第3話
佐倉燈子との初対面は今でも忘れない。
二年前の初秋。星の綺麗な二十一時、夜久明音が、人付き合いという言葉に関する億劫な全てから逃げ出すように外を散歩している時。友人だと思っていた相手が自分に向けて剥いた牙に――そういった結末を迎え得る人間関係というものに、どのように気持ちを整理すればいいか悩んでいた時期だったはずだ。
繁華街から少し離れた高架橋の欄干から、少女が大きく身を乗り出していた。赤みがかった黒髪と時間帯に合わない黒いセーラー服が高圧ナトリウムランプを浴びて橙色に染まり、眼下を行き交う自動車の群れを眺めるその横顔は見惚れるほどに美しかった。
だが、その表情は酷く暗かった。そう分かったのは、似た表情を最近、鏡で見たから。
後に佐倉燈子と名乗った少女が自殺を図っていると誤解した明音の行動は、単純だった。
「待って!」
叫び、駆け寄って、燈子がこちらを向いて身構える間もなく華奢な身体を欄干から引き剥がした。「うわ⁉」と声を上げる彼女と二人で、アスファルトの上に転がる。
明音は燈子の頭部が地面に当たらないよう手を挟み、対する燈子は身を縮こまらせて上手に受け身を取る。お互い、軽い擦り傷を負う程度に留まった。倒れた姿勢で視線が交錯する。
「った……! な、何ですか?」
目を白黒させる燈子に、明音は必死の形相で説得を試みた。
「自殺は……あんまり、良くないと思う。世間一般的に、たぶん」
人付き合いは単純ではない。友人だと思っていた人を庇ったかと思えば、そう思っていた相手に刃を向けられることがある。心を許した分だけ深く心に刃が立つのなら、人に心を許すことは遠回しな自傷行為と同義なのではないか――そんな風に考えていた。
それでも目の前で命を断とうとする人間を見殺しに出来るほど懐が広くなかった明音は、せめて自分が忘れた頃、どこか目の届かない遠くで決断を下してくれるように説得をしたのだ。
最初の返答は、言葉ではなく表情。大きく眉を顰めた燈子は、次に呆れた声を上げた。
「はぁ?」
「――しませんよ、自殺なんて。そこまで人生に絶望しちゃいませんから」
誤解が解けたのはそれから数分後の話だ。薬局と焼き肉屋の間を通る路地裏で、行き交う人々を横目に二人は縁石に踵を置いて座していた。
繁華街の薬局で絆創膏や消毒液の類を買った明音は、転倒の際に負った彼女の擦り傷を一生懸命に手当てしていた。勘違いによって人様に怪我を負わせた事実に顔を真っ青にさせながら、脱脂綿で怪我を消毒する明音に対して、少女――佐倉燈子は酷い呆れ顔だった。
「あの、ほんと……これ終わったら出頭します」
「いいんでそういうの、これ以上私の手間を煩わせないでください」
「すみません、ほんと、ごめんなさい。本当にすみませんでした」
「過剰な謝罪は自分を被害者に仕立て上げるための卑怯な裏技です」
はっきりと鋭い言葉で愚行を切り捨てれた明音は、口を噤み、肩を落としながらしょんぼりと怪我の手当てをする。そんな様を見て、燈子は深々と溜息を吐いてフォローを入れる。
「まあ、状況的にそう見られてもおかしくなかったことは今更自覚しましたし、悪意のある傷害でないことも分かります。そもそも、この時間帯に中学生が外出していれば不穏なことを危惧するのも当然だと思いますし、怒ってませんよ。怒ってません」
その素っ気ない言葉が明音を気負わせないためのものだと分かり、明音は頭が上がらない。
「ありがとう……ございます」
「敬語も結構です。たぶん、私が年下なので」
「ありがとう」
「ええ、どういたしまして」
燈子はツンと素っ気ない表情で顔を背ける。
明音は彼女の擦り傷に絆創膏を貼りながら、改めて彼女の顔を見た。薄桃色の唇は柔らかそうで、肌はきめ細かく、どちらも触り心地は良さそうだ。背丈は明音より一回り小さい。染色の気配は感じないため地毛なのだろうが、無造作なロングボブはほんのりと赤みを帯びており、編み込みのアレンジがされている。当時の明音はそういった髪型に関する知識が疎かったこともあり、それらは見惚れるほどお洒落で、数秒、言葉を飲んだ。
