彼に会う、だけではない。その後も共に生きれるかも知れない。


 そうしたら、まずは彼に謝ろう。


 欺き、失望させ、傷つけ、逃げてしまったことを。


 そして真心を伝えればいい。これからの生をあなたと共にありたい、と。


「もし……もし……そんな奇跡が起きるのならば……」


 限りなくゼロに近い可能性。


 でも死を待つだけの者にとって、それは十分すぎる希望。


「見届けなければ……ロジオンの映画を」


 起き上がろうとするが、全身に走る激痛のせいで力が入らない。


 だから運動エネルギー制御で体を強引に立ち上がらせた。


 苦悶にゆがむ顔は痛々しいが、瞳には希望が、かすかに宿っている。


 ぼろきれになった服を脱ぐ。水で体を清める。


 髪を洗い、伸びきったそれを、この異空間に来る前と同じ長さへ切りそろえる。


 息絶える日のために取っておいた清潔な服を着る。両腕と首に包帯をまく。


 そして彼女は転移装置へ、たどたどしい足取りで向かう。

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