scene 9. 一進一退

 バンドはサウンドスタジオに全員が揃い、リフのアイデアだけ温めてあった曲をかたちにしていこうと試行錯誤していた。

 いつものジャムセッションのあと、ドリューのリフを活かそうとアイデアを出し合っては演奏し、コードやリズムなどあれこれ試し始めて四十分ほど経ったときだった。朧気に曲のイメージが掴めてきて、感触を確かめるように何度も繰り返し演奏していると、テディが突然ベースギターをエミルに渡した。

 ルカは、またさぼる気かと思いテディを見たが、彼はエミルに向かって代わりに弾け、ユーリには演奏を続けろと身振りだけで伝えていた。そして、テディ自身は壁際に立てかけてあったギターを手にとり、シールドを差しこんだ。数ヶ月前に出物をみつけてテディが購入した、一九六二年、フェンダー・ジャガーのリイシューモデルである。

 アイスブルーメタリックのそれを弾き始めると、テディはあっという間に曲の方向性を決めてしまった。テディのきれのあるカッティングでざくざくとリズムを刻むギターは、反復するドリューのリフをさらに印象的にした。ユーリは力強いキックとスネアでツインギターを支えつつ、ジンジャー・ベイカーばりのタムロールなどフィルインを入れまくり、ギターリフに埋もれておとなしくしていたジェシは間奏でここぞとばかり存分に暴れる。ルカはその演奏を聴きながら自然に躰が踊りだすに任せ、思いつくままの言葉やハミングでメロディをつけていた。

 そうして、さらに二時間が経った頃。ひょっとするとジー・デヴィールにとって史上最高のキラーチューンになるのではないかと感じさせる、ファンキーでアグレッシヴな曲の原型が仕上がった。

「あとは歌詞だね」とテディに云われ、ルカは引き攣った笑みを浮かべながら思った――こんなとびきりいかした F**kin' cool な曲を作られては、見合った詞を書くのにLSDアシッドでもやらないといけないかもしれない。



 昨日。ゾルトと一緒にブルノから帰ってきたとき、テディは既に上機嫌だった。

 夕食時、酒宴のときでさえほとんど喋ることのないテディは、聖ヤコブ教会の地下納骨堂について、壁をびっしりと埋め尽くしていた人骨がいかに圧巻であったかを話していた。その様子を見て、いつもは黙々と食べるくせにと思いつつ、まあ楽しめたってことかとルカは安心した。行けと云ってやってよかった。複雑な気持ちは確かにあるが、今はテディがフラストレーションを溜めないことが第一だ。

「あとさ、旧市庁舎がおもしろかったんだよ。外の装飾がひとつ曲がってたり、中にワニが吊るされてたりしてさ――」

 めずらしくワインを飲みながら、身振り手振りを混じえて饒舌に話すテディ。ふと顔をあげたとき、頭上に大きなワニが口を開けているのを見て驚いたと話しているその右手首には、今朝まではつけていなかったブレスレットが揺れていた。薄荷の飴のようなミントブルーのチェコビーズはアンティークで、偶々みつけて気に入り、その場でハンドメイドしてもらったのだとあとから聞いた。

 なかなかいいだろ、と硝子ビーズの間にターコイズとシルバーのチャームをあしらったそれを見せてくれたとき。テディは、どこか遠くを見つめているような、夢みるような瞳でふわりと微笑んだ。

 その表情は、まるで――


「――そういえば、あのバラッドはどうする」

 ドリューに話しかけられ、ノートとペンを手に俯いていたルカははっと顔をあげた。スツールに腰掛け、詞を書くために思いつくままの言葉を書き留めていたのだが、つい考え事に耽ってしまっていたようだ。

「バラッド……ああ、あのラヴソングか」

 既にある曲とイメージがかぶる、なにかが足りないと棚上げされていた、ルカお得意の甘くしっとりとした恋のバラッドである。

「どうするってもなあ、なにかアイデアとか浮かんだ?」

「いや、誰もなにも云わないな。ユーリはワンパターンだと云ってたし、ボツでいいと思ってるのかもしれんが……曲自体は悪くないからな」

 ドリューは考えるように顎に手をやった。「うん、やっぱりこのまま棄てるのはちょっと」

「惜しいよな」

「歌詞を変えれば?」

 ベースキャビネットの前に立ち、アップルタイザーを飲んでいたテディが云った。「甘ったるいラヴソングだからもう要らない感が強いんだよ。曲の基本的なところは変えないで、歌詞だけもっと毒のあるのにするとおもしろいんじゃない? で、コードもセブンス入れてちょっと雰囲気変えてみるといいかも」

「毒……」

「セブンスか、フュージョンっぽい感じになるかな。うん、ありかもしれない」

 しかし、休憩のあと早速このアレンジで演ってみたところ、どうもしっくりこなかった。

 フュージョンやジャズのテイストを取り入れたソフトロックはブレイク当時に散々やってきていて、バンドとして目新しさもない。テディも実際に演奏してみたあと、うーんと顔を顰めながら頭を掻いていた。

 他にアレンジのアイデアもなく、ルカお気に入りのラヴバラッドは再びストックとして、棚上げされることになった。




       * * *




 そして、特に問題もなく数日が過ぎた、ある日の朝。

 ダイニングに全員が揃い、朝食を摂っていたときだった。iPhoneアイフォンの着信音が鳴り、何人かが揃ってポケットに手を突っこんだ。

「あ、俺です。ボスからだ」

 エミルがそう云って画面をタップしながら席を立つ。「はい、おはようございます。――え? ええ、たぶん順調です……はい、ええ、まだありますよ。――えっ?」

 窓の傍で通話していたエミルが、はっとしたようにこっちを見た。なんだろう、とルカはエミルのほうを向き、その顔色を窺った。ユーリもドリューも、同席しているゾルトも、皆一様に食事の手を止めエミルに注目する。

 彼は驚いた様子で云った。

「事故!? えっ、ボスが、車でですか!? そ、それで、怪我は――」

 事故と聞き、テーブルを囲んでいた面々は一様に目を見開き、顔を見合わせた。

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