黒のセーラー服は中学校のものだろう。中学二年か一年か、明音に人のことを言えた義理はないが。どちらにしても夜の二十一時に制服姿で繁華街周辺を歩くのは好ましくないだろう。
そう考えると、やはりこの時間にあの場所で何をしていたのか、聞くべきだと思った。
「あそこで、何してたの?」
背けられた顔が明音を向き、その目が値踏みするように頭から爪先を見る。
「貴女に話す義理が? 別に、人様に迷惑を掛けるようなことじゃありませんよ」
「……ならいいんだ。人に迷惑を掛けないなら、うん。大丈夫」
「……自殺は止めようとしたのに?」
「そりゃ止めるよ、目の前なら。人が死んだらその往来は通行禁止になるでしょ?」
燈子が吃驚した顔で明音を見るから、明音は「冗談」と苦笑を返す。
「そんな理由じゃなくて、君を止めたのはもっと普遍的な一般論だよ。まあ、でも――決断には相応の理由があると思うから、一回止められて、それでも敢行しようとする人を条件反射で止めるのは無責任だと思うし、どうしてもと言うなら説得の言葉は考える」
「理解は難しいけど、共感はできるから」――そう付け加えた明音の顔を、燈子は横目に見る。しばらくマジマジと見詰めてくるものだから、明音は首を傾げて視線を返す。視線が交錯すると、燈子は小さな溜息を吐き捨てて、呆れながら明音の誤解を訂正する。
「だから、自殺しようとした訳じゃないですって。ただ風が気持ちいい場所で車が走るのを眺めていただけ。家に居ても天井くらいしか見るものが無いので」
「車、好きなの?」
「家が嫌いなんです」
少しだけ口が軽くなったのは信頼の証左か、明音は傾聴する。
「一人暮らししてるんですよ、私。この年齢で。面白いでしょ?」
面白いかはさておき、適当に聞き流していい話ではなさそうだった。
明音は目を丸くしながら手当ての手を一瞬だけ止め、我に返って再開する。
「聞いていいのか分からないんだけど、ご両親は?」
「実母は病死しました。実父は別の場所で妻子を持っていて、母が不倫相手でした。で、私が生まれた頃には、母は父に捨てられていたらしいです。だから知りません、死んでるかも」
その人物の生死には一切の感慨も湧かない様子で、無表情にそう言い切る。
「母が死んで、私は叔母家族に引き取られました。義理でも家族と呼ぶにはあまりに居候そのもので。水商売だった母の遺した財産を切り崩して弁当生活だったんで、嫌気が差して、逃げて、一人暮らしをして……何やってんだろって、気付いたらここに来てました」
言葉尻に行くに従って、段々と燈子の顔が俯いて声が小さくなっていく。初秋の風に掠れて消えてしまうような、そんな細い蝋燭のような声に、明音は懸命に耳を傾ける。
人に心を許した分だけ、裏切られた時の痛みは大きい。
痛みを拒むなら、最初から誰とも親しくしなければいいだろうとも思う。
それでも、気を許して話してくれた言葉に耳を塞ぐことは、少し難しい。
明音が痛ましいものを見るように燈子を見詰めていると、彼女は我に返ったように徐に顔を上げる。そして明音の顔を見ると自嘲気味に頬を歪めた。
「私、初対面の人に何を話してるんでしょうね。忘れてください」
「いや、でも――」
「――貴女は良い人っぽいので同情とかしてるんだと思いますけど、結構ですから。ほんの一時のストレスでヤケ食いした人に生活指導は入らないし、まぐれのスリーポイントシュートを見てNBAが声を掛けることもない。今日の行動は私の人生の外れ値みたいなもんです」
燈子はわしゃわしゃと己の前髪を掻いて、垂れた髪の向こう側に人々の往来を見る。
ちょうど燈子の擦り傷に絆創膏を貼り終え、明音が一息をつく。すると、絆創膏が付いた燈子の手が、明音から手当て道具を奪い取る。「あ」と声を上げる明音をさておき、燈子は無言で明音の怪我を手当てしようとする。
「い、いいよ。こっちは自業自得だもん」
「動かないでください」
燈子は清潔な脱脂綿に消毒液を沁み込ませると、明音の傷口にグリグリと押し付けた。「――――!」声にならない声を上げて悶えそうになる明音に、白い目で「動かないでくださいって」と鬼のような要求が続き、涙目になって手当てを受ける。
「……そういう貴女はどうしてこんな場所を歩いてたんですか?」
意外にも燈子から質問が飛んできた。明音は驚いて彼女の顔を凝視する。
半ば反射的に欺瞞を紡ごうとして、閉ざし、熟考。それでもやはり適当な誤魔化しの言葉を吐いて適当に済ませようとしたが、彼女がセンシティブな核心を語った手前、不義理を果たす気にはなれず。明音は言葉を慎重に選んだ後、人生相談をした。
「悩み事があって、散歩してた」
「聞いた方がいいですか?」
「聞いてくれるの?」
「次、同じ質問が来たら聞きません。だから、さっさと話してください」
容赦がないなと頬を引き攣らせつつ、明音は手当てを受けながら明かす。
「昔、同じ学校の友達が、いじめを受けていたんだ」
燈子の眉が上がる。明音は暗い顔を俯かせた。
「庇ったらいじめの標的が私になったんだけど、そこに友達が加担するようになったの」
燈子の顔に明らかな義憤の色が覗いたから、きっと彼女も善人なのだろうと思わされた。
「問題はもうとっくに解決したんだけど、それ以来、『友達』と呼べる関係の相手を作るのが怖くなって。自分がそう呼べる相手を作りたいのかどうかも分からないまま――今はもう、どんな風に人付き合いをすればいいのか、分からなくなった。一枚、人との間に壁を貼って、踏み込まず、踏み込まれず、遠巻きに眺めるだけの関係ばかり」
しばらく往来の喧騒が路地裏に響き続ける。明音の擦り傷に一枚、絆創膏が付いた。
「貴女はどうしたいんですか?」
「……分かんない。ただ、人と付き合うのが怖いんだと思う」
自分の願望を正確に言語化するのは難しかったが、漠然と抱いている感覚を率直に伝える。すると、燈子は明音の深層心理を掘り起こすように質問を重ねた。
「人が怖いのか、人に傷付けられるのが怖いのか。どっちですか?」
数秒の沈黙。絆創膏が付いた膝を眺めて自分自身と向き合う。
「……たぶん、後者かな」
「だったら話は単純だと思いますよ」
平然と言ってのける燈子を、明音は丸い目を持ち上げて見詰める。
「裏切られて傷付くのは、人に期待しているからです。だったら期待しなければいい。貴女が友人だと思っていたその人も、最初から保身に走る心の弱い人だと思っていたら、必然の結末だと思って納得できたでしょう。そうやって心を守ればいいと思います」
納得できてしまう自分が居た。確かに、彼女の言う通りに友人に対して正義感のような理想を抱かなければ、手を差し伸べた先で背後から突き刺されると知っていれば、きっと辛い思いはしなかっただろう。だが、それを肯定することは、今まで彼女を友人と思っていた自分を否定することと同義のように思えて、明音は肯定を渋る。
「一生、誰にも期待をせずに?」
燈子の素っ気ない顔が胸中を測るように明音を向く。そして彼女は怪我の手当てに戻ると、何かに呆れるように溜息をこぼした。それは面倒な性格の明音に対してもあるのだろうが、そんな明音に素直に応え続ける自分自身にも向いているような気がした。
「私は愛情とか恋とか、そういうのは全部嘘だと思っています。偽物。親からそういったものを貰った記憶はありませんし、向けられる恋愛感情は性欲由来だと判断しています。――だから、理想ばかりが肥大化する自分を自覚してる」
それから続けられた彼女の言葉には、強い羨望の念が宿っていた。
「『この人になら傷付けられてもいい』と思えた相手に、期待すればいいんじゃないですか」
驚くほどすんなりと、その言葉を飲み込むことができた。ストン、と胸の奥に収まる。
明音は手当てのために動かしていた手を止め、まん丸い瞳で燈子を見詰める。彼女はそんな明音を訝しがるように見詰めるから、明音は軽く頭を振って思考を整理する。
そして、小さく頷いた。
「そっか、うん。そうだね――――凄く、納得できた」
明音の言葉が欺瞞のような口先だけのものではないと、その表情から判断したのだろう。燈子は少し安心したような、それでいて羨むような表情でそっと顔を背けた。
間もなくして、明音の膝の擦り傷に絆創膏が貼り終わる。ちょうど、箱が空になった。
「――はい、手当ては終わりです。ご家族が心配するでしょうから、さっさと帰った方がいいですよ。世間一般的に、学生の深夜徘徊は良くないので」
誤解に基づいて自殺を止めた際の明音の言い回しをそのまま借用され、明音は肩身が狭い思いをしながら苦笑しつつ頷いた。
長らく胸に閊えていた苦悩に一つの回答を得た。今はこの答えと大切に向き合いたい。
「君も家に帰った方がいいよ。送るから」
「私に心配する家族は居ませんよ」
「そうじゃなくて、この時間に一人は危ないってこと。――人のこと言えないけどさ」
心配する家族は確かに居ないのかもしれないが、今日、ここで、心配をする人間は一人、生まれてしまった訳だ。その事実に気付いた燈子は困ったような顔を逸らす。
「結構です。また怪我させられるのは御免なので」
そう言われると二の句が出せない明音は、「うぐ」と罪悪感に口を噤んだ。
だが、そのやり口で相手を黙らせるのは彼女の本意でなかったようで、そんな様を見た燈子は、肺の中の空気を全て入れ替えるような調子で溜息をこぼした。
「……分かりました。分かりました、送られてあげますから」
そう告げる彼女の表情に微かな笑みが浮かんでいたから、明音も笑った。
それから、二人は極力人通りの多い道を選んで駅へと並んで向かう。二十二時を迎えようという時間帯に中学生二人は数多の目を引いたが、おかげで面倒に巻き込まれることは無かった。
繁華街を抜けて駅が見えてきた頃、二人は信号で立ち止まる。
赤い歩行者信号をぼんやりと眺めていた明音は、ふと思い至って燈子を見た。
「そうだ、今日は相談に乗ってくれてありがとう」
「いえ、暇潰しなので。呼吸してくれてありがとうって言われてる気分です」
「その呼吸で救われた人間が居るなら、謝辞も発生するべきだと思う」
軽口に大真面目な返答を食らい、燈子はむっと唇を結んで明音を見た。対して、明音はポケットからスマートフォンを取り出して彼女に見せる。連絡先を交換しようという意思表示だ。
「だから、お礼って訳じゃないけど、困ったことがあったら相談に乗るよ」
燈子の驚きに見開かれた瞳が、明音の取り出したスマートフォンに注がれる。
数秒、彼女は揺れる瞳でそれを見詰めた後、逃げるように顔を俯かせて首を横に振った。
「いえ――私も、人に期待しないって決めたので」
不倫によって生まれ、実の両親と幼くして別れ、居候同然の暮らしをした果てに孤独を選んだ。そんな人間の呟いた『人に期待しない』という言葉はあまりにも重く、それを独善的に踏み越えようとする行為に一抹も正義を見出せなかった明音は、「そっか」と、彼女の意思を尊重して提案を引き下げようとする。だが――燈子の双眸がそれを捉えた。
明音がスマートフォンをポケットに戻す直前、行き交う車のエンジン音に掻き消されてしまいそうな、小さな声が明音の鼓膜を撫でて行った。
「――――だから、裏切ったら怒りますよ」
燈子は明音から目を背けたまま、勝手に連絡先を交換しろとでも言うようにスマートフォンをこちらへ差し出している。今度は明音が驚きに呆然としてそれを見詰める番だった。
そして、明音は丁重に彼女からそれを受け取ると、徐に頷いた。
「裏切らない。約束する」
燈子は視線を合わせようとはしない。きっと、この気まぐれも彼女の人生の外れ値のようなものなのだろう。だが――この選択を後悔するか否かはこれからの自分の行動にかかっているのだということを自覚すると、外れ値を好転の転機にしてやりたくなるのが明音の性だった。
不慣れな手付きでメッセージアプリの連絡先を交換する。
『佐倉燈子と友だちになりました。』――そんなポップアップが画面に表示された。
◆◆◆
二年が経過した今、その関係はメッセージアプリ上だけのものではなくなった。
着きました。そんなメッセージを確認した明音は、時を同じくして駅前広場に到着する。十八時を迎えてサラリーマンや学生の往来が活発化した広場にて、一度帰宅をして私服に着替えた明音は、目当ての人物を探して広場に視線を泳がせる。
そして、モニュメントの前で人目を惹き付ける綺麗な少女を――燈子を見つけた。
夏らしい襟付きのブラウスに黒いスカートと靴。清涼感を見出させるようなコーディネートながら、ロングボブに三つ編みを混ぜて一抹の少女らしさも漂わせている。行き交う男性の多くが、そして女性の一部も通りかかる度に視線を燈子に奪われ、燈子はそんな人々など視界にも入っていない様子で、ソワソワと落ち着かずに誰かを探している様子だった。
明音は小走りで彼女に駆け寄る。すると、こちらに気付いた燈子の顔がパッと明るくなった。
「ごめん、お待たせ」
「遅――くはないですね、時間前なので。でも呼び出した側が待たせるのは感心しません」
「五分前なんだから、どうかご勘弁ください」
口調に反して彼女の表情が柔和な笑みだったから、明音も軽い謝意で済ませた。
達子にこれからの方針を宣言した放課後、明音は手始めに燈子を呼び出した。
名目は質問と買い物と明かしてある。駅前の大きなショッピングモールで色々眺めつつ、頃合いを見て手紙の件を切り出すつもりだ。
「それじゃ、行こっか」
あまり長々と雑談をしていても盛夏の熱気にやられるだけなので、明音は駅前広場の目の前にあるショッピングモールを視線で示し、緩やかに歩き出す。二年前に彼女と連絡先を交換して以降、『久しぶり』という言葉が出ない程度の頻度で行楽をしているため、今日もいつもと同じような気分で、気楽に買い物を楽しむつもりだった。
しかし――
「あ……はい」
そう応じた燈子の声が、少し沈んでいるように聞こえた。
明音が思わず振り返って燈子を見ると、彼女は肩を落として、唇を尖らせながら顔を俯かせていた。ブラウスの裾やスカートを摘まんで、眉尻を下げながら寂しそうにしている。
具合でも悪いのか。そう尋ねようとした口をはたと閉ざした明音は、そういえば今日の彼女の恰好は普段と方向性が異なることに思い至る。状況を総合的に見て、一つの結論に至った。
「燈子」
名前を呼ぶと、彼女が寂しそうな顔を上げた。明音は笑みを返す。
「今日の服も似合ってるよ。凄く可愛いと思う」
普段から様々なファッションを試す彼女だが、今日もいつもと変わらない。モノトーンのコーディネートは大人びた表情を浮かべる彼女によく似合っている。
明音の率直な感想を真正面から聞いた燈子は、微かに目を丸くして口を引き結ぶ。
それから、少しずつ時間をかけて、雪が溶けるような緩慢さで燈子の頬に朱が差し、その頬が綻ぶ。唇を柔らかく緩ませた後、燈子は堪えきれずに満面の笑みを咲かせた。
彼女はやはり、寂しそうな顔よりも笑顔の方がずっと素敵だった。
思わず見惚れてしまうような晴れやかな表情に、明音はぎゅっと胸が締め付けられるような感覚を覚える。思わず手を伸ばして頬に触れてしまいたくなるような恋愛感情を懸命に押し殺し、火照りかけている顔を夏の風に当てて懸命に冷ました。
燈子が小走りに明音の下に駆け寄り、顔を背けながら明音の服の裾を摘まむ。火照って緩んだ顔を隠すべく前髪を手櫛で梳かした後、口調だけ素っ気なく呟いた。
「先輩も、とても似合ってると思います。――その、素敵ですよ」
オーバーサイズの真っ白な七分袖のシャツに、同じくゆとりのあるパンツ。無難なチョイスで無難にまとめた、胸を張れるほどではない無難なコーディネートだ。
「ありがと。でも君ほどじゃないよ」
「それもそうですね。失礼しました」
「本当に失礼な奴だな」
思わず頬を引き攣らせる明音に、燈子は「冗談です」と笑って続ける。
「冗談ですけど、気になるなら、服――選んであげましょうか?」
明音の服の裾を掴んだまま、二年前より少しだけ身長の差が広がった彼女が、上目遣いにこちらを見る。それがあまりにも可愛いらしく、即座に快諾してしまいそうになるが、踏み止まって考える。――だが、美容系の宣伝を企業から任されるような彼女のプロデュースを受けられるのはそう悪い話ではなく、実際、抱えてる服のセットや気に入っている今の髪型も、基本的には彼女に教えてもらったことを参考にしているのだ。
そう考えると、返答は悩むまでもなかった。
「それなら、是非」
